帰る場所

 それから間もなくし、ヴィルヘルムに連れられたエルマは自宅へと戻った。道を行く間、二人の口数は少なく、晴れ渡った夜空から差し込む月光をその瞳に映すこともなかった。まるで、重い十字架を背負ったかの如き様相である。


 家の前までエルマを送り届けたヴィルヘルムは、毛髪の少ない頭を掻きつつ心配げに問いかける。


「エルマ。もし言いにくいなら、俺から話そうか? 二人とも、そう簡単には受け入れられないだろうし……俺の口から伝えれば、きっと————」

「いえ、大丈夫です、先生。わたし、ちゃんとお話しするので」

「いや、しかしだな……」


 表情こそ暗いながらも、しっかりと我を通すエルマに思わずヴィルヘルムは口籠くちごもる。そんな彼の顔が少し可笑おかしかったのか、エルマは柔らかく微笑ほほえみつつ、家の扉へと手をかける。


「先生、わたしのことは良いんです。それに、明日からまた授業が始まっちゃうでしょ? 早く寝ないと、先生もきっと遅刻しちゃうよ?」

「な、何を言ってるんだ! エルマじゃあるまいし」

「あはっ。そうですよね、先生が遅刻なんて有り得ないですもん。……でも、本当に大丈夫ですから、気にしないで帰ってください。助けてくれて、ありがとうございました」

「そう、か……分かった。じゃあな」

「はい」


 背を向けたヴィルヘルムは、一度だけ振り返りエルマの表情をじっと伺うと、大きく溜息を吐いてまたきびすを返す。その一方で、彼の姿が闇に溶けるまで見送ったエルマは、浮かべていた作り笑いを消し、震える手で扉を開けた。


「ただいま……」

「っ! エルマ!」


 エルマが家の中へ入ると、テーブルを囲むように座っていたレオポルトとハンナは勢いよく立ち上がり、まっすぐに彼女の元へと駆け寄る。夕食時であったが、食卓に料理の影は見当たらない。二人とも、一切食事をすることなく彼女の帰りを待っていたようだ。


「ああ、おかえりエルマ! 無事だったんだね、良かった……」

「このバカ娘! どこまで心配かければ気が済むんだい!」

「ごめんなさい、お父さん、お母さん」

「謝って済むものか! もう二度と、こんなことはしないでおくれ!」

「うん、そう……だね」


 大いに安堵するレオポルトとは対照的に、ハンナは憤怒ふんぬ形相ぎょうそうを浮かべて怒鳴る。だが、二人の目には涙が滲んでいたことを、エルマは見逃さなかった。いつもならばハンナの勢いに尻込みをしてしまうエルマも、このお陰で黙ることなく素直に謝罪することが出来たのである。


 しばらくして、二人が少し落ち着いてきたタイミングを見計らい、エルマは事の顛末てんまつについて話し始める。もちろん、アンネリーゼやドラクンクルスの件は伏せつつ、自らに下された処分に至るまでを、事細かに。


 口を挟むことなく、二人はじっとエルマの話に耳を傾ける。遠くの波音や虫の声さえも響くほど、真剣に聞き入っていた。


「……それで、一年間だけだけど、わたしとシャルは村から出ることになったの。わたしの勝手な行動のせいでこんなことになって、本当にごめんなさい」


 謝罪の言葉を以て締められた話を聞き終え、レオポルトは天井をただ仰ぎ、ハンナは逆にうつむき手で顔を覆った。自分たちのやり方が少々強引であったとはいえ、愛娘を急に手放すことになってしまったのだ。やりきれない想いに駆られ、絶句してしまうのも無理はない。


 しかし、エルマの危惧していた『魔法を行使したこと』に対する指摘すらも無かった。家に縛り付け、学校にも通わせないと明言するほどであったにも拘わらず、彼女がミレリーで行なったことについて、二人は何も言及して来ない。それに驚いたエルマは、躊躇ちゅうちょしつつレオポルトへ小さく訊ねる。


