蒸留水の調合

 錬金術に必要な素材を見つけ出したエルマは大きく一息つき、改めて釜の前へと進む。清澄せいちょうさを取り戻した薬液はキラキラと光輝きながら渦巻き、素材が投入されるのを今か今かと待っているようにも見えた。この様子ならば、今すぐにでも飲料水を調合できそうだ。


 とはいえ、エルマの魔力でマスクされているだけという可能性もある。そのため、まずエルマは予定通り『緩衝剤』の合成を行なうことにした。


「ま、ここでみんな毒に当たったらシャレにならないもんね。……よし、まずは鉱石を投入、っと」


 ポチャンポチャンと、小気味よい音が周囲へと響く。粗悪な鉱石ではあるが、『緩衝剤』の素材としては充分だ。むしろ、こうした粗悪品を使って試すことは、錬金術師にとって常識ともいえる。それだけ、錬金術に適した素材というのは貴重なのである。


「うん……大丈夫、かな。次は木片を少しだけ……」


 薬液の色調を観察し終えたエルマは、またも古びた木片を釜の中へ投入する。植物としての原型は全く留めていないものの、彼女自身が魔法を使って見つけた素材である。鉱石と同様に、まるで問題なく薬液の中へと溶け込んでいき、やがて薬液は鈍色にびいろへと変化した。


「うん、OK。あとは魔物の体液を加えながら一時間くらい攪拌かくはん……か。長いなぁ」


 戸棚にあった不思議な小瓶から、少しずつ赤黒い液体を注ぎ込みつつ、エルマは杖で釜をかき混ぜる。ここからは根気の要る作業だ。単純に攪拌するのではなく、魔力を注ぎながら混ぜる必要がある。並の人間ならば数分ほどで音を上げてしまうほど、退屈で辛い作業だ。


 だが、気合を入れ直したエルマが数分ほど釜をかき混ぜた時だった。


「はぁ、まだまだかかりそうかも……ん?」


 ふとエルマが釜の中へと視線を落とすと、先ほどまでの鈍色はどこへやら、いつの間にか薬液は清澄さを取り戻していた。それだけではなく、釜の底には砂のような白い塊が沈殿していたのである。


「あ、あれぇ? これ、もしかして!」


 『緩衝剤』だ。それも、アンネリーゼの本に書かれていた通りの特徴を有する、疑いようのない逸品である。


「いつの間にか完成しちゃった、けど……こんなに早く創れるものなのかな? ま、いっか」


 急な出来事に戸惑いながらも、エルマは釜の奥底に沈んだ塊を掬い上げ、比較的綺麗なかめの中へと移す。『緩衝剤』は、薬液から取り出すと空気中の酸素に触れ、風解ふうかいするという特徴を持つ。そのため、その出来栄えに目を疑いつつエルマは即座に甕へとしまった。


 結果的にそれが功を奏した。本を読み直したエルマが甕の中を確認すると、先ほどまで白い塊であったそれは完全にサラサラとした砂へと変化していたのである。こうして誰も疑いようのない、上級品の『緩衝剤』が呆気なく完成した。


 あまりに手ごたえの無い仕事だったため、エルマは灰白色の砂を手でひと掬いしながら、小首を傾げる。


「こんなに簡単なら、シャルどころかラルフでも出来そうだけどなぁ。……本当にわたし、特別な才能を持ってるのかな? ちょっと不安になってきたかも」

「エルマ、調子はどうかな! あとどれくらいで飲み水は創れそう?」

「へ?」


 悩むエルマの背に向け、まだ片付けの最中だったシャルロッテは活気なく声を掛ける。気温も湿度も高い森林での作業である、彼女はもちろんゾフィーやドラクンクルスの表情にも疲労の色が浮かび始めていた。


 本来ならば、飲み水や食糧を確保できていない状況で、ただ疲れるだけの片付けなどすべきではない。だが三人はエルマの才能を疑うことなく、自殺行為とも呼べる労働作業をしている。絶対に成功するのだと信じてやまないのだ。


 そんな三人の姿を目の当たりにしたエルマは、先ほどまで脳裏に過らせていた不安を一掃した。そして、返答を待つシャルロッテに笑顔で返す。


「そうだねぇ、もうちょっとかな? 今はちょっと試作してるとこだからさ。間違って海水を創っちゃったりしたら大変だもんね」

「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ! ま、もし海水だったらクルちゃんに飲んでもらうから大丈夫だよ。心配しないで」

「おい、ちょっと待てコラ! 殺す気か!」

「あ、あはは……ごめんね、だからあともうちょっとだけ待ってて!」

「オッケー!」


 今のところ、シャルロッテたちには冗談を言えるほどの元気は残されているらしい。それを感じ取ったエルマは苦笑いを浮かべながらも、再び釜へと向き直る。


「さてと。『緩衝剤』は多分、そこそこ上手く創れたはず。本に書いてある特徴と一緒だし、薬液には問題ないはず!」


 錬金術の試金石となった『緩衝剤』は一旦端に寄せ、改めて飲料水の調合に取り掛かる。


「材料は、えっと……?」


 赤い宝石の嵌め込まれた杖を握りしめ、先ほどと同じように素材を強くイメージする。今度は『緩衝剤』を創った時とは異なり、大きな光の塊は生まれなかったものの、数秒もしないうちに小さな粒子が一目散に抽斗ひきだしへと向かっていった。


