魔物の出現

 その日の夕刻————


「はぁ、今日もたくさん怒られたなぁ……」


 沈みゆく太陽の光を背に受けながら、エルマとシャルロッテは丘を下る。暗くうつむいたまま、ポツリと呟くエルマに、シャルロッテはいつもと変わらない調子で語り掛ける。


「そうかな、いつもより少なかったと思うけど? まぁ、一限目から荒れてたし、疲労感はいつもより強いのかもね」

「そうかも。うう、ゾフィー先生、怖かったなぁ……」

「あはは。でも先生、怒ってなくて良かったじゃん。最初はどうなることかと思ったけど、まだ授業も受けられるみたいだし」


 そう言って、グーッと両腕を上空へと伸ばしたシャルロッテは、おもむろに鞄にしまっていた杖を取り出す。一限目、魔法学の授業で貰った、何の変哲もない杖だ。


「しっかし、こんなものでよく魔法が使えるよね。見た目はただの棒きれにしか見えないけど、確か……『』に魔法を伝達しやすくなる鉱石を嵌め込んでるんだったよね?」

「え、知らない。そうだっけ?」

「ちょっとエルマ、今日習ったばかりじゃん。また寝てたの?」

「え? あ、いやー……あはは」

「……」


 誤魔化すように笑うエルマをじっと見つめたシャルロッテは、深く溜息を吐いて足を止め、少し寂し気に言葉を口にする。


「あのさ。出来れば、私には気を遣って欲しくないんだよね。寝てた訳じゃないことくらい知ってるし。……一限目のこと、ずっと気にしてたんでしょ」


 シャルロッテの問い掛けに、エルマは視線を泳がせながらも誤魔化しきれないと悟ったのか、苦笑しつつ答える。


「……気付いてたの?」

「当たり前でしょ、私はエルマの親友だからね。それで、何があったの? 出来たら、聞かせて欲しいな」

「う、うん……」


 それから、エルマはポツリポツリと、一限目に起きた出来事を喋り出す。遠くから聞こえる潮騒と木々のざわめきに負けないよう、しかしいつものように小声で。


「えっと、遠くから声が聞こえたの。『私を、探してem orp sutluv』っていう、不思議な女の子の声。それで、その声を復唱したら、地面に絵が描かれちゃって。それで先生に呼ばれたの。すごい剣幕だったから、あの時は本当に怖かったなぁ……」

「ふーん……」


 黙って彼女の話を聞いていたシャルロッテは、エルマが喋り終えたことを確認すると、不意に杖を空高く掲げる。そして目を瞑り、例の呪文を唱えた。


私を、探してem orp sutluv!」

「えっ!」


 すると、シャルロッテの握った杖先から眩い光が空へと放たれ、みるみるうちに上空は光に覆われてゆく。初めこそ無秩序だった光の粒は徐々に形を創り上げ、やがて一つの絵を空に描いた。


「わ、わぁ……これ、この丘だ!」

「あは、思ったより簡単に出来ちゃった。これをエルマは唱えたのね。ふーん……」

「すごいね、シャル! やっぱり天才だよ!」


 そうして、しばらく上空に描かれた綺麗な丘の絵を眺めていると、エルマは、さあっと顔色を青く変える。


「あれ、これって……大丈夫じゃない、よね?」

「え、どういうこと?」


 エルマの顔色の変化に気付き、シャルロッテは目を丸くする。だがその直後、彼女の口から飛び出た話に、シャルロッテも彼女と同じように青白い顔へと変色させた。


「この呪文、確か……だ、って、ゾフィー先生が……」

「え……」


 もちろん、今さら掻き消したところでもう遅い。すでに上空千メートル近くに堂々と、鮮やかな絵を描いた後なのだ。このままでは、少なくとも学校にいる教師たちがこぞって集まってくることは確実だった。


「ど、どうしよう! エルマ、消す時の呪文は?」

「し、知らないよう! わたしはただ、私を、探してem orp sutluvっていう呪文しか聞いてないもの!」

「やっば。これ、怒られるどころの話じゃないよね……ああ、どうしよう!」


 そうしてパニックに陥った二人は、バタバタと慌てることしか出来ず、ただ無為に時間を費やしてしまった。すぐに立ち去れば、まだこの危機を回避できた可能性はある。しかし焦りを募らせた二人の思考では、その答えには辿り着かなかったようだ。


