初めての錬金術

 レシピ通り石炭を入れ、かき混ぜること数分。魔力の満たされた純度の高い地下水を通じて木片に色がつき始め、やがて水も木片も真っ黒に染まった。釜の中を確認したエルマは小さく頷き、先ほど拾った赤い宝石へ願いを込める。


「お願い。上手くいって!」


 そして、ポチャンという小気味の良い水音と共に、黒色の液体の中へ赤い宝石は消えていった。間髪入れず、エルマは釜の中へと棒を伝わせて魔力を注ぎ込む。


「ふぅー……」


 全身に自然の呼吸を取り入れるエルマを目にし、ドラクンクルスは感心したように呟く。


「すげぇ集中力だな……脚だって痛いはずなのに、脂汗ひとつかいてねぇ。これはもしかすると……」

「よしっ、と! ん? クルちゃん、何か言った?」」


 その呟きに振り返ったエルマに対し、ドラクンクルスは慌ててそっぽを向き悪態をつく。


「き、気にすんじゃねぇ! まだ終わってねぇんだろ?」

「あ、うん……そうだね、ここからが大事だもん。ありがとう」

「……」

「……?」


 彼の様子にエルマは首をかしげつつ、再度釜の方へと視線を移す。そのまま棒で軽く数回水をかき混ぜ、また魔力を注ぐ。石炭を入れた時のような波濤はとうの如き勢いではなく、雫を一つ一つ落とすような、根気のいる繊細な作業だ。


「ゆっくり、焦らず……馴染なじませる感じで、静かに……」


 魔力の満ちやすい鉱石、それも宝石のような繊細な石の場合、勢いよく魔力を注ぐと破損してしまう。先ほどのページにその記載はないが、始めの章『錬金術の基本』にはそれが記述してあった。エルマは、それをしっかりと覚えていたのだ。


 何事も、基本をないがしろにしてはいけない。料理をレシピ通りに作ろうとしても上手く行かない人には、往々にしてこういう努力が不足しているものだ。エルマはその小さな努力を怠らなかったのである。


 もちろん、基本を身に付ける実践の場は無かったため、ぶっつけ本番であることには変わりない。しかし、着実にシミュレーションしていたエルマにとっては、そう難しいことではなかった。


 そして、集中力を切らすことなく十分程度は経過しようとしていた、その時であった。


「……ん? おおっ!」


 黒かった液体が一気に白く鮮やかに輝き出し、周囲を眩い光が包む。その後、釜の中へと光が収束してゆき、一つの長い物体が突如として姿を現した。


 透明感のある淡褐色で、上部に大きな赤い結晶が嵌め込まれた杖だ。薬液などは全てこの杖に吸収されてしまったようで、釜の中にはこれ以外なにも残っていない。


 まぎれもなく、完成である。


「で、でっきたー!」


 一瞬の間の後、歓喜したエルマは杖を取り出すと空へ高く掲げた。僅かな光を受けて、赤い宝石がキラリと輝いている。その眩さに少し目を細くしたドラクンクルスは、先ほどとは打って変わって落ち着き払った様子で彼女へと話しかける。


「本当に完成させやがるとはな。なかなか見込みがあるんじゃねぇか?」

「へへー、でしょー?」

「しっかし、杖にしちゃあデカいな。俺様の持ってきた板が、ちと大きかったか……」

「大丈夫だよ。歩く時、ちょうど支えになってくれるし。……ありがとうね、クルちゃんのおかげで完成出来たんだよ」


 そう言って、エルマはドラクンクルスの元へと歩み寄り、笑顔で彼の頭を撫でる。突然のことに彼は戸惑いつつも、素早く彼女の手を払い睨みつける。


「さ、触んじゃねぇよ! それに、まだ魔女が認めてくれた訳じゃねぇんだからな。そら、早く見せてやれ」

「あ、そうだったね! よ、よーし」

「やれやれ……」


 呆れるドラクンクルスを背に、エルマはゆっくりと杖をつきながらアンネリーゼの元へと向かう。そして、集中し釜をかき混ぜる彼女へ杖を差し出す。


「アンネリーゼさん! これ、どうでしょうか!」

「……」

「あ、あのぉ?」

「……」

「アンネリーゼ、さん……?」

「……」


 しかし、アンネリーゼは差し出された杖に対し視線を向けることなく、それどころか彼女の声すらも聞こえていないように、完全に無視を続ける。彼女の態度に困り果てたエルマは、泣きそうな顔でドラクンクルスへと振り返る。