「おお、今度は早いや。これならもう迷うことはなさそうかな」


 失いかけていた自信を取り戻し、エルマは意気揚々と抽斗の中を漁る。飲料水を調合するために必要な素材は、この中に眠っているのだから。


 一般的に、魔法は使い続けていくうちに効率よく発動できるようになる。エルマはもう『我、汝捜す者なり。其の身を明かせplacere dic mihi quo nunc es, volo te』という魔法の行使を、すでに二回も成功させていた。そのため、前回ほどの過剰な魔力の浪費は無く、かつ適切に必要な素材を導けるようになったのだ。


 さらに使い込めば、素材の品質についても鑑定できるようになる。ただし、その境地へと行き着くには師匠であるアンネリーゼと同等なレベルにまで成長しなくてはならない。錬金術師として駆け出しのエルマには、まだまだ先の見えない話だ。


 そんな話など知らないエルマは、嬉しそうにまだ光の灯った二つの古い素材を引っ張り出した。


「よいしょっと! はぁ……これ、だよね。シュランゲンバルトの根と、シュパーゲルの根って。でも、どっちがどっちなんだろ。ぜんぜん分かんないや」


 飲料水、つまり『蒸留水』を調合するには、エルマの持っている二種類の植物の根と『ゼオリート石』を使うとされる。ゼオリート石には多くの種類があり、ここボレリア森林にも『ボレリア沸石ふっせき』というゼオリート石の仲間がいたるところに転がっている。


 エルマはフォウレリとの戦闘の直前、コンメリナを摘む際に偶然にもこのボレリア沸石も拾っていた。いや、実のところコンメリナの根に付着していただけなのだが、これが幸いしたのである。


 あとは、二つの根とボレリア沸石を手筈通り調合すれば完成、である。ただし————


「うーん、シュランゲンバルトとシュパーゲルの入れる順番、間違っちゃうと解熱剤になるんだよね。困ったなぁ……」


 そう、彼女が手にしている二つの根。これを攪拌する順番を間違えると、蒸留水は創れない。現状では全く必要としていない解熱剤に変わってしまうのだ。


 もちろん、入れる順番を変えて二回調合すれば問題の無い話だ。だが、今回に限って言えば、そういう訳にもいかない。ボレリア沸石はともかく、二つの根はもう残り少ないのだ。


「どうしようかな。飲み水なんだし、たくさん創った方が良いもんね。けど……どっちなんだろ」


 しばらく悩んだ挙句、エルマはアンネリーゼの本を開き、蒸留水の項目を再度確認する。しかし残念なことに、この本には植物の見分け方など書かれていない。絵は描かれているものの、当然カラーではないため読んでも無意味であった。


「全然分かんないよ……もー、こんなことならヴィル先生にも付いてきてもらえばよかったなぁ。今更だけど」


 大きく溜息を吐いたエルマはテントの天井を見上げ、ヴィルヘルムのことを思い出す。筋骨隆々にも拘わらず専門は生物学という謎の性質を持つ彼には、エルマはとても世話になっていた。


「……いい先生だったなぁ。植物のことになると、ちょっとアレだったけど。わたしは好きだったけど、みんな引いてたなぁ。ふふっ」


 懐かしい思い出に浸っていたエルマだったが、ふと彼女の脳裏にヴィルヘルムの言葉がよぎった。


「あれ? そういえば、先生……シュランゲンバルトのこと、何か言ってたような……」


 浮かべていた笑みを消し、目を瞑って必死になけなしの記憶を掘り返す。嫌いな科目ならば不可能だったが、他でもないヴィルヘルムの講義だ。赤点だらけのエルマの頭にも、その話はきちんと残っていた。


「えっと……そうだ! 『シュランゲンバルトは全草にわたって細長く、特にその根はによく似ている』……だったかな! ってことは、竜の髭に似てる方がシュランゲンバルトってことだよね!」


 そして、大きく目を見開いて手にした二つの根を見比べる。その刹那、見開いていた目を細めてエルマは強く頷いた。


「うん、これだ。細くて白っぽい、こっちがシュランゲンバルト。だから、こっちを先に入れてかき混ぜれば!」


 そう言い、エルマは本の記述通りに薬草を投入し、最後にボレリア沸石を数個ほど入れた。『緩衝剤』を創った時とはまた異なる、銀色に近い輝きを放つ薬液を見て、彼女は小さく息を吐く。


「よし、あとは同じように魔力を注いで、っと。そのままかき混ぜないで、少しの時間だけ寝かせば……」


 じっと銀の水面を眺め、祈るように杖を握りしめる。その願いが届いたのか、やがて銀色を呈していた液体は下層へと沈み、上層には薬液と少し違う清澄さの水が溜まっていった。そのさらに上清じょうせいを掬い、エルマは恐る恐るそれを口に運ぶ。


 ほんの一口、その液体を口に含んだエルマは小さく頷き、それを一息に飲み込んだ。


「……うん、おいしい。普通の、お水だ。……やった、やったぁ! やっとお水が完成したよ!」


 こうして、多くの苦労を乗り越えエルマは蒸留水の調合に成功した。これはアンネリーゼやドラクンクルスたちの力なしに、初めて一人で創り上げた記念すべき作品である。

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