「えっと、お父さん? その……わたしが魔法を使ったこと、怒ってないの?」

「……それはそうさ。無闇に使っていたのならば怒りもしただろうけど、そうじゃないんだろう? 命の危険からエルマを守るために禁止していたのに、それを守って命を落としたんじゃ、何にも意味がないからね。そこはもう関係ないよ」

「そ、そうなんだ……」

「そうとも。今回の件は、父さんたちが一番悪いんだ。だから、お前は何も気にしなくていい。ああ、もちろん禁を破ったことは反省しないとね」

「う、うん。それは分かってる」


 弱々しくも優しく指摘するレオポルトに、エルマは彼の目を見つめながら返す。その言葉に頷きつつ、彼はまた視線を天井へと向け、眉間に皺を寄せる。


「それならいいんだ。でも、そうだな……これは覚悟を決めないとな」

「えっ?」

「そうね……いくら何でも女の子二人を追放だなんて、死ねって言ってるようなものだもの。あなたがそう決めたのなら、私も付いていくわ。今さら新しい街へ移るのは怖いけど、仕方ないもの」

「ちょ、ちょっと待って二人とも! さっきから、何を言ってるの?」


 頓狂とんきょうな声を上げて話に割り込むエルマへ、二人は怪訝けげんな顔つきで彼女を見つめる。


「何って、そりゃあ……父さんたちも一緒に村を出るんだよ。当然だろう?」

「ど、どうして? 追放になったのはわたしとシャルなんだから、二人はここにいてもいいのに!」

「なーに言ってるんだい! アンタ、未だに一人で朝も起きられないじゃないか! そんなんじゃ、シャルちゃんに迷惑かけちまうだろ。第一、村の外は危険でいっぱいなんだ。アンタたちだけで生きることなんか出来ないね」


 ずっと沈黙したままであったハンナも、エルマの現実を見据えていない発言を受けて普段の調子を取り戻したかのように、早口でまくし立てる。その勢いに気圧けおされつつも、立ち向かう強さを得たエルマは小さい声で反論する。


「ち、違うよ。追放になったのは、わたしとシャルだけど……ゾフィー先生が州都まで付いてきてくれるみたい、なの……」

「先生がぁ? どうしてまた?」

「えっと、州都にある学校へ転校させてくれるんだって。才能があるから、って」


 その話を聞いた途端、ハンナは大きな口を開けて笑い出し、レオポルトも顔を引きらせて首をかしげる。


「アッハッハ、そんな訳があるものかい! シャルちゃんはともかく、アンタは遅刻常習犯で成績も悪いじゃないか! どんなコネを使ったって、それは無理があるよ!」

「う、うん。悪いけど、父さんもそう思うなぁ。それに、州都の学校っていったら、相当レベルの高い子たちが集まる名門だよ。今の学校でも辛い思いをしてるなら、ちょっと無理じゃないかな……」

「う……」


 ぐうの音も出ない正論に、エルマはすっかり自信を失い涙目となる。彼女の姿を見て、さすがに気の毒に思ったのであろう。ハンナは大きく息を吐き、厳しい視線を向け直す。


「まぁどっちにしろ、親に何も言わず娘を連れだそうとするなんて、感心しないね。それに確か、その先生はアンタにを与えた人じゃなかったかい? そんな人の話を、簡単に信じる訳にもいかないね」

「それは言い過ぎだよ! 先生がいなかったら、わたしは自分の才能に気付けなかったと思う。それに、実際に錬金術が使えたんだもん! 先生の見る目は確かだよ!」

「見る目なんか関係ないさ。重要なのは、信頼できるかどうかだ。アンタ、本当に先生を信じるつもりなのかい? 会ってからひと月くらいしか経っていない人の方が、親よりも信用できるってのかい?」

