黄昏の天幕

「えっと……水や食糧を錬金術で、ですか?」

「おうよ」


 トーチの炎に照らされ、戸惑いの表情をありありと浮かべるゾフィーに、ドラクンクルスは堂々と胸を張って答える。


「あの塔の地下では、そもそも食糧なんざ無かったからな。でも、俺様がかき集めてきた物を、あの魔女はことごとく食糧に変えていった。だったら、あの魔女の弟子である嬢ちゃんなら、それも出来るんじゃねぇかなって思うわけだ」

「はぁ、そうなのですか……」

「なんだよ、その目は。俺様の話を疑うってのか?」

「いえ、そういう訳ではなく。錬金術が万能であることは知っていますが、根本的な問題として、錬金術を行なうはどこで調達するつもりですか?」


 はぁ、と溜息を交えつつゾフィーはドラクンクルスに訊ねる。その目は、どこか彼を憐れむようなものであった。


 ゾフィーが呆れかえってしまうのも無理はない。鬱蒼うっそうとした森の中、錬金術に耐えうるような釜が偶然落ちているはずがない。もちろん、荷物としてはとても嵩張かさばってしまうため、三人のうちに釜を持ってきた者はいない。


 そのため、この場で錬金術など行使できるはずがない、と彼女は踏んでいたのである。錬金術のことを深く知らないシャルロッテはともかく、エルマも同様に首をかしげながらドラクンクルスへ問いかける。


「そうだよクルちゃん。杖や材料はどうにか出来ても、釜がなくっちゃどうしようもないもん。もしかして、釜から創れっていうの?」


 しかし、二人によるやや冷たい質問に屈することなく、むしろ平然とした様子でドラクンクルスは答える。


「フン、まあ普通の感覚じゃ無理だって思うだろうな。でも俺様には、魔女から受け取ったとっておきのアイテムがある。話によれば、これさえあればどこでも錬金術が使い放題……らしい」

「ど、どこでも錬金術が!? そんなすごい……え? らしい?」

「ああ。良く分かんねぇけど、がそう言ってたんだ。きっとそうなんだろうよ」


 そう言うと、彼は小さな羽の隙間から一つの札のようなものを取り出した。まっさらで、何も書かれていないシンプルな短冊状の紙である。一見しただけでは、これのどこが特殊なのか全く分からない代物だ。


「見ろ。これがそのアイテムらしいぜ」

「へぇー! クルちゃん、そんなところに物をしまえるんだ! それなのに飛べるなんて、すごいねぇ!」

「そこに食いつくんじゃねぇよ! まったく……ほいよ、先生。アンタなら、これが何か分かるだろ?」


 エルマから妙な点を褒められ、複雑な表情を浮かべたままドラクンクルスはゾフィーへその紙を手渡す。素直に受け取ったゾフィーは紙を何度かじっと見つめた後、ハッと何かに気付き息を飲む。


「こ、これは! ク、クルちゃんさん、こんな高価なアイテムをいただいてよろしいのですか?」

「アホか、くれてやったつもりは無ぇよ。またミレリーに戻ったら、そん時に返してやってくれ。あの魔女はそう言ってたからな」

「そ、そうですか……いやしかし、こんなものがあるなら早く言ってくださいよ! これでも生徒二人を見守る立場なので、かなり不安だったんですから。人が悪いですよ」

「フン。あいにく、俺様は人じゃないもんでな」

「揚げ足を取らないこと。もう……」


 そう言いつつも、ゾフィーは今までになく安堵した表情でドラクンクルスから受け取った紙を見つめる。未だかつてない彼女の大きな反応に、エルマもシャルロッテも目を丸くして彼女へと訊ねる。


「あの、先生? それはどういうアイテムなんですか?」

「普通の紙にしか見えないけど……もしかして、この紙が釜に変わる、とか?」

「いいえ。そんな需要のなさそうなアイテムに、価値なんてつきませんよ。でも、惜しいですね。『この紙が別のものに変化する』という発想は当たっています」

「え? じゃあ、一体……」

「見ていてください。使い方は知っているので」


 ポカンとする二人を前に、小さく咳払いをしたゾフィーは紙へと神経を集中させる。するとその途端、彼女の魔力を得た不思議な紙は光り出し、周囲の木々よりも遥かに高い光柱へと変貌した。


