初めての魔法

「さて、時間ね。今日遅刻者ゼロ、とっても素晴らしいわ」


 上機嫌にそう言うと、眼鏡の位置を微修正し、ゾフィーは教科書を読み上げ始める。本来、学者である彼女たちは中等教育に慣れていない。そのため、派遣される人物によって授業の質が大きく変化してしまうのが、このシステムの難点であった。


 しかし、ゾフィーは学者の中でも比較的教えるのが上手いタイプであり、着任早々から生徒たちに好かれていた。もちろん、その中にはシャルロッテも含まれている。ただし彼女の場合、州都から派遣されている人物であれば基本的に誰でも良い、という独特な感性を持っているのだが。


「じゃあ、前回の続きから……っと、その前に。ラルフ、魔法が生まれたのはいつ頃だったかしら?」

「えっ」


 不意に指名され、ラルフは数回瞬きしながら彼女の問いに答える。


「えっと……二千年前、です」

「そうね、正解よ。今からちょうど二千年前、私たちは魔法が使えるようになりました。その理由は————」

「はい!」


 今度は、ゾフィーが指名する前に一人の少女が挙手をした。その反応に頬を緩ませつつ、ゾフィーは少女へと声を掛ける。


「では、リジー? 答えて」

が、竜と人間の争いを止めるためです」

「正解。素晴らしいわ、リジー。あなたもいつか州都に来て、私と一緒に仕事をする日が来るかも知れないわね」

「えへへ」


 照れ臭そうに頬を掻きつつ着席したリジーへと満面の笑みを向け、ゾフィーは話を続ける。


「そう。彼女の言う通り、人間と竜は長い間争いを続けていました。そのせいで大地は荒れ果て、水は猛毒と化し、大気は汚染されてしまったの。そんな争いを止めたのが、神様」


 やや膨らみの目立つ腹部を揺らし、窓辺へと向かうとゾフィーは上空へ向けて指をさす。陽の光を受け、彼女の赤髪が教室内を明るく照らす。


「神様は、人間から科学を、竜から強大な力を奪い取りました。そしてその代わりに、人間には自然と呼吸を合わせなければ使うことのできない魔法を、竜には永遠の命を授けました。そして今。私たちは自然と共に生き、魔法を使って生きているのです。このように」


 そう言うと、ゾフィーは手元にあった長杖をくうに掲げ、呪文を唱えた。


光よ、灯れsicul xul!」


 その途端、彼女の持つ杖の先に小さな光球が生まれ、薄暗い室内がまるで昼間の炎天下のような明るさに包まれた。それを見た生徒たちは皆、一様に声を上げる。


「すごい!」

「ま、眩しいっ!」

「ふふ、ごめんなさいね。ちょっと強すぎたかしら」


 いたずらっぽく微笑み、ゾフィーは軽く杖を振る。すると光球は瞬く間に消え去り、教室はいつもの薄暗さを取り戻した。光が消えてもまだ興奮冷めやらぬ生徒たちに向け、ゾフィーは軽く手を叩いて静粛を促す。


「はいはい、お喋りはそれまで。この程度の魔法は、みなさんでもすぐに使えると思います。ここは州都とは違い、自然が豊かですからね。ここに住む皆さんなら、呼吸を合わせるのもそう難しくは無いでしょう」


 そう言うと、ゾフィーは床に寝かせてあった大きな箱を開ける。そこには、彼女の手にしていた杖とは系統の異なる短めのものがたくさん入っていた。そのうちの一本を取り出すと、真剣な表情で生徒たちへと告げる。


「これから、魔法を実践してもらいます。でも、いいですか? 絶対に私の言うことは守ること。それが出来ないなら、私の授業は今後一切、受講禁止とします。よろしいですか?」


 シン、と静まり返り、喉の鳴る音すらゾフィーの耳に届きそうなほどの緊張感が全員を包み込む。それを見て、ゾフィーは少し安心した様子で表情を柔らかなものへと変える。


「大丈夫そうね。では、各自杖を一本ずつ持って、外へ出ましょう。いいこと? 一人一本ですよ?」


 全員が一列に並び、ゾフィーから杖を受け取り始めたころ、出遅れたエルマは少し緊張した面持ちで、前に並んでいるシャルロッテへと耳打ちする。


「シャル。私、すっごく不安。ちゃんと出来るかなぁ?」

「大丈夫でしょ。やるっていっても、どうせ初歩の魔法だろうし。出来なかったとしても、これが初めてなんだから叱られたりはしないって」

「そ、そうなのかな……」


 未だ不安げなエルマは飾り気のない杖を受け取り、重い足取りで外へと向かう。他の生徒たちは楽しそうにしているが、彼女だけは不合格と告げられたばかりであるかのように、うつむいたままであった。


 そして、魔法の実践授業が始まった。整列した生徒たちは、改めてゾフィーより注意事項の説明を受ける。


「いいですか? あなたたちにやってもらうのは、先ほど私がやって見せた光を灯す魔法です。正確に、光よ、灯れsicul xulと唱えることが出来れば、あとは自然の呼吸に合わせるだけの簡単な魔法です。ただし」


 ゾフィーは杖を教鞭代わりにピシピシと叩き、話を続ける。


「絶対に、こと。まあ、余程の素質がない限りそういうことは有り得ないと思いますけれどね。あと、光球を他人に向けないこと。最悪の場合、失明する危険性もありますからね。分かりましたか?」