 だがそれ以上に、この呪文が孕む危険性というものを、二人は知らなかった。光に導かれるのは何も、という根本的な問題を。


 その危険性について、二人は図らずもすぐに思い知ることとなる。


 ガサッ


「ん……?」


 慌てふためく二人の横に生い茂っていた低木たちが、大きな音を立てて揺れる。さすがにパニック状態のシャルロッテでも、その音に気付かないほど我を失ってはいなかった。


「ど、どうしたのシャル————」

「シッ! 静かに……!」

「へ……?」


 エルマへと静かにするよう促し、目線で茂みを警戒するよう伝える。しかし、今さら押し黙ったところで、這い寄る危険生物はその動きを止めるはずが無い。徐々に低木が朽ちて倒され、やがてその正体が露わとなった。


「っ! ……え?」


 茂みから出てきた物体に、二人は顔を見合わせ困惑する。ぶよぶよとした体を、引きずるようにして動く奇妙な生物。ファンシーな顔がついている訳では無く、愛くるしさは一切ないが、いわゆるスライムと呼ばれる生物である。


「なに、これ?」

「えっと……ぷにぷにした生き物、なのかな、これ?」


 猛獣の類であれば、二人は悲鳴を上げていただろう。しかし現れたのがスライム状の生物では、このリアクションとなってしまっても不思議ではない。


 だが無論、これでも立派な危険生物である。彼女たちが危機的状況であることに変わりは無い。戸惑う二人に、その生物はゆっくりと近づいてゆく。その体に触れていた葉が、瞬時に褐色、そして黒色へと変化する様を見て、二人はようやくその危険性に気が付いた。


「こ、これ。危ないんじゃない?」

「うん、絶対に触ったらダメ、だね。逃げようか……」


 すると、二人が逃げるためその生物へ背を向けようとした、その時であった。


、二人とも!」

「えっ?」


 大きな声と共に、一人の男が丘の上から駆け下りてきた。見事な体躯たいくをした教師、ヴィルヘルムだ。よほど焦っていたのか、防具らしき一式は身に着けず、杖を手にするのみであった。


「ヴィル先生!」

「じっとしてろ! こいつは『』といって、逃げる相手に溶解液を飛ばし、動きを奪って喰らう、恐ろしい魔物だ! だから、絶対に動くんじゃないぞ!」

「ひっ……!」


 ヴィルヘルムの言葉を受け、二人は身を凍らせる。そして、二人からフォウレリを引き離すようにヴィルヘルムはゆっくりと近づき、誘導させる。彼は動くものを狙う、フォウレリの性質を上手く利用したのだ。


「こっちだ。そう、もっと離れれば……よし」


 ある程度、魔法を放っても安全である距離まで二人から引き離した後、ヴィルヘルムは一つ咳ばらいをして呪文を唱える。


「食らえ、フォウレリよ! 孔を穿てBnicire to hpma!」


 刹那、ヴィルヘルムの杖から勢いよく霧状の物質が放たれ、フォウレリの体を覆ってゆく。そして、体には無数の小さな穴が開いてゆき、体液を飛び散らせたフォウレリはやがて動きを止めた。


 一メートル以上はあった体も今や見る影もなく、ボロボロのビニール袋のように干からびた物体へと成り果てた。これでは、たとえ再生能力を有していても回復不能だ。


「ふう……もう大丈夫だ、二人とも」

「先生!」


 一気に体力を消耗したヴィルヘルムは、大きく息を吐いてその場に座り込んでしまう。そんな彼の元へ二人は駆け寄り、容赦なく厚い胸板に飛び込む。


「ありがとう、先生!」

「ぐわぁっ! お、お前ら。もう十五歳になるんだから、少しは自重しろ……まったく」


 笑顔で抱き着く二人を少し困ったように見下ろしつつ、ヴィルヘルムはまた一つ溜息を吐く。そして、無理やり二人を引き剥がすと、立ち上がって空を見上げる。上空を覆っていた、シャルロッテの放った魔法はすでに消えかけており、光の粒が霧消してゆく最中であった。


