呼び声

「エルマ!」

「は、はいっ!」


 大気を裂くようなゾフィーの大声に、エルマは体を強張らせて答える。不可抗力とはいえ、完全に彼女の口約を破ってしまったのだ。この後、エルマにどういった罰が待っているか、想像に難くない。


 そんな中、不穏な空気を察知したシャルロッテが慌ててゾフィーとエルマの間に割って入る。


「ま、待ってください! 先生、エルマは絶対に————」

、シャルロッテ」

「へ?」


 呆気あっけにとられるシャルロッテを押しのけ、エルマへと向き合ったゾフィーは言葉を選びながら地面の図を指し示し、問い掛ける。


「エルマ・エドワードシエラ。あなたはこの意味を、知っていて?」

「え? い、意味、ですか? あの、えっと……」

「早くお答えなさい」

「あ、あの! し、知りません、でした……」

「ええ、そうでしょうね」

「へ?」


 その返答を予期していたかのように、ゾフィーは大きく溜息をくと周囲に集まった生徒たちへ声を掛ける。


「仕方ないわね。皆さん、申し訳ないですけど、ここからは自習とさせて頂戴な。お渡しした杖は持ち帰って結構ですので。ああ、不要ならば返していただいても、もちろん結構ですよ」

「え、ちょっと先生!」

「それじゃ、エルマ。話を聞かせて」


 そう言うと、反論を口にしようとする生徒たちを無視し、ゾフィーはゆっくりと校舎へと戻ってゆく。あまりの出来事に困惑しつつも、エルマは彼女の後をついて行くしかなかった。言葉こそ穏やかだったが、ゾフィーの顔には有無を言わさぬ強い意志が溢れていたからだ。


 こうして、同級生たちの視線を一手に浴びながら校舎へと戻ったエルマは、前を行くゾフィーにおずおずと声を掛ける。


「せ、先生。わたし、その……」

「さ、入って。話は中でゆっくり聞くわ」

「え、あ、はい……」


 いつの間にか到着していた教室へ足を踏み入れたエルマは、恐る恐る彼女の顔を見上げる。教室に一人呼び出されたのだ、エルマの不安感はピークに到達しようとしていた。


 だが、エルマの想像とは全く異なり、ゾフィーはひどく思い悩んだような表情を浮かべていた。言いつけを破られたことに対するいきどおりではなく、現在のエルマと同じように、その顔には不安が滲み出ていたのである。


「あの、先生。大丈夫、ですか?」

「ええ、心配いらないわ。それよりも、早く聞かせて。あなたはどうして、あの絵を描くことが出来たの?」


 手近にあった椅子へと腰かけ、いつものような軽快さのない声色でエルマへと問い掛ける。この雰囲気に少しだけ戸惑いつつ、着席したエルマは静かに唇を開いた。


「声が、聞こえたんです」

「それは、?」

「誰の?」


 驚いたエルマは、顔を上げてゾフィーを見つめる。声が聞こえたことに対してではなく、誰の声なのか、と問われるとは予想していなかったのだ。


「ええ。男の人? それとも、女の人?」

「え、えっと……分かりません。でも、声の感じからすると、多分若い女の人、かな……」

「若い女性、ね……」


 エルマの返答に、ゾフィーは深い溜息を吐く。ただ、その表情には先ほどまでの緊迫感は無く、むしろ少しだけ安堵したようにも見えるものであった。


「せ、先生?」

「ああ、ごめんなさい。あなたが唱えた呪文……『私を、探してem orp sutluv』、ですけれどね。あれは、として使われている呪文なのですよ」

「救難信号?」

「ええ」


 目を丸くするエルマを前に、ゾフィーは静かに天井へと指を向ける。


「あなたが地面に描いた絵。あれは本来、助けを必要とする人が空へと描くもの、なんです。自分の位置を詳細に周囲の人間に伝えることで、より救助される時間が早くなる。あれは、そういう呪文なのですよ」

