魔法の欠点

 『絶対術感』。それはゾフィーが説明した通り、一度聞いただけの呪文でさえも記憶して魔法を発動できてしまうという体質だ。そんなものを持つシャルロッテならば、小さなフォウレリの集団くらい吹き飛ばせて当然である。


「それって、耳が良い、ってことですか?」

「それだけではないわ。音感も含めて、人にはない感覚を持ち合わせているのだと思いますよ。シャルロッテ、あなたの家系に同じような人がいませんか?」

「……今はあんな状態ですけど、おじいちゃんがそうだった、って聞いたことあります。千の呪文を操った、とか……」

「なら、それを受け継いだのね。さすがマールブルグ一族、といったところかしら。しかし、とても興味深いわ……絶対術感が遺伝するなんてね」

「……」


 唸り声を上げながら考察するゾフィーを横目に、シャルロッテは小さく俯く。その姿に気付いたエルマはシャルロッテの傍へと駆け寄り、そっと手を握った。


「ありがとうね、シャル。わたしたちを助けてくれて」

「……結局、私の力なんかじゃないんだよ。私は、ただ一族の力を使ってるだけだから……」

「なにを言ってるの。助けてくれたのはマールブルグの血じゃなくって、シャルでしょ? わたしは、シャルに感謝してるの。一族とかじゃなくって、ここにいるシャルに、だよ。だから、ありがとう」

「エルマ……うん、そうだね。ごめん、ありがとう」

「ふふ、お礼にお礼を返されるって、なんだかおかしいね」

「確かにそうかもね。でも、いつもありがとう。エルマはやっぱり私の親友だよ」

「えへへ、そうかな?」


 エルマのフォローもあって、フォウレリの襲来により緊迫していた雰囲気は一気に緩和され、鬱蒼うっそうとした森の中でありながらも温かな空気が包み込む。そんな中、ゾフィーの話を聞いて関心していたドラクンクルスであったが、ふと一つの疑問を抱き彼女へと問いかける。


「なるほど、『絶対術感』なぁ……あん? そういや俺様だって何度も呪文は聞いてたし、復唱もしてみたこともあるけどよ、魔法は使えなかったぞ? その理屈じゃ、おかしくねぇか?」

「ん? ああ、そのことですか。決しておかしくなんかありませんよ。あなたは竜種なのですから、元来がんらい魔法を使う才が備わっていません。竜種はすべての力と引き換えに、永遠の命を手にしたのですからね。どれだけ正確に聴き取れようとも、それは無理なんです」

「そうなのかよ……んじゃあ、俺様は聞くだけ損ってことか?」

「まあ、端的に言えばそうなりますかね。しかし、魔法を行使できるということは、何もメリットばかりではありません。……シャルロッテ」

「はい?」


 そう言うと、ゾフィーはゆっくりとシャルロッテへ近づき、彼女の肩を軽く押した。すると、ほんの僅かな衝撃であったにも拘わらずシャルロッテはふらついてしまい、足元にあった木の根につまづき転倒してしまった。


「え? うわわっ!」

「シャル! だ、大丈夫?」

「ううー、いたた……もう、何するんですか先生!」

「……、こうなりましたか」


 思いがけない不意打ちに驚きつつ、シャルロッテはゾフィーを見上げて睨みつける。だが、一方で彼女は表情を変えず、まるで講義をするかのように淡々と説明する。


「この通り、魔法を使ったことで精神力が大きく削がれてしまうと、肉体にも悪影響が生じます。見た目にはそれほど変化はありませんけれど、きっと今は少し歩くだけで息が上がってしまうレベルにまで体力が落ちているはずですよ」

「そ、そうなんですか!?」

「ええ。本来なら、来週するはずだった授業でお話しする予定だったのですけどね。こうなってしまった以上、ちゃんと話しておかねばならないのですが……今はそう悠長なことを言っている場合ではないようですね」


 穏やかな表情を一転、険しいものへと変えたゾフィーは周囲の草むらを睨む。ざわざわと風により木々が揺らめく中であったが、どこか異質な雰囲気がかもし出されている。彼女の様子を見て、ドラクンクルスも同じくその空気を察知したようで、転んだままのシャルロッテを勢いよく引っ張り上げる。


「い、痛いよクルちゃん……」

「よっと。我慢してしっかり立てよ、大きな嬢ちゃん。……さて、確かに先生の言う通り、あまりいい状況じゃねぇな。これもアレか、魔法のデメリットってヤツか?」

「ええ。。このままここにいては、またいずれ囲まれてしまうでしょう」

「ええっ!?」


 そう、ちょうど村にいた頃、シャルロッテが上空に魔法を打ち上げた際、フォウレリを呼び寄せてしまったのと同じ状況なのである。今回はそれよりも派手さこそ無かったが、眩い光を放ってしまったことは事実だ。街灯に群がる羽虫の如く、魔物が集まるのも時間の問題であった。


「ど、どうしたらいいの!? また戦うしかないの……?」

「静かに。……クルちゃんさん、案内を頼めますか? 私はこの子を背負っていきますので、先導をお願いしたいのですが」

「だから気安く呼ぶなって……ま、仕方ねぇ。先頭は任せておけ。ただし————」

打撃斬撃だげきざんげきの通用しない相手には敵わない、でしたか? 構いませんよ、のある場所にさえ辿り着けば、それで」

「そうかよ。んじゃ、せいぜい早くついて来いよ!」

「と、とーち……? うわっ!」


 そして、自由に身動きのできないシャルロッテを背負ったゾフィーは、呆然とするエルマの手を引いて走り出す。邪魔な枝葉を先導するドラクンクルスが切り裂き、その細い隙間をどうにか駆け抜けてゆく。


