強敵との戦闘

 治癒薬を使用したとはいえ、まだ完全に治ったとは言えない状態にも拘わらず、エルマは走り続ける。足元に転がる瓦礫につまづこうと、転んで膝を擦りむこうと関係ない。ただひたすらに、親友シャルロッテの声のする方向へと駆ける。


「そろそろ地上だぜ、嬢ちゃん! この岩の先だ、押し開けろ!」

「はあっ! はあっ! ……よい、しょっと!」


 ドラクンクルスの指さした岩盤の蓋を力の限りずらし、僅かに生まれた隙間を潜り抜ける。その刹那、まばゆい光がエルマの目に飛び込み、目を細くしながら周囲を見渡す。


「はあ、はあ……こ、ここは?」

「嬢ちゃんの落っこちてきた辺りだな。それはともかく、さっきから声が聞こえねぇな……まさか、間に合わなかったか?」

「そ、そんな……ゲホッ」


 焼けるように痛む胸をさすりながらも、必死に耳を澄ます。海岸線に近いこともあり、どうにも波音やミレリーの間を縫う風の音が邪魔をする。だが、そんな中でもエルマは諦めない。


「どこ……? シャル、声を……出して。お願い……!」

「……」


 彼女の剣幕に、ドラクンクルスも翼をたたみ雑音を極力なくし、息さえも止める。その甲斐あってか、ざあっと二人の間を一陣の風が吹き抜けた時、微かにシャルロッテのものと思わしきうめき声が彼女たちの耳に届いた。


「い、今の声! シャル、待ってて!」

「止まれ! そっちは床がもろいんだ、こっちを迂回しろ! 俺様は先に向かってるからな!」

「わ、分かった。お願い、クルちゃん!」


 最短距離はドラクンクルスに任せ、エルマは彼の指示通り大岩の立ち並ぶ細い通路を抜ける。その間も、まだシャルロッテの声は響いている。ただし、あまり猶予のある状態ではないと捉えた方が良い。


 叫ぶのではなく、呻いているということはつまり、声を絞らざるを得ない状況にあると言えるのだ。生命の危機に瀕しているといっても過言ではない。


「くっ……」


 その苦痛にあえぐ声を聞き、焦りながらエルマは大岩群を抜ける。そしてようやく、彼女はシャルロッテをその視界に捉えた。


「シャル! うっ……!?」


 少しひらけた場所に躍り出たエルマは、シャルロッテの前に立ち塞がる魔物を前にし、僅かにたじろぐ。それもそのはず、彼女を襲っていた魔物は身の丈で二メートルはあろうかという巨体の、しかし全身を骨のみで構成する化け物であったのだ。


 その上、右手には大きな骨でできた剣が握られ、左手で捕縛していたシャルロッテを、まさに貫こうとするところであった。


 幸運にも先行させていたドラクンクルスが魔物の視界を飛び交い、気を散らせたお陰でまだ剣は振り下ろされていないものの、それも時間の問題だ。彼の飛行能力は、決して高いものではないからだ。


「エル、マ……」


 その最中、薄っすらと目を開けたシャルロッテはエルマを見つけ、僅かに頬を緩ませる。自分のせいで親友を亡くしたものと思っていたシャルロッテにとって、これほど嬉しい再会は無い。ただ、どこかで体を痛めたのか、もう抵抗する力は残されていないらしい。


 そんな彼女の姿を見て我に返ったエルマは、先ほどアンネリーゼから受け取ったばかりの、魔物を退ける力があるという道具を手にし、勢いよく投擲とうてきする。


「や、やああっ!!」

「!」


 エルマの声に反応した魔物は即座に振り返るも、投げつけられた道具はすでに魔物の体へと直撃した後であった。魔物とぶつかったその道具は強い閃光を放ち、そして轟音を立てて炸裂した。


「ヴォッ!?」

「きゃあっ!」

「うっ……!」


 周囲は完全に光と高音に包まれ、すべてのものの視覚と聴覚が奪われた。そう、アンネリーゼがエルマに手渡したのは閃光弾フラッシュバン……殺傷能力は非常に低いものの、逃げる隙を生むには重宝する武器であった。


 ただし、不死アンデッド系の魔物に対してはあまり効果を得られない。彼らには視覚も聴覚もないため、多少ひるみはすれど、驚かせて逃走させるほどの作用はないのだ。


「チッ、あのバカ魔女め!」


 光が未だに消えぬ中、アンネリーゼが手渡したものの正体を知ったドラクンクルスだけは素早く動き、一瞬の隙をついて魔物の左手に一撃を加える。


「そらよっ、と!」

「ヴォォ……!」


 数メートル上空から一直線に、左手へと放たれた尻尾による打撃で魔物はバランスを崩し転倒した。その拍子に、魔物の手から抜け出せたシャルロッテはくらむ目を擦りつつ、先ほどエルマがいた方向へと、力の限り走り出す。


「エルマぁ!」

「うっ……シャル?」


 徐々に光が消え失せ、ようやくまともにエルマの視界が戻った時、顔をぐしゃぐしゃに変えながらシャルロッテが飛び掛かる。反射神経の悪いエルマは、そのまま彼女に抱き着かれて地に倒れる。