「く、クルちゃん……どうしよう。わたし、ダメなのかも……」

「ま、まぁ……俺様には分からねぇが、それを杖とは認められないとか、そういうことなんじゃねぇか? 分かんねぇけど」

「そ、そんなぁ……」


 だが、そんな彼女に対し、アンネリーゼはイライラと声を荒げる。


「何をしてるんだい! 手伝うんなら、早く手伝っとくれ!」

「え……?」

「まったく、女が簡単に泣き言を零すんじゃないよ。いいから、さっさと魔力を注ぎな。グズグズしてると日が暮れちまうからね」


 ブツブツとまだ文句を言うアンネリーゼに対し、エルマは溢れ出る感情を抑えきれず、満面の笑みを浮かべてすぐに杖を大釜の中へと向ける。


「す、すみません! わたし、頑張りますね!」

「はぁ、まったく。ドラクンクルス、お前も黙ってないで、そこのを支えてやんな。男ってのは、黙って女を支えてやるもんだろう?」

「へいへい、魔女様の言う通りに」


 そして三人は一つの大釜の前に集い、一致団結して治癒薬の完成へと注力する。暗闇の空間であるがゆえに、どれほどの時間が経過したのかは不明だ。だが、エルマがアンネリーゼの力になっていることだけは確かなようだ。


 その証拠として、夕暮れに出来あがると言われていた治癒薬は、崩落した天井から注ぐ光の色が変わる前に完成へと至ったのである。


「はぁ……」

「つ、疲れた……」


 草臥くたびれた表情のエルマとドラクンクルスは、完成と共に床へと仰向けに倒れ、大きく息を吐く。精神を集中させ続けたエルマと、彼女の体を支え続けた彼とでは疲労の種類が異なる。だが、こうして寝転んでしまえば回復するのは同じだ。