「それっ! おうりゃあ!」

「はぁっ! はぁっ! あ、足がっ!」

「我慢しなさい。この状況では、急がねばじり貧となるだけですから。トーチまで辿り着けば、少し落ち着けるでしょう」

「うう……」


 大きな腹を揺らしながら、しかし全く息を切らさずに森林を駆け抜けるゾフィーに驚愕しつつも、エルマは黙って彼女たちの後を追う。そのまましばらく走り続けると、少しだけ開けた場所へと辿り着いた。


 周囲に木々のない、空が一望できるような小高い丘だ。やや背の高い雑草が風になびくだけで、魔物の気配は今のところ感じ取れない。そんな中、丘の中央に刺さった奇妙な棒の元へとゾフィーは向かった。身動きの取れないシャルロッテを背負い、息を切らせたエルマを置き去りにしたままに、である。


 その光景を目にしたエルマは額から落ちる汗を拭いつつ、奇妙な行動をとるゾフィーへと問いかける。


「あの、先生! な、なにをしてるんですか? それに、その棒は何ですか?」


 しかし、質問したはずのエルマに対し、ゾフィーはその問いに答えることなく彼女をかすように告げる。


「何をしているの、エルマ。こちらへ早くいらっしゃい。この周囲にいれば安全なのですから」

「え、ええ? どういうことなんですか?」

「ほら、早く!」

「う……」


 もう一歩も動きたくないエルマであったが、ゾフィーの剣幕にされて奇妙な棒の周囲へと歩み寄る。芯はしっかりとしており、ちょっとした風では倒れそうもない灰白色の棒だ。だが、棒と呼ぶにはあまりにも人工的である。どちらかといえば、モニュメントと呼ぶ方が適切だ。


 訳も分からず、そのモニュメントへと近寄ったエルマの目の前で、ゾフィーはシャルロッテをその背から降ろし、軽く精神を集中させて呪文を唱えた。


「はぁ……いきますよ。我らに安らぎを与えよDona nobis pacem!」

「え? わ、わぁっ……!」


 すると、ゾフィーが呪文を唱えるのと同時に、モニュメントの先端に炎が灯り、そしてその半径五メートルほどまでが青白い光に包まれた。その中に入ってしまったエルマとシャルロッテは驚きつつも、どことなく安心できるような光に、思わず笑みを浮かべる。


「こ、これって何ですか? なんか、とっても温かいような……」

「確かに、なんか落ち着く……それに、ちょっと力が戻ってきた、かも?」


 疑問を口々に話す二人へ、少しだけ疲れたような顔を見せたゾフィーは、息を整えて彼女たちの質問に答える。


「ふぅ、これでもう安心ですね。これが『トーチ』と呼ばれるものです。これに先ほどの呪文を唱えると、このように炎が灯ります。この光には、魔物や厄災を払う力があるとされていまして、この範囲内にいれば体力も回復できますし、通常の魔物には襲われることはありません」

「そ、そんなすごいものだったんですね! これも、調査隊の人たちが残していったものなんですか?」

「いいえ。これ自体は、古来より存在していたと言われています。このトーチを研究する人間も州都にはいますが、今のところ詳細は分かっていません。最新の研究では、人類が魔法を得る前の道具だという話ですけれど……そんなもの、確かめようがありませんからね」

「へぇー……」


 そう返しつつも、エルマは途中からゾフィーの話を耳に入れておらず、トーチの炎をじっと不思議そうに眺める。


「なんだか分かんないけど、すごいなぁ……それに綺麗だね!」

「うん。なんていうか、とてもホッとする。家にいる時とはちょっと違うけど、不思議と安心できるかな。今なら走れそうかも!」

「それは良かったです。でも、今日はこの辺りで一度キャンプとしましょうか。まだ日は高いですけれど、あなたたちには教えておかねばならないことが多いようなのでね。それと、食糧の確保もしなければなりませんからね。食べるものがなければ、その時点で終わりですので」

「う……な、なんか一気にサバイバル感が出てきた感じが……」

「サバイバルなどではなく、これは現実ですよ。さて、まずは水の確保を、と……おや、クルちゃんさん? どうされましたか?」


 トーチの様子を確認しつつ、立ち上がったゾフィーはずっと黙したままのドラクンクルスへと訊ねる。彼女の問いかけに対し、ドラクンクルスは大きく首を捻りながら返す。


「なんで食糧とか水を探さなきゃいけねぇんだ?」

「は、はい? いや、それは当然でしょう。永遠の命を有する竜種ではありませんので、我々にとって食糧や水は必須なのです。まさか長く生き過ぎて、そんなことも忘れてしまったのですか?」

「違ぇよ。俺様が言いたいのは、わざわざ探さなくったって、創れるヤツがここにいる、ってことだ。なあ、エルマ?」

「へ?」


 不意に話を振られ、エルマは目を丸くしてドラクンクルスを見つめる。だが、彼は決して冗談を言った訳でも、からかった訳でもなかった。紛れもない本心で、そう言ったのである。


「いや、魔女の弟子である嬢ちゃんなら、水や食糧くらい創れるだろうさ。錬金術を使えば、な」

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