「良かったよぉ! 生きてて、本当に良かった!」

「いたた……ちょっとシャル、それはこっちのセリフだよ! もう、本当に心配したんだから……!」


 そう言って涙を零し合うのも束の間、閃光弾による光が完全に消えたタイミングで骸骨の魔物はエルマたちの方向へと振り返り、体勢を立て直し、剣を構えた。まだ獲物を仕留める気は損なわれていないらしい。


「ヴヴヴ……!」

「っ!? シャル、離れて! まだあの魔物、私たちを狙ってる!」

「う、うそ……」


 零していた涙を拭き、慌てて身構える。しかし、そうしたところで圧倒的な力を誇る相手であることを、既に身に染みるほど理解していた彼女たちは、どうすることも出来ずただ足を震わす。


「くっ……逃げろ、二人とも! こいつは足が遅い、岩陰に隠れて逃げればどうにか————ぐおっ!」

「ヴォォッ!!」


 尻尾による一撃を喰らわせたドラクンクルスであったが、もう彼には体力が残っておらず、魔物により軽く薙ぎ払われ瓦礫の山へと吹き飛ばされていった。邪魔な蠅を追い払い終えた魔物は、じっくりと二人に狙いを絞る。


「ひっ……」

「ま、まだだよ。もう一個、師匠から貰ったこの力、思い知れっ!」


 シャルロッテの前へと一歩進み出たエルマは、また閃光弾を手に持ち、振りかぶって魔物へと投げつける。だが、同じ手を喰らうほどこの魔物は愚かではなかった。


「ヴォッ!」

「ああっ!」


 一直線に飛んで行った閃光弾は、構えていた剣により彼方へと打ち返されてしまった。これでは、余程の剛速球でない限り魔物の体に当てることは不可能だ。無論、当てたところで大したダメージにはならない。


 もはや、彼女たちに残された選択肢はドラクンクルスの提示したもの以外に無いのだが、もうエルマもシャルロッテも体力的に限界であり、加えて摩耗した精神が彼女たちの足を地に縛り付けてしまっている。万事休す、である。


「ヴヴヴ……」


 じりじりとにじり寄る魔物を前にしても、二人は震えるだけで動けない。このまま、魔物に軽く蹂躙されて一生を終える。そんな未来が二人の脳裏によぎる。


「だ、ダメ……もう、終わり……」

「うう……」


 充分に距離を詰め、魔物は大きく剣を空へ掲げる。そのまま打ち下ろせば、あっという間に二人分の遺体が出来上がる、はずだった。


 だが、そんな時。痛みを予期し、手にしていた杖を盾代わりに前へと差し出し目を瞑ったエルマの耳へ、小さな声が響く。



 ————『骨よ、砕けよEta nohpso hpsibni



「……『骨よ、砕けよEta nohpso hpsibni』?」


 どこからともなく聞こえたその声を、エルマは思わず復唱した。少し前の授業中と同じく、何の願いも込めず、ただ聞こえてきたままに。


 しかし、彼女がその言葉を唱え終えた瞬間であった。


「えっ————」


 つい先ほど、自らの手で生み出した杖の先端から赤、青、白と三色の光が放たれ、それらが一つの光線となり、骨の魔物の体を貫いた。


「ヴ、ヴォォォッ!?」


 突然、全身を貫く光を放たれたことで魔物は一歩だけ退いた。とはいえ、閃光弾を喰らった時と同様に僅かに体勢を崩すのみで、見た目に然したる影響はない。


 だが、それも束の間。反射的に魔物が剣を振りかざそうと腕を動かした途端、その手にしていた剣はけたたましい音を上げて地面へと落下した。


「ヴ……?」


 何が起きたのか理解しようと、魔物は右腕を上げる。しかしそこにはもう、彼の右腕は存在していなかった。粉のようなものが周囲へと漂うだけで、彼の意志により動かせるものは消滅していた。


「ヴ、ヴォォッ!?」

「え……?」


 最期の時を迎えるものだと思っていた二人も、魔物の異変に気付き顔を上げる。すると、彼女たちの目の前で骨の魔物はみるみるうちに砂へと姿を変え、呻きとも悲鳴ともつかぬおぞましい雄叫びを上げ、魔物は消えていった。


 穏やかな海風が、呆然と佇む二人の頬を撫でる。その風に乗り、かつて魔物であった砂はサラサラとどこかへ消え去ってゆく。まるで何も存在していなかったかのように、あの魔物の跡形は微塵も残っていない。


 その様子を黙って見届けた二人は、ゆっくりと顔を見合わせる。


「え、っと……どう、なったの?」

「わ、分かんない。分かんない、けど……勝った、のかな?」

「そう、なのかな……」


 二人は実感を得られぬまま抱き合い、しばらくそのままじっとしていると、急に大きな声が周囲へと響き渡る。


「エルマー! シャルロッテー! どこだー!!」

「あ、あれ……?」

「誰だろう?」


 その声に、二人はじっと耳を澄ます。未だに現実を受け止めきれない二人は、それが聞き馴染みのある人間による声であると気づけなかった。もちろん、気づいたところでもう遅い。彼女たちの失踪は、すでに村の住人すべてに伝わっていたのだから。


 そして、徐々にその声の主が近づくにつれ、二人は示し合わせたように声を上げる。それは、不安を払拭できた時のような歓声ではなく、最悪な展開を迎えた時のような叫声きょうせいであった。


「ヴィル先生!!」


 そう、二人を探していたのは二人の通う学校の教師、ヴィルヘルムである。

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