アンネリーゼの調合部屋

「アンネリーゼ……そ、それってもしかして!」


 堂々と名乗りを上げたアンネリーゼに対し、エルマは素早く駆け寄り持参していた本を突き出す。痛めていたはずの両足は、まるで痛みを感じていないかのようにしっかりと体を支えている。


「これ、もしかして……!」

「うん? おや、これはまた懐かしいものを。そうだよ、この本の作者が私だよ」

「ほ、本当ですか! す、すごい、こんなところで会えるだなんて————」


 そう言って感情を昂らせたエルマは、小さく飛び跳ねる。だが、さすがにその衝撃には耐えられなかったようで、彼女は浮かべていた笑みを消し、苦痛に顔を歪ませ床に座り込む。


「うっ! うう、痛い……」

「おやおや。元気になったかと思えば、ずいぶんとせわしない子だねぇ……どれ、ちょっと見せてごらん」


 少々呆れたように片口を上げ、アンネリーゼはエルマの傍へとしゃがみ込み、彼女の脚をじっと観察する。そして、眉間に皺を寄せゆっくりと立ち上がった。


「……よくここまで歩けたもんだ。折れちゃあいないが、もしかするとヒビが入ってるかも知れないねぇ」

「そ、そうですか。どうりで痛いなあって思って……うう」

「やれやれ。仕方がないねぇ」


 小さく溜息を吐くと、アンネリーゼは大釜に向かう。そして、色とりどりの光を放っていた液体の満ちる釜の中へ、古びた机の中にしまい込んであった三種の植物のようなものを、無造作に放り込む。


「とりあえず、鎮痛さえすれば今は問題はないだろう。そうなると、あとはくらい霊力のある木があれば……っと。何だい、いいのを持ってるじゃないか。嬢ちゃん、その杖をこっちに渡しな」

「え、ええっ!?」


 ランケバウム、つまりは折れてしまったエルマの杖を差し出せ、とアンネリーゼは迫る。さすがのエルマも、せっかく受け取った大事な杖であるため素直に応じられはしない。だが、そんな彼女へアンネリーゼはひときわ強い口調で言い放つ。


「早くしな! それとも、ここで脚が治るまで暮らしたいのかい?」

「う、うう……わ、分かりました!」


 先ほどまでの歓喜の表情は一転し、杖を失うことになったという事実にエルマはしょげ返る。そしてほとんど投げるような形で、杖を彼女へと渡した。


「いい子だ。一応、治療費までは取らないでおくとするよ。材料費、それに私の本を持っていたっていうよしみでね」

「ありがとう、ございます……」

「あっはっは、冗談さ。もともと金なんて取るつもりはないよ。さて……」


 真剣な目つきへと変えたアンネリーゼは、大釜の中へ折れたランケバウムの杖を放り込む。そして、慣れた手つきで釜をかき回し始めた。中を満たしていた液体は七色から一気に茶褐色へと代わり、徐々に粘度を増してゆく。


 その様子を、何とか立ち上がったエルマはじっと見つめ、興味深げにアンネリーゼへ問いかける。


「あの、これから何が起きるんですか?」

「……」

「えっと、アンネリーゼ、さん?」


 しかし、エルマの問いに答えようとはせず、アンネリーゼは全神経を大釜に集中させているようであった。この様子では、彼女の耳にすらエルマの声は届いていなさそうである。


 訳も分からないまま杖を取り上げられ、返答もしなくなった彼女に少し怒りを覚え、エルマは大釜の元へと近づこうとした。だがその時、彼女の衣服が不意に背後へと引っ張られた。


「ん? なんだろ、何か引っかかった?」

「近づくな、嬢ちゃん」

「え……ひゃあっ!!」


 服を瓦礫に引っかけてしまったのだと勘違いしていたエルマは、彼女の衣服を引く存在がいたことに驚き、またその場に倒れ込む。ただ、彼女は服を引っ張られたことに驚いた訳ではない。彼女の服の一端を握ったその存在は、のだ。


 エルマの半分ほどしかない身長、深緑色でゴツゴツとした肌、長い鉤爪のついた手足、そして背中に生えた短い羽————


「ま、魔物っ!」

「失礼なコト言うんじゃねぇ! 俺様は誇り高き竜種の末裔、ドラクンクルス様だ!」


 小さな体で目いっぱいに怒りを表現しつつ、その爬虫類はそう名乗り胸を張る。思いもよらない単語が耳に届き、エルマは何度か瞬きした後、じりじりとドラクンクルスへと近寄り確認する。


「りゅ、竜種? ほ、本当に?」

「そうだ、恐れ入ったか……って、おい。そんなに近寄るんじゃねぇ」

「トカゲじゃなくて?」

「魔物と間違うより失礼だぞ、それは! 知らねぇのも当然だろうけどよ、こういう竜もいるんだよ。竜種がすべて巨大で暴虐だと思うんじゃねぇ。ほら、トカゲはこんな風に飛べねぇだろ?」


 そう言うと、ドラクンクルスは小さな羽をパタパタと羽搏はばたかせ、エルマの頭上辺りまで飛行する。数回ほど彼女の周りを飛んだ後、ドラクンクルスはすぐに地上へと降り立ち息を切らせつつも、また胸を張る。