「ふう……しかしまさか、こんな学校の近くで私を、探してem orp sutluvの呪文が発動されるとは、夢にも思わなかったよ。これはしばらく、警戒が必要だな」

「あの、ヴィル先生。あれって、生き物なんですか? 全然そういう風には見えなかったですけど……」

「ん? ああ、そうだよ。そういえば、まだ魔物については教えていなかったな。まだ辺りは危険かも知れないから、家に送りがてら説明しようか」


 ゆっくりと歩み始めたヴィルヘルムの後を、エルマとシャルロッテは離されないようについてゆく。いつの間にか夕陽はかなり沈んでおり、辺り一帯は随分と暗くなっていた。


 このシュード・アレシェリアは辺境の地であり、街灯などは一切ない。夜間に行動するためには、火を用いるか光を灯す魔法を使っている。ただし火は有限で、光は魔物を呼び寄せる。そのため、この村では夜間に外出すること自体が稀であった。


 夜の海風を受け、少しだけ目を細くしつつヴィルヘルムは語り出す。


「二人は、世界が混沌に包まれた時代を知っているかな?」

「はい。二千年前、人間と竜種で戦争が起きた際、世界は死に溢れたと聞いています」

「その通り。主に人間の作り出した猛毒が海や大地に染み込んでしまって、生き物はその時代にほとんどが絶滅したんだ。だが、そうならなかった生き物も存在した。それが、魔物だ」


 そう言うと、ヴィルヘルムは周囲に落ちていた貝殻を拾い上げ、太陽の代わりに昇り始めた月へとかざす。


「人間の生み出した毒により、異常な進化を遂げたんだ。さっきのフォウレリも、もともとは目に見えない生き物だったそうだよ」

「あんなに大きいのに、ですか!?」

「そうとも。この貝も、もしかしたら数十倍……いや、数百倍の大きさとなって、我々に牙を剥いていたのかも知れないね。恐ろしい話だよ、まったく」

「昔の人の罪を、私たちが背負ってるんですね……悲しい話です」

「うん、そうだね。……っと」


 話の途中、ふとヴィルヘルムは一軒の家の前で足を止める。小さく、とても古びた石造りの、エルマ・エドワードシエラの自宅だ。その煙突からは煙が立ち込めており、火が焚かれている様子がはっきりと分かる。


「危ない危ない、通り過ぎるところだったね。しかし、こんなに近いとこに住んでいたのか、エルマ。本当に、なんでこの距離で遅刻するのか不思議でしょうがないよ」

「先生。ですから、女の子には色々と————」

「ああいや、分かったって!」


 慌ててシャルロッテの口を塞ぐと、苦笑いしつつエルマに声を掛ける。


「それじゃ、エルマ。今日は疲れただろうから、早く寝るんだぞ」

「あ、はい……本当にありがとう、ございました」

「一番感謝すべきなのはシャルロッテに、だぞ。あの救援信号を送ったのは、シャルロッテだろう? しかし、よくあの魔法を知っていたね。さすがはマールブルグ家の才女だよ」

「え、っと……」

「……」


 どうやら、ヴィルヘルムは一連の出来事を誤認しているようだ。フォウレリの出現に驚いたシャルロッテが救難信号を送った、と考えているようだが、実際はその逆である。


 ただ、それを否定すれば二人の、特にシャルロッテの立場が悪くなる。遊び半分で救難信号を送り、その結果としてフォウレリを呼び寄せてしまったのだ。そのため、二人は彼の話に合わせるしかなかった。


「あ、ありがとう、シャル」

「え、うん……」

「? まあ、いいか。さあ、遅くならないうちに行くぞ、シャルロッテ」

「はい……じゃあね、エルマ」

「うん、また明日」


 そして、宵闇の中を進む二人の背中を見送った後、もやもやとした気持ちを抱え込みつつ、エルマは家の中へと入っていった。

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