禁を破って
それから四日ほど経ち、
それというのも、ハンナとレオポルトはエルマを休ませるため、流行り病を患ったということにしていたのだ。そんな彼女が、のうのうと礼拝に参列してはおかしい。それ故に、エルマは抜けるように青い空が広がるこの日でさえも、自宅待機させられることとなったのだ。
礼拝の支度を終えたハンナとレオポルトは、このところ一切外出していないにも拘わらず、穏やかな表情を浮かべるエルマへ声を掛ける。
「戻ってくるまで、ちゃんと家にいるのよ?」
「はーい……」
「エルマ、寂しかったらいつでも呼んでくれよ? お父さん、エルマのためならどこだって駆けつけるからな!」
「え? えっと……」
「こら、エルマを困らせるんじゃないよ! まったく、早く行くよ!」
「おい、待ってくれよハンナ!」
泣きそうな顔でハンナを追いかけていったレオポルトを見て、エルマは思わず苦笑いを浮かべる。しかし、その笑みは扉が閉まった瞬間に消え失せ、全神経を耳に集中させ始めた。
「……よし、行った」
そう呟くと、エルマは勢いよく起き上がり、念のために二人の背中を窓越しに見つめる。どうやら、二人は何も疑う気配も無く礼拝堂へと向かったようだ。
エルマの家から礼拝堂までは、時間にしておよそ三十分程度だ。礼拝自体は大体一時間で終わるのだが、それからハンナはいつも友達と長話を始めるため、結果として帰ってくるのは昼過ぎとなる。律儀なレオポルトは毎回、ハンナたちの話が終わるまで付き添うので、今から昼過ぎまで二人は戻ってこない。
そうなれば当然、家に一人残ったエルマがやることは、ただ一つである。
「ミレリーに行こう!」
そう、廃墟塔であるミレリーの元へ向かうことだ。しかし、今回ばかりはいつもとは異なる。それというのも、エルマは家に閉じこもるようになってから、ミレリーに一度も近づいていなかったのだ。渦巻いていた欲求が爆発してしまうのも無理はない。
それに加え、四日前に起きた不思議な出来事がエルマの心に強く刻まれていたのだ。不意に響いた女性の声、それと同時に地上に描かれたミレリーの地図。あれを目の当たりにしては、いくら大人しいエルマでも我慢の限界であった。
お気に入りのリュックを手に取り、軽食とゾフィーから貰った本を適当に詰める。他の村人にバレないよう顔の隠しやすいコートを纏い、準備は万端だ。
「できた、っと……ん?」
しかし、用意を終えたエルマの耳には、家の扉の叩かれる音が伝わる。急な来訪者に慌てたエルマは、病人のふりをすることも忘れて大きな声で返答をした。
「ど、どなたですか?」
「私だよ、私!」
「え……?」
その声にエルマは戸惑いつつも、ゆっくりと玄関へ歩み寄り、恐る恐るドアを開ける。するとそこには、彼女の親友であるシャルロッテの姿があった。
「やっほー、エルマ!」
「シャル! ど、どうしたの? 礼拝は?」
「父様にエルマの様子を見に行きたい、って言ったの。そしたら許可してくれたんだけど……やっぱり仮病だったんだね。リュックなんて
「あ、えっと……」
コートはおろか、リュックすら下ろさずにシャルロッテを迎え入れてしまったことにようやく気付いたエルマは、顔色を青く変えて視線を斜め上へと向ける。そんな彼女を前に、シャルロッテは小さく苦笑いを浮かべた。
「あはは、別に怒ってなんかないよ。色んなことがあったし、休みたくなっちゃう気持ちはよく分かるから」
「え?」
「気持ち悪い魔物とか、不思議な声とか。あの日はちょっと普通じゃなかったもん。疲れちゃうのも当然だよ」
「そ、そうかな……」
大きな思い違いをするシャルロッテに対し、申し訳なさそうにエルマは頬を引き
「それで……どうせこれから、ミレリーに行くんでしょ?」
「な、なんで分かったの?」
「いやいや、分からない方がおかしいでしょ。学校に遅刻してまで行きたかった場所なんだから、逆に今まで我慢できてたことの方が驚きだよ。でさ、せっかくだし私も一緒に行こうかなって思うんだ。ほら、またあの魔物が出てきたりしたら、エルマ一人じゃ困るじゃない? それに、私もずっと気になってたんだ。あの地図のことが」