「ぜぇ、ぜぇ……ど、どうだ? これで、信じた、だろ?」

「すごい、確かに竜っぽい……けど、なんか可愛いねぇ」

「だから! なんでこう、さっきから普通に失礼なんだよお前は! 魔女、お前からも一言……って、ダメか。今は錬金術の最中だったな」


 チラッとアンネリーゼの方へ視線を向けたドラクンクルスは、先ほどの二人の会話すらも聞こえていない様子の彼女に諦め、溜息をく。


「とにかくだ。今、あの魔女は錬金術の最中だ。声をかけたりして集中力を乱させちまうと、釜が爆発するかも知れねぇ」

「ば、爆発!? そ、それって大丈夫なの?」

「大丈夫なワケあるか。だから、ああなった魔女には絶対に近づくな」

「そ、そうなんだ。教えてくれてありがとうね、クルちゃん」

「く、クルちゃん……?」


 エルマの言葉に目が点となったドラクンクルスであったが、そんな彼を気にすることなく、エルマは少し遠巻きにアンネリーゼを見つめる。


「そっか、錬金術も危なくない訳じゃないんだね……でも、アンネリーゼさんはどうしてこんなところにいるんだろう。ミレリーだって、いつ崩落するか分からないって言われてるのに。クルちゃん、何か知ってる?」

「え? あ、ああ……詳しくは知らねぇけど、まあ何となく想像はつくな。錬金術師ってのは、魔法を使う力がとんでもなく強い。良く言えばメッチャ役に立つ人だが、悪く言えば危険人物、ってことだ。そんなヤツが、人間の多く住まう街で暮らせると思うか?」

「それって……」

「ま、あくまでも予想だけどな。それはそうと、クルちゃんって何————」


 すると、ドラクンクルスの質問を遮るようにエルマはうずくまり、肩を震わせて泣き出した。


「お、おい! 大丈夫か、まだ痛いのか?」

「ううん。もしそんな理由でここにいなきゃいけないんだったら、こんなに辛いことはないよ。だって、錬金術って人の生活に役立てるものじゃない。それなのに、危険性ばかり気にされて、こんなところに一人で……」

「……ふぅん。人間にも、嬢ちゃんみたいな考えのヤツもいるんだな。人間ってのは、みんな残虐で利己的だと思ってたぜ」

「お互い、知らないことばかりなんだね」

「違いねぇな。さて」


 エルマの脚とアンネリーゼを交互に見つめたドラクンクルスは、ふぅむ、と一つ小さな唸り声をあげてエルマへと尋ねる。


「嬢ちゃんのケガは、見た感じだと魔女の薬さえあればすぐにでも治るだろうさ。それは俺様が保証する。だが」

「だが?」

「錬金術ってのは、ちょいとばかし時間がかかるんだよ。この分だと、そうだなぁ……出来上がるのはになるだろうな」

「ゆ、夕暮れ!?」


 その情報を耳にした途端、エルマは顔を上げ凍り付いた表情でドラクンクルスを見つめる。昼過ぎまでに帰宅していなければ、エルマの外出が両親にバレてしまう。それどころか、ミレリーの内部に侵入したことも発覚してしまう恐れもあるのだ。


「そ、それは困るよ! なんとかならないの?」

「無茶言うなって。その脚じゃ、地上に通じる瓦礫を登るのは無理だろ? それに、さっきも言った通り錬金術は繊細なんだ。早くしようったって、そう上手く行くもんじゃねぇ」

「じゃ、じゃあ……クルちゃんが私を地上まで送ってくれたら……」

「おい、さっきの俺様の飛行能力、見てなかったのか?」

「だ、だよね……」


 がっくりと肩を落とし、顔面を真っ白に染め上げたエルマは大きく溜息を吐く。シャルロッテがこの場所を発見できれば、多少は希望が持てるかも知れない。しかし、シャルロッテも怪我をしてしまえば元も子もなくなる。治療薬も足りなくなる上に、エルマだけでなくシャルロッテも姿を消したことが判明すれば村は大騒ぎとなるだろう。


 そんな彼女の事情を知らないドラクンクルスは、軽い調子でエルマの持ってきた本をぺらぺらとめくり、感心したように呟く。


「しっかし、あの魔女の書いた本を持ってくるとは……こんな偶然もあるもんだな。ただ、こんなもん持ってたって錬金術師の素質がなきゃ無意味だろうに」

「うるさいなぁ、それは先生から貰ったもので……素質?」


 俯いていたエルマは、ドラクンクルスの言葉にハッと表情を変え、彼の両肩をガシッと掴む。


「痛ぇ! な、なんだよ急に!」

「ね、ねぇ。それって逆に言えば、錬金術の素質さえあればアンネリーゼさんのお手伝いもできるってこと、だよね?」

「はぁ? ま、まぁそうなるだろうが……」

「ちょっと、その本を返して!」


 そしてドラクンクルスから剝ぎ取るように本を奪うと、急いでページを捲り始める。


「治癒薬、治癒薬……っと、これだ。えっと、『シーローズの根とアクチシマの皮、ネルケの花蕾からいを投入し、触媒となる木片ないし金属を加え、魔力を込め続けることで完成する』……さっき入れてた植物、確かこの三つだったはず!」


 彼女に目をかけていた学校の先生であるヴィルヘルムは、動植物に関しては非常に造詣ぞうけいが深かった。それ故に、いつも彼の話を聞いていた彼女は自然と記憶するまでになっていたのだ。試験には出てこないような情報を覚えてしまったがために彼女の成績は悪かったのだが、それがここにきてようやく活きた形だ。


「よし、じゃあ後は魔力を込めるだけ、だよね!」


 意気揚々と大釜へ向かうエルマに、ぽかんとしたままだったドラクンクルスは必死の形相で引き留める。


「お、おい待て! さっき言っただろ、素質が無きゃ邪魔にしかならないって!」

「うん、知ってるよ。だからアンネリーゼさんを手伝うの」

「は、はぁ?」


 呆気にとられる彼に対し、エルマは力強く言い放つ。


「だって、私には錬金術の素質があるもん。ゾフィー先生がそう言ってくれたからね!」

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