神の真核

 立ち上がって早々、エルマは古びた釜の中を確認する。釜を満たしていた薬液は薄汚れていたものの、彼女が軽く杖でかき混ぜるとすぐに無色透明へと変化した。エルマの魔力が杖を伝って流れ込んだことで、薬液は浄化されたようである。


 錬金術に用いる薬液は、含んだ魔力が枯渇することで徐々に汚染されてゆくが、再度魔力を注入すると再生する。アンネリーゼの書いた本にはその事実が記載されていたため、彼女はそれを実行に移したのだ。


「良かったぁ……これならまだ使える、かな? まあでも、最初は簡単なものを創って様子を見よっと。お腹を壊しちゃったら大変だもんね。そうだなぁ、簡単なものといえば『緩衝剤』かなぁ?」


 そう言うと、エルマはシャルロッテたちが片付け終えた古い棚の抽斗ひきだしを開ける。中には沢山の古い素材が詰まっていたが、どれも彼女が目にしたことのあるような代物ではない。それどころか、植物なのか鉱物なのかすら判別できないほど、激しく劣化していた。


「うーん、見た目じゃ分からないや。とはいえ、今から先生たちに素材を探して貰うのも悪いし……錬金術の素材を探す魔法、また使ってみるしかないかも。でも……」


 チラ、と背後を見て大きく溜息をく。


「わたしが魔法を使ったら、きっと怒るだろうなぁ……お父さんたちとの約束、破ったことになるし」


 彼女がこの旅に同行しているのは、エドワードシエラ一族にかけられた呪いを解くためでもある。それゆえ、州都の技術院へ辿り着くまでに魔力が暴走してしまえば、元も子も無くなってしまう。


 エルマがミレリーの地下で行使した魔法、『我、汝捜す者なり。其の身を明かせplacere dic mihi quo nunc es, volo te』は攻撃魔法ではない。しかし、だからといって安全が保障されるというものでもない。


「うーん……」


 すると、悩み続けるエルマの背後へ一つの小さな影が忍び寄る。そしてパタパタと羽を羽搏はばたかせたその影は、エルマの肩を軽く叩いた。


「おう、どうした嬢ちゃん。ずっとそんなとこに立って」

「え? ……あ、クルちゃん。えっと、どうしようかな、って思って」

「はぁ?」


 ぼんやりと返答するエルマの様子に、ドラクンクルスはやれやれ、と言わんばかりに肩をすくめる。


「おいおい、しっかりしてくれよ。さっきから働かされて喉が渇いちまってんだ。早いとこ、飲み水を創ってくれよ」

「う、うん。そうしたいんだけど……どの素材を使ったらいいのか分かんなくて」

「あん? 塔の地下で使った魔法、また使えば良いじゃねぇか」

「そうなんだけど、ダメなの。わたし、魔法を使ったらいけないから。州都に着くまで、何かあったら困るし」

「なんだって? 俺様はそんな話、聞いてねぇぞ。おい先生よぉ!」


 怪訝な表情を浮かべたドラクンクルスは、大きな腹を揺らして動き回るゾフィーへと声を掛ける。


「はーい? って、あら。何をサボっているのかしら。これから大変な天井の埃落としが待っているのよ?」

「なんで天井を先にやらねぇんだよ! 普通、掃除ってのは上から先に……いいや、それはどうでもいい。アンタに聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」


 ドラクンクルスの様子に違和感を覚えたゾフィーは、抱えていたガラクタをテントの端へ置き、二人の方へと歩み寄る。


「何かしら……って、なんとなく雰囲気を見れば分かるわね。魔法の件でしょう?」

「話が早ぇな。嬢ちゃんに魔法を使わせねぇ、ってのは本当か?」


 単刀直入に問われるも、ゾフィーは一切表情を変えることなく答える。


「ええ。もちろん急を要する場合は除きますが、彼女の一族は魔法の暴発癖があるようなのです。ですので、できる限り……特に呪文を用いるような魔法の行使は控えてもらっています」

「マジかよ、そりゃあ危険だな……ん? それだと錬金術も危ねぇんじゃねぇのか? アレも確か、魔力を使うものだったはずだが」

「そうですね。ただ、魔力を具現化させる魔法とは異なり、錬金術は魔力そのものを物質に干渉させて変質させるものですから、理論上は問題ないでしょう。もし異常が発生したとしても、それは恐らく錬金術が失敗しただけに過ぎないかと」