 そんな二人を、少々呆れ気味に見下ろしたアンネリーゼは、大釜の中から治癒薬を杓子に一杯ほどすくい、倒れたエルマの前へと腰を降ろして差し出す。


「ほれ、バカ弟子。さっさと起きて飲みな」

「えぇー、もうちょっとゆっくりしてから……」

「なに言ってるんだい。仕方ないね、鼻から注いで————」

「わ、わぁー! 起きます! 起きるから、鼻に入れるのは止めてくださいっ!」


 その言葉に、急いで起き上がったエルマは必死にアンネリーゼから杓子を奪い取り、一息に治癒薬を飲み干した。


「うぇ、苦い……でも、なんか効きそうな感じがする」

「そりゃそうさ、薬効については私が保証済みだ。だが、どのくらいで効果を発揮するかは分からないねぇ。私が本気で創れば、ほんの一瞬で回復するんだが」

「う……それってつまり、わたしの力次第ってことですか……?」

「そうなるねぇ。まぁそう落ち込まず、自信を持ちな」

「そうだぜ、嬢ちゃん。何せ、魔女が初めてと認めたんだからな」

「そう、なのかな……え?」


 天井を仰いだまま目を瞑るドラクンクルスへ、エルマは目を丸くして聞き返す。


「弟子って……?」

「はぁ? 嬢ちゃん、聞こえてなかったのかよ。杖を完成させたときからずっと、嬢ちゃんのことを『弟子』って呼んでたんだぜ? なぁ、魔女よ」

「フン……言っとくが、『弟子』だよ」

「細けぇなぁ」


 ニヤつくドラクンクルスを冷たくあしらうアンネリーゼであったが、彼女の言葉はエルマの耳に届いていないようであった。夢見心地の様相で、エルマは頬を緩ませて独り呟く。


「弟子……わたしが、弟子。ふふっ」

「なんだい、この子は。独りで笑って気味が悪いね」


 怪訝けげんな顔つきでエルマを見つめるアンネリーゼに対し、彼女はその緩んだ表情のまま問いかける。


「じゃあ、これからわたし、アンネリーゼさんのことを『師匠』って呼びますね!」

「……なんだって?」

「だって、わたしを弟子だと認めてくれたじゃないですか。だったら、アンネリーゼさんは師匠です。そうですよね、ね?」


 そう言って、徐々に距離を詰めるエルマの熱意に観念したのか、アンネリーゼは近づく彼女の頭を押さえながら大きく溜息を吐き、小さく言葉を返す。


「はぁ、勝手にしな。……しかしその様子だと、もう脚の方は良さそうだね。立ってみな」

「え? ……あ、そういえば痛くない、かも?」

「ほら、さっさと立つんだよ」

「は、はい師匠!」


 アンネリーゼの言う通りに立ち上がったエルマは、恐々と片足ずつその調子を確認する。そして、目を瞑りながら必死の形相で小さくジャンプした。


「えいっ! ……あ、痛くない!」


 何度か足踏みしても、痛みが彼女を襲うことはなく、いつもの通り地面の感触が伝わるのみであった。そんなエルマを見て満足そうに口角を上げたアンネリーゼは、すっと立ち上がって背を向ける。


「ほら、これならもう大丈夫だ。さぁて、もうここに用は無いだろ。さっさと帰りな」

「え……?」

「忘れたのかい? さすがバカ弟子だねぇ。早く帰らないと、お前さんは大変なことになるんだろう? ほら、さっさと行くんだよ」


 アンネリーゼの言葉に、エルマは当初の目的を完全に思い出し、顔色を真っ青に染めて慌てふためく。夕暮れではないにせよ、もう昼時は過ぎていてもおかしくはない。彼女の両親が先に帰宅していた場合、また強烈なお叱りが待っているのだ。


「そ、そうだった! どうしよう、ここからどうやって外に出れば……」

「本当に騒がしい子だねぇ。ドラクンクルス、案内してやりな」

「ええ? なんで俺様が……」

「私がここから出られないことは、お前ならよく知ってるだろ。それとも、私に逆らおうって言うのかい?」

「……はぁ、仕方ねぇな。その代わり、今日は何か美味いもん作れよな」


 親子のようなやり取りを目にし、切迫する状況にも拘わらずエルマは思わずクスっと噴き出す。そんな彼女に、やや不愉快な目を向けたアンネリーゼであったが、また一つ小さく溜息を吐いて机の上に置いてあった小さな袋を手渡した。


「ほれ、こいつを持っていきな」

「これは?」

「道中、魔物に襲われたら困るだろう。普通の魔物なら、そいつを投げつけてやればすぐに逃げるはずだ。私としても、出来たばかりの弟子に死なれちゃ寝覚めが悪いからね」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあね、バカ弟子。せいぜい私の名を汚すんじゃないよ」


 小汚い袋の中へと視線を落とすエルマに背を向け、アンネリーゼはまた大釜の元へと向かう。その様子を横目に、小さく舌打ちしたドラクンクルスは不機嫌そうにエルマの袖を引く。


「行くぞ、こっちだ」

「え? あ、うん。師匠、本当にありが————」

「きゃあああっ!!」

「っ!?」


 エルマが感謝の言葉を口にしようとした途端、地上の方向から少女の叫び声がこの空間へも響き渡る。その声に驚き、釜を片付けようとしたアンネリーゼとドラクンクルスは天井を見上げる。


「おやおや、今日は随分と騒がしい日だねぇ……ここが崩れないと良いんだけど」

「まったくだ。まぁ大方、誰かが魔物にでも遭ったんだろうよ。気にするこったねぇ、さっさと行くぞ……お、おい。嬢ちゃん?」


 特に意に介すことなく進もうとしたドラクンクルスは、エルマの足が完全に止まったことに気付き、彼女の顔を見上げてギョッとした。エルマの顔色は、先ほどよりも明らかに悪い。まさしく顔面蒼白である。


「どうした、何かあったのか?」

「あ、あの声、シャルの……わたしの友達の声だ! どうしよう、もしかして魔物に襲われたんじゃ……!」


 取り乱して体を震わせ、固まってしまったエルマにドラクンクルスは冷静に返す。


「落ち着け。叫んでるってことは、まだ間に合う状況なはずだ。そうじゃなきゃ、声なんて出てこねぇ」

「そ、それじゃ……」

「そうだ。急ぐぞ、嬢ちゃん! 仲間だったら助けねぇといけねぇからな!」

「う、うん!」


 彼の言葉に勇気を貰ったエルマは、積み上がった瓦礫がれきの中を懸命に駆け抜ける。まだ断続的に叫び続ける親友、シャルロッテの元へ向かうために。

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