「それは————」


 コン、コン、コン


「ん……?」


 言い返そうとした矢先、不意に家の扉がノックされエルマは咄嗟とっさに口をつぐむ。興奮気味であったハンナも、突然の来訪者に驚きを隠せず、表情を強張らせたまま身を固まらせ、家の外にいる人物へと問いかける。


「なんだい、こんな夜に……は、はーい! どちら様ですか?」

「夜分に失礼します、臨時教員のゾフィーです。エルマさんの件で、ぜひお話ししたいことがございまして。よろしいでしょうか」

「なんだって?」


 あまりにもタイミングよく訪れたゾフィーに、思わず三人そろって顔を見合わせる。ただ、エルマにとってこの急な来訪は好都合であった。エルマも実際のところ、シャルロッテだけでなくどうして自分も州都へ案内してくれるのか、それを知らなかった。その理由を聞けるし、ゾフィーが両親の信頼を得るいい機会である。


 そのため、困惑するレオポルトとハンナの意見を聞かず、エルマはゾフィーを家の中へと招き入れた。


「先生! 大丈夫です、どうぞ入ってください!」

「そうですか。では、失礼します」


 ゆっくりと扉を開け、ゾフィーは家の中へと足を踏み入れる。そして、エルマとその両親の姿を目に捉えると、まるで先ほどの会話が聞こえていたかのように深々と頭を下げた。


「こうしてご挨拶するのは初めてですね。魔法学を担当、ゾフィー・メガロサイトと申します」

「あ、ああ……ご丁寧にどうも。私がこの子の父、レオポルトで、こちらが母のハンナです。ええと、それでお話というのは、もしやこの子の件ですか?」

「ええ、もちろん」


 表情こそ温和に対応するレオポルトに対し、ハンナは睨むようにゾフィーの一挙手一投足を見つめる。その視線に全く物怖じすることなく、ゾフィーはレオポルトに劣らぬ柔和な笑みを浮かべ、非常に穏やかな口調で切り出す。


「時間も遅いですし、手短にお話をさせていただきます。エルマさんから伺っていると思いますので、経緯は省きますが……彼女を、州都にあるへと連れて行きたいと思っております」

「ぎ、技術院、ですか……?」


 思いもよらない単語が飛び出し、レオポルトとハンナは呆気に取られてまた互いに顔を見合わせる。しかしその一方で、二人とは異なる疑問を抱いたエルマは素直にゾフィーへ問いかける。


「えっ、学校に行くんじゃないんですか!?」

「当然です。ご両親を前にして言うのは失礼ですが、あなたの成績ではちょっと……」

「いえいえ、それはそうでしょう。そこは我々もよく分かっております。むしろ、この子がいつも迷惑をおかけしてすみません」

「ちょ、ちょっと! どうしてそんなところでしてるの!」

「……自宅でも、この有様でして」

「……ええ、ご苦労をお察ししますわ」

「え、ええ……?」


 納得のいかない様子のエルマをよそに、気を取り直すように一つ咳払いをしたレオポルトは、聞き馴染みのない施設について問い尋ねる。


「ええと、失礼しました。それで、その技術院というのは?」

「そうですね。一言でいえば、魔法や古代の技術に関する研究を行なう公的な施設です。エルマさんの魔法に関する才能は頭抜けていますし、しかるべき訓練を積めば、この村だけでなく州にとって大きな財産となるでしょう。ですので、その許可をいただきたく、こうしてお話しを————」

「それは出来ませんね!」


 すべて言い切らぬうちに、ハンナは彼女の申し出をきっぱりと断った。あまりの決断の早さに目を丸くしながらも、ゾフィーは冷静にハンナへと聞き返す。


「……突然のことですし、受け入れ難いのは当然でしょう。しかし、このまま彼女を遊ばせておくのは、彼女自身にとってもあまり良いことだとは思えないのですが」

「いいえ! 先生はご存じないんでしょうけどね、私たちは魔法を嫌っているんですよ。一族の呪われた血のせいで、どれほど身内を失ってきたことか……この子のことを気にかけてくれて嬉しいですけどね、それだけは絶対に許可できません!」