 そして、数秒もしないうちに眩い閃光は徐々に落ち着いてゆき、代わりに光柱がそびえていた辺りに一つの物体が姿を現した。それは今までそこに無かったはずの、小さな細長いテントである。


「え? ええ!?」

「ウソ、いつの間に……」

「なんだぁ、こりゃあ……」


 呆気にとられる二人と、なぜか一緒になって口を大きく開けて戸惑うドラクンクルスに、顔を上げたゾフィーは満足げに答える。


「ふぅ。さて、これがこのアイテム……『黄昏の天幕Unsichtbares Zelt』です。どうです? その名の通り、紙のように薄かったので、まるでテントが急に姿を現したようでしょう? ……って、どうしてクルちゃんさんも知らないんですか」

「し、知る訳ねぇだろ! この中に釜があるからね、としか聞いてねぇんだからよ。まったく、あの魔女め。もうちょっと詳しく説明してくれたって良いじゃねぇか……」

「そ、そうでしたか。てっきりご存じなのかと思っていましたよ」

「いっつもそうなんだよな。アイツ、肝心なことは黙ってよぉ……」

「はぁ……」


 ブツブツとアンネリーゼに対する文句を口するドラクンクルスに、ゾフィーは軽く苦笑する。そんな中、急に現れた亜麻色のテントをじっと見つめ、エルマとシャルロッテは揃って満面の笑みを湛え、ハイタッチをする。


「やったね、エルマ! これなら雨とかの心配もしなくて良さそうだね!」

「シャルこそ、虫に怖がらなくて済みそうで良かったじゃない! あれ? もう虫は大丈夫なんだっけ?」

「ダメに決まってるでしょ! ……ああ、思い出させないでよ。体が痒くなってきちゃう」

「あはは、ごめんごめん!」


 そして、その笑みを消さぬままゾフィーへと振り返ったエルマは、彼女へと問いかける。


「先生! これ、入ってみてもいいですか?」

「え? ええ、もちろん。ただ、中には塔の魔女が残していったものも多数あると思いますので、くれぐれも慎重にお願いしますね」

「し、師匠の……! はい、一歩ずつ確認しながら入ります!」


 アンネリーゼの残したものとなれば、中には危険なものもあって当然である。彼女のことを良く知らないシャルロッテが先行しては、大きな危険が伴う。そのため、エルマが先にテントの中へと入ることとなった。


 ゴクリと喉を鳴らし、息を整える。周囲の木々の呼吸まで聞こえるほど集中した後、エルマは小さなテントへと手をかけた。しかしその時、ふと彼女の脳裏に疑問が浮かび上がり、またゾフィーの元へと振り返る。


「あ、あの先生。このテント、んですけど……これ、足の踏み場を探すどころか、入れもしないんじゃありませんか?」

「え?」


 そう、テントが異様に小さいのだ。二人はテントが急に出現したことに驚き、その事実に全く気付いていなかったのだが、円形のテントの大きさは、直径にしておよそ一メートル。トーチの加護を受けられる範囲内には収まっているものの、この大きさでは人ひとりが入るのもやっとである。


 その上、ドラクンクルスの話によれば、アンネリーゼの残していった釜も中にあるのだという。料理に使う小さなものならばともかく、錬金術を扱う釜が入っているとなれば、それだけでテントの中はいっぱいとなってしまうだろう。


 これでは、移動式の荷物入れに過ぎない。それでも充分便利ではあるが、エルマやシャルロッテにとっては完全にぬか喜びである。そういう訳で、やや表情を曇らせながらもエルマはゾフィーに訊ねたのだった。


 だが、ゾフィーはその質問を待っていたかのように、微笑みながら答える。


「大丈夫よ。まあ、足の踏み場があるかどうかは分からないけど、あなたが思っているような心配は無用よ」

「へ? そ、それはどういう……」

「開けてごらんなさい。そうすれば、すぐに理解できるわ」

「そ、そうなんですか。分かりました……」


 ゾフィーの自信たっぷりな返答を受け、エルマは首を傾げつつテントの入り口をゆっくりと開けた。すると、彼女の目に飛び込んできた光景は想像を超えたものであった。


「えっ……」


 思いもよらない世界に、エルマはただ言葉を失い呆然と立ち尽くす。無論、長らく使用されていなかったため埃やカビの臭いは少し強いものの、そこに彼女は驚いた訳ではない。見た目は直径一メートル弱ほどだったテントの中は、エルマの家と同じくらいの床面積があったのである。