 元気の良い返事に大きく頷き、ゾフィーは杖を高々と上空へ掲げる。それを合図に、周囲の生徒たちは一斉に呪文を唱え始めた。


「ひ、光よ、灯れsicul xul!」

光よ、灯れsicul xul! やった、出来た!」

「俺も出来たぞ! ほら見ろ、杖の先!」

「あら。これはただ、あなたの汗が染みて光ってるだけね。力を入れ過ぎよ、もっと気楽に」


 生徒数は十数名いる。その中で、杖に光を灯すことが出来たのは、今のところその半数にも満たない。無論、自分の汗で光らせたラルフは除く。


 だが、そんな可愛らしいやり取りが行われる最中のことであった。


光よ、灯れsicul xul! おおっ?」


 エルマの隣にいたシャルロッテが呪文を唱えると、瞬く間に大きな光球が創り出された。地上から見上げる太陽と見紛みまごうほどの輝きに、周囲にいた生徒たちは思わず手で目を覆う。その眩しさに怯むことなくゾフィーは彼女へと近寄ると、とても嬉しそうに声を掛ける。


「素晴らしいわ! さすが、代々この村の長を務めるマールブルグ一族の家系ね。魔法の才能も完璧よ!」

「え、えっと……? あ、ありがとう、ございます」

「皆さん! 彼女のように、しっかりと自然と呼吸を合わせるのです。そうすれば、このように美しい光を創造できるでしょう。さあ、まだ時間はありますから、もっと頑張って!」


 ゾフィーの活を受け、また一層やる気に満ち溢れた生徒たちはさらに声を高らかにする。そんな中、シャルロッテの横で未だに光すら生むことの出来ないエルマは、こっそりと彼女へ話しかける。


「シャル、やっぱりすごいね。どうやったの?」

「どうって、うーん……本当に無意識に唱えただけだから、よく分かんないや。でも」


 シャルロッテは光球を振り払い、物悲し気に視線を落とす。


「私の実力とは言ってくれないんだね。ヴィル先生も、ゾフィー先生も、みんな」

「シャル……」


 この村、シュード・アレシェリアの長であるマールブルグ一族は、古来より高い能力を駆使してこの地を統治してきた。その血筋を特に色濃く受け継いだのが、長兄のオスカーではなく、末娘のシャルロッテであった。


 シャルロッテは、この学校で最も成績が良い。運動神経も抜群で、それに加えて魔法の才もあることが判明したのだ。この事実が知れ渡れば、村中の人間が歓喜するだろう。新たなる長の、誕生の瞬間なのだから。


 しかし、当のシャルロッテは自分の境遇に不満であった。何をやっても、一族の血筋だと片付けられてしまう。どれほどの努力を重ねても、それが褒められたことはほとんど無い。


 そんな彼女の足掻く姿を、唯一目に留めたのがエルマであった。一見すると不釣り合いな二人が、どうしてここまで仲が良いのか。そこには、こういった理由が存在したのである。


「すごいね、シャル。わたしなんてまだ、光も見えないもん。発音にコツとかあるのかな?」

「ふふ、ありがとう、エルマ。そうね……本当に何も考えず、ただ自然に身を任せてみたら、どうかな」

「自然に、身を……分かった、やってみるね!」


 シャルロッテに教わった通り、エルマは全身全霊をかけて大自然と同調を始める。周囲ではしゃぐ生徒たちの様子を気にすることなく、ただ目を瞑り続けた。


 すると————


『……して』


「……?」


 唐突に誰かの声が響き渡り、エルマは目を開く。しかしその声の主はどこにもおらず、それどころかその声に反応を示したのはエルマだけで、その他の生徒やゾフィーにはまるで聞こえていないようであった。


「エルマ、どうしたの?」

「え? あ、えっと……何でもない」


 隣にいたシャルロッテでさえも聞こえていないことを確認し、彼女は気を取り直し、また目を瞑る。


『……して! ……を……がし……』


 徐々にその声が大きくなる。それとは正反対に、まるで世界にエルマ一人だけとなってしまったかのように、彼女の耳から雑音が遠ざかってゆく。そして、最初はぼんやりとしか聞こえなかった言葉が、しっかりと届いた。




私を、探してem orp sutluv!』




私を、探してem orp sutluv……?」


 すると、その瞬間————


「え、うわわっ!」


 エルマの持つ杖が大きく振動し、先から光球とはまた異なる色の小さな光が灯り始めた。そしてその光がゆっくり地面へ落ちると、エルマの意志とは無関係に不可思議な絵を描き出した。


「こ、これ……!」


 シャルロッテも、エルマの身に起きた異常な現象に戸惑い、狼狽うろたえたまま身動き一つ出来ないでいた。つい先ほどまで、光線どころか光の粒子すらも見えていなかったというのに、こうも変化したのだ。彼女の驚きは大きかっただろう。


「止まって、止まってよ!」


 エルマは必死に叫ぶが、杖の動作は止まらない。やがて地面に一つの絵が出来上がった頃、ようやく異常事態が発生したことに気付いたゾフィーは、慌ててエルマの元へと駆け寄る。


「ちょっと、そこ! さっきから一体何を————」


 ぶよぶよとした贅肉を揺らし終えたゾフィーは、地上に描かれた絵を見て絶句し、立ち止まる。周囲の生徒たちも、その物々しさに顔色を変えて集まり始める。


「あ、あの。えっと……」

「これ、は……」


 言い訳を口にしようとしたエルマであったが、その声はゾフィーには届かなかった。何故ならば、そこに描かれていたものは彼女が研究対象としている双子の塔、『』だったのである。


 それも、ただ建物の外見を描いた訳ではない。彼女たちが懸命に探ろうとしていた、ミレリーの内部を仔細に書き記した、正真正銘の『』だった。

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