「っていうこと、は……誰かが助けを求めてる、ってことですか? ミレリーの中で、何かの事故があって……!」

「落ち着いて、エルマ」


 呪文の意味を聞き、慌てて立ち上がったエルマをゾフィーは冷静に諭す。


「言ったでしょう? あれは、救助を要請する人が空に向けて放つ呪文なのだと。決して、他人の杖を介して自分の位置を知らせるようなものじゃないの。もちろん地下空間だとか、そういう例外はあるけれど。それにね」


 ゆっくり立ち上がったゾフィーは、教室の窓から見えるミレリーを眺める。学校のある丘からミレリーまでは、距離にしておよそ二キロメートル。巨大な塔であるため存在こそ目に見えるものの、声が届くような距離ではない。それは、魔法においても同じだった。


「他人に干渉できるような魔法は、せいぜい数百メートルまで。よほどの才を持つ人でない限り、ミレリーから救難信号をこちらへと送ることは出来ないわ。ただ相当、切羽詰まった状況であれば分からないのだけど」

「そう、なんですか……あ、だから先生、焦ってたんですね」

「ええ。だから、あなたに聞きたかったの。誰からの声だったのか。調査メンバー同士、別に交流が深かった訳じゃないけれど……仲間、だからね」


 ミレリーの調査目的で、このシュード・アレシェリアを訪れていたのは計四名。ゾフィーを除く他の三名は男性であるため、エルマの聞いた声の主ではないことは明白だった。それ故に、ゾフィーは安堵したのだ。


「でも、だとしたら不思議ね。あなたの聞いた声は、一体誰のものなのかしら。調査メンバー以外に、誰かがミレリーにいるとしたら面白いわね。それに……」

「それに?」


 視線を窓の外からエルマへと移し、ゾフィーはじっと彼女の顔を見つめる。一方のエルマは、その視線の意味が分からず、ただ狼狽うろたえるだけであった。


 僅かな間の後、ゾフィーは小さく微笑むと軽く手を打った。鳥のさえずりしか響いていなかった教室へその音が伝わり、反響してゆく。


「何でもないわ。さて、そろそろ一限目も終わることだし、あなたを解放してあげないとね。廊下にいるお友達も、随分と心配してるみたいですし」

「え?」

「入っていいわ、シャルロッテ」


 ゾフィーの言葉に驚き振り返ると、エルマの目には親友のシャルロッテの姿が映る。様々な感情が入り混じっているようで、複雑な表情のままシャルロッテは教室へと入ってきていた。


「シャル! い、いつの間に……」

「ふふ、後を付いてきていたことには気づいていましたよ、シャルロッテ。感心はしませんが、友達を想う行動だということで目を瞑っておきましょうか」

「先生、それでエルマは……!」


 自分のことなどどうでもいいと言わんばかりに詰め寄るシャルロッテへ、ゾフィーはまた柔和に微笑み、彼女の問いに答える。


「ええ。悪戯で魔法を使った訳では無いことは、よく分かりました。いえ、分かっていましたよ。ですから、今回は特別にお咎めなし、ということにしましょう」

「本当ですか! よ、良かった……」

「ただし、次にまた同じような声が聞こえたら、まず私に報告すること。いい?」

「は、はい。気を付けます」

「よろしい」


 エルマが気を引き締め直したことを確認し大きく頷くと、ゾフィーは次の講義に向けた準備を始め出す。それを見た二人は、彼女の邪魔とならないよう静かに、しかし笑顔で教室から去っていった。


 そんな二人の後ろ姿を横目に、ゾフィーはポツリと呟く。


「私には聞こえなかった声が、あの子には聞こえた。だとすると、エルマ・エドワージェラ。あの子にはもしかすると、特殊な才があるのかも知れないわね。そう、例えば……」


 そう零すと、彼女の鞄に入っていた一冊の本へと視線を落とす。古めかしく、表紙の剥がれかけた分厚い本。それを目に映しつつゾフィーは小さく、だがはっきりと、その言葉を口にした。


、とかね」

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