そう言うと、シャルロッテは手に持っていたバッグを開け、一枚の紙を取り出した。見るからに古びた様子の紙には、設計図のようなものが描かれている。そしてその上部には、『双子の塔の図』と表記されていた。
「これ、マールブルグ家に伝わるミレリーの地図なんだけどさ」
「え!? そ、そんな貴重なもの、どうして……あれ?」
驚いたエルマは、興奮した様子で地図をしげしげと眺める。しかし、最初こそその物珍しさに輝きを放っていた彼女の眼だったが、徐々にその眩さは消え失せ、むしろ少しずつ曇り始める。
「気付いた?」
「う、うん……違う。あの時、わたしが描いたものと、ちょっとだけ」
「やっぱりね。私、いつもこの地図を見てたから、すぐに気付いたんだけど」
ゆっくりと机に地図を置いたシャルロッテは、ある一つの個所を指し示し、くるくると指でなぞる。そこはちょうど、二つの塔の狭間にある、一見すると瓦礫しかない僅かな空間であった。
「ここだよね。二つの塔の、ちょうど根っこに当たる部分。エルマ、あの魔法は救難信号だって言ってたけど、それが本当なら、もしかすると……」
「誰も知らない場所で、誰かが助けを求めてる……?」
「その可能性が高いと思うんだ。でも、エルマの描いた地図を見たのは、クラスメイトとゾフィー先生だけ。それも、あの地図はもう消えちゃってるから、こんな話をしたって誰も信じないじゃない? だったら、さ」
ニッと微笑んだシャルロッテは、エルマの手を強く握って彼女の目をじっと見つめる。そして、
「私たち二人で、その場所に行ってみようよ!」
「え、ええっ!?」
あまりの衝撃に、エルマは自宅静養中という身であるにも拘わらず、大きな声を上げる。その声に慌てたシャルロッテは真剣な眼差しで、唇の前に人差し指を立てる。
「シーッ! おじいちゃんの許可がないと入れない場所なんだから、絶対に見つかったらダメ。私だってすっごく怒られると思うし、エルマなんか最悪の場合、追放されちゃうかも知れないんだよ?」
「う、ご、ごめん。でも、それだったら素直にヴィル先生とかゾフィー先生に話せば良いんじゃないのかな? 信じるかどうかは分からないけど、わたしたちだけじゃ危険なんじゃ……」
「ううん、これは私たちの力で成し遂げたいの。人を助けるのは当たり前だし、功績を上げれば先生たちの推薦で州都の学校に移れるんだ。こんなチャンス、多分もう二度とないと思うから」
「シャル……」
シャルロッテがこれほどまでに州都へ移りたいと切望するのには、長の一族に産まれたことが関係している。この地域では、十六歳を過ぎた段階で成人と見做される。長の後継と指名されている彼女にとって、村を離れることが出来る数少ない機会なのだ。
成人した段階で、シャルロッテは長としての教育を受けることとなっている。そうなれば、彼女の自由は完全に奪われたも同然だ。そのため、一見すると無謀で幼稚でしかない提案も、この実情を知るエルマにとって無下に出来るものでは無かった。
「分かった。一緒に行こう、シャル」
「ほんと? ありがとう!」
「わたしもずっと気になってたし、それに……」
そう言うと、エルマはふと床へ視線を落とす。ミレリーの奥から、エルマの耳だけに届いた『
カルラの死自体を覆せるものではない。だが、彼女の死に関する新たな情報が得られる可能性もある。シャルロッテのように、一族の血に縛られているエルマにとっても、これは貴重な機会なのだ。
「それに?」
「……ううん、何でもない。でも、危険だと感じたらすぐに帰るからね?」
「当たり前でしょ、そんな無茶はしないって。じゃ、早く行こ! 礼拝が終わるまで、あまり時間が無いからね!」
「うん!」
こうして、二人は大人たちの目を盗み駆けていった。いつもより騒がしく潮風が吹き抜ける、村はずれに聳えるミレリーへと向かって。
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