 ゾフィーの胸倉を掴み掛かりそうなほど、いきり立つハンナを制しつつ、レオポルトも静かに異を唱える。


「落ち着きなさい、ハンナ。……でも、彼女の言う通りです。私の家系は代々、魔法を暴発させやすいのです。まるで、呪いが掛けられているかのように。ですので、魔法の研究機関だか何だか知りませんが、そんなところにエルマは送れません。これは、彼女自身の命にかかわる問題ですので」

「一族の血、ですか……なるほど。それは確かに、気になってしまいますね」

「ええ。ですので、申し訳ありませんが……」


 完全に拒絶されたゾフィーであったが、心配そうに見つめるエルマを一瞥いちべつし、なぜか笑顔で返答する。


「でしたら、エドワードシエラという一族の体質自体も、技術院で見てもらえばよいのではありませんか?」

「へ?」

「魔法を暴発させやすいならば、必ず何らかの原因がどこかにあるはずです。それを突き止めさえすれば、何も問題はないでしょう。どうでしょうか、それを先にクリアするという条件付きで、彼女を私に預けさせては貰えませんか? 上手くゆけば、一族の呪いとやらも解除できるかも知れません」

「……」


 思わぬ提案に、レオポルトは押し黙る。顔を真っ赤にしていたハンナも、反論の材料が見つからず口籠る。


 そんな中、ずっとこのやり取りを見届けていたエルマは急に立ち上がり、大きな声で自分の意思を告げた。怒りや悲しみに塗れたものではなく、心の内に宿した純粋な思いの丈を。


「お父さん、お母さん。やっぱりわたし、州都に行きたい」

「エルマ……」

「もちろん不安だよ。不安だけど、先生たちが一緒だったら平気。一年だけ、ここで待っててくれないかな。わたし、この家が好きだから。笑顔で帰って来れるように、二人には応援してほしいの。……ダメ、かな?」

「……そう、か」


 その言葉を聞き、大きく息を吐いたレオポルトは目を瞑り、深く頷く。そして、顔を上げた彼はゾフィーへと真剣な眼差しを向ける。


「分かりました。至らない娘ではありますが、よろしくお願いします」

「あなた……」

「お父さん! それじゃあ……!」

「ああ。大人しかったエルマがそこまで言うなら、仕方がないよ。……でも先生、一つだけ。これだけは必ず守ってください。絶対に、ここへ帰って来ると」

「ええ、もちろんですわ。私の命に代えても守り抜きます」


 その返答に満足したレオポルトは、立ち上がりゾフィーへと手を差し伸べる。面を食らったゾフィーであったが、すぐにその意図を理解し同じく手を伸ばし、固く握手を交わした。


「頼みますね、先生」

「はい。……それでは明日の朝、迎えに参りますので。それまでは、ぜひ家族でゆっくりと語り合ってください」

「フン。そんなもの、指示されるまでもありません。当然、そうさせてもらいます!」

「ふふ、そうですか。では、お邪魔虫はこの辺で退散いたしますわ。貴重なお時間を、ありがとうございました」


 そう言い残し、ゾフィーは家を出て行った。彼女の姿が消えてからも少しの間だけ静寂が続いた後、ハンナは自らの太腿ふとももをパチンと叩き、勢いよく立ち上がる。


「さーて、さっさとご飯にしましょうか! 明日から大変になるんだから、今日はたくさん食べなさいよ! 残したら許さないからね!」

「え、ええっ!?」

「はっはっは、これは大変だ! エルマ、さっそく一つ目の問題がやってきたようだぞ!」

「うう、なんでそんなに嬉しそうなの……」


 そういって俯くエルマを見て、ハンナとレオポルトはまた大きく笑った。暗闇が村を包み込む中で、この家だけは眩い光と明るい会話で満ち溢れる。まるで、一年分の光を一晩に凝縮したかのように。

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