 それも、亜麻色の布で覆われているだけだった壁や天井は、一軒家の一室と見紛みまごうほど綺麗に塗装されている。床も板張りで、ガラスのはめ込まれた窓までついている。これならばむしろ、エルマの家の内装よりも豪華であった。


 テントのドアを開け放したまま、目を点にするエルマの様子を不審に思ったシャルロッテも、彼女の脇から中を覗き込み、同じく絶句する。


「なに、これ……」

「広い、ね」

「う、うん。広いし、綺麗だね……」

「ふふ」


 そのやり取りを眺めていたゾフィーは小さく笑い、硬直したままの二人の肩へ手を置き、このテントに関する説明を始める。


「この『黄昏の天幕Unsichtbares Zelt』には特殊な魔法が施されていて、このように広い部屋が使えるのです。仕組みをお話ししますと、光学系の魔法と重力系の魔法を組み合わせ、歪ませた空間に魔法算術学によって導き出された数式を埋め込み————」


 この分野が大得意なゾフィーは意気揚々と語り始めたのだが、まだ話も序章という場面で、ドラクンクルスにより強引に打ち切られる。


「おい、もうやめとけ」

「はい? なんですか、人の話は最後まで————」

「いや、なんつーか……聞いてるの、俺様だけだぜ?」

「え……」


 そして、ドラクンクルスの指さす方向へ視線を移すと、テントの奥にはゾフィーを無視して探索を始めた二人の姿があった。完全に空回りした形となったゾフィーはガクッと肩を落とし、大きく溜息を吐く。


「ああ、なんと嘆かわしい。これほど魔法を緻密ちみつに組み上げたアイテムなんて、そうそう出会う事は無いというのに」

「いや、いきなりそんな話をされても困るだろ。嬢ちゃんたちにとっちゃ、理屈より興味優先だ。ま、俺様もそうだけどな」

「そ、そんな……」

「それに今は、早いとこ食糧とかの問題を片付けなきゃいけねぇ。だったら、そういう話は後でゆっくりすればいい。そうだろ?」

「……確かに、そうですね。さて、そうなればまずはお掃除から、でしょうかね」


 気を取り直したゾフィーは部屋の中央まで進み、エルマとシャルロッテを呼び止める。


「シャルロッテ、あなたは私と一緒にこの部屋の掃除をしましょう。さすがに埃っぽくて、このままでは泊まれそうもありませんからね」

「ですね……ベッドも結構カビてますし、ここで寝たら病気になりそう。でも、エルマはどうするんですか?」

「エルマには、錬金術で水や食糧が創れるのかどうか、それを検討してもらいます。まだ日没までは時間がありますし、必要な材料があれば今のうちに採れますからね。いかがですか、エルマ。可能ですか?」

「うーん……」


 ゾフィーに問いかけられ、エルマはじっくりと部屋を見渡す。釜は入り口から見て部屋の右奥にあり、錬金術自体は実行できそうである。やや古びており錆も目立つが、急に穴が開くような状態ではない。


「……できると思います。材料は、本を見てみますのでちょっと待っててください」

「そうですか。それは良かった」

「すごいなぁ、エルマ。話には聞いてたけど、本当にできるんだ。そのときは隣で見ててもいい?」

「う、うん、いいけど……でも、爆発とかすることもあるらしいから、あんまり近くない方が良いと思うよ。わたし、まだ錬金術は二回しかやったことないから不安だし」

「うげっ……そ、それは勘弁。じゃ、じゃあなるべく離れておくね!」

「そうしておきなさい。では、早速掃除を始めましょうか。エルマ、頼みましたよ」

「は、はい!」


 そしてシャルロッテ、ゾフィー、ドラクンクルスがせっせと部屋を片付ける中、エルマは必死の形相で一人アンネリーゼの本の熟読を始めた。前回とは違い、完全に一人で行なう初めての錬金術である。不安に押しつぶされそうになるのも当然だ。


 しかし、ここでエルマが諦めれば苦境に立たされることとなる。水や食糧を、魔物の闊歩する森林で集めなくてはならないのだ。そう考えれば、不安に負けている暇などない。


 必要な項目を一通り読み終えたエルマは、立ち上がって気合を入れ直すように小さく頬を叩いた。


「よし、これで大丈夫、かな。やるぞ!」

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