「はーん、なるほどな。よく分からん」

「……でしょうね。あなたのその顔を見れば分かりますよ」


 そう言って苦笑するゾフィーに、エルマは魔法の使用許可を得ようと話しかける。錬金術を成功させるため必要な魔法の行使についてであるから、彼女の言う『急を要する事態』に該当すると考えたのである。


「あの、それで……わたし、必要な素材を見つけるための魔法を使わないといけなくて。使っても良いですか?」

「素材を見つける魔法? それはどのようなものなのですか?」

「え、えっと……クルちゃん、お願い。呪文を唱えちゃったらマズいから」

「面倒くせぇなぁ。『我、汝捜す者なり。其の身を明かせplacere dic mihi quo nunc es, volo te』って魔法だよ。これを使うと、必要な素材が目に見えるらしいぜ? よく分かんねぇけど」

「『我、汝捜す者なり。其の身を明かせplacere dic mihi quo nunc es, volo te』、ですか。……ははぁ、なるほど。それならば確かに素材も見つけられるでしょうね。しかし、それならばもう唱える必要はないでしょう」

「え?」


 思わぬ返答にきょとんとするエルマへ、ゾフィーは軽く微笑んで人差し指を使い、こめかみの辺りを軽くトントンと叩く。


「イメージしてみなさい。あなたが本当に必要とするものを、頭に強く思い描くのです」

「思い描く、ですか?」

「ええ。私の予想が正しければ、これで上手く行くはずです。さあ早く」

「は、はい。イメージ、イメージ……」


 ゾフィーに言われた通り、『緩衝剤』に使用する素材を強く浮かべる。そのまま数秒ほど経過したとき、急にエルマの杖にめ込まれた赤い宝石が光り輝き始める。


「えっ!? わ、わわわ!」


 突然の出来事に、慌ててエルマは念じることを止める。だが光はすぐに小さな塊となり、先ほどまでエルマが覗いていた棚の中へと吸い込まれていった。呪文を唱えた訳でもないのに、ミレリーの地下で起きたことが再現されたのである。あまりの衝撃に、エルマとドラクンクルスは揃って口を開いたまま、呆然と光の消えた先を見つめる。


 その二人の顔が面白かったのか、ゾフィーは少しだけ笑った後、エルマの肩を軽く叩く。


「思った通り、成功しましたね。これで素材を見つけられることでしょう」

「せ、先生? あの、今のって……」

「今はそんなことを気にしている時間はないでしょう? ほらほら、早くしないと光が消えてしまいますよ?」

「え? あ、そうだった!」


 ゾフィーによる指摘を受け、エルマは焦って棚へと向かってゆく。そのまま抽斗を漁り始める彼女の背を見つめ、ドラクンクルスは彼女に聞こえないよう、そっとゾフィーへと確認する。


「先生よ。もしかすると、だが……あの石は、確か……」

「おや、クルちゃんさん。あなたもアレをご存じでしたか」

「ああ。ちょっと聞いたことがあったくらいだが、今の光を見て確信したよ。『』なんてものが、まさか身近にあるだなんて思いもしなかったけどよ」

「そうでしょうね。私も、最初にアレを見た時は驚きましたよ。……さて、この件はエルマに黙っていていただけますか? まあ、知ったところでどうにもなりませんけど、不気味に思ってしまうでしょうし」

「当然そうなるだろうな。心の優しい嬢ちゃんだ、きっと怯えちまうに違いねぇ。黙っとくよ」

「何を黙っておくんですかっ!」

「おっと!」


 密約を交わし終えた二人の背後から、シャルロッテは頬を膨らませて問いかける。二人の会話こそ聞こえていなかった様子であるが、相当にお冠であるようだ。


「もー、二人とも何コソコソ話し合ってるのよ! 片付けはまだ終わってないんだからね!」

「あら、ごめんなさいシャルロッテ! ほら、クルちゃんさんも手伝ってくださいね。まだ天井が残っているのですから」

「だーかーらー、なんで最後に天井を残したんだよ! 先にやっておけっての!」


 そして、なんだかんだと文句を言い合いつつも、また三人は掃除を再開した。集中し直したエルマの邪魔をしないよう、静かに。

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