第5話 神谷の血縁

「お前……、なんだ、それは――」

「知る、か……、気づいたら、こうなって……っ」

 

 ぎりぎり、まだ意識は残っている。

 だけど、それでもあいつの声が薄っすらと聞こえるくらいだ。

 時間の問題か。


 ……片目の視力は、完全に持っていかれている……。


 そして、俺の体が、勝手に動くのだ。


 だっ、と地面を蹴る。

 飛ぶ――、空中で回転し、雪女を、簡単に、柊から剝ぎ取った。


 ごろ、と転がったのは、全身真っ白の、雪女本体の姿だ。


「――なに!?」


 自分でも、なにをしたのか分からない……、

 まるで、体の中から、誰かに操られているような――、


 憑依、されている?

 俺が、か?


「お前……、人間ッ!」


 氷柱を作り、俺に向けて放つ雪女。

 しかし俺は――俺の体は動揺せず、氷柱の側面を、冷静に、手で弾いた。たったそれだけのことなのに――、氷柱がぼろぼろと崩れていく。いや、蜘蛛の巣のような亀裂が走り、割れた。


「そ、の迫力……、力、どこかで――」


 雪女との距離は、二十メートルは離れていただろう――なのに。


 俺は、その距離を一歩で潰していた。


 目と鼻の先に、雪女の姿がある。


「なっ、速い!!」

「これで、終わりだ」


 声が、ぶれた。

 俺ではない声が、後からついていったような――、


「おい、暴れ過ぎだなあ、雪女」

「え……?」


 雪女の表情が変わる……、さあっと、彼女がまさか、青い顔をするなんてな……。


「どうして、あなたが――」

「どうして? おいおい、いたら悪いのか?」


 俺の口が動くが、俺じゃない、俺は、なにも言っていない!


 誰だ……、俺の内側にいる、お前は一体――、


「まさか……、人間、あんたは――、彼の血を引いて――」


 どんっっ、と太鼓を打ったような音が響き、

 俺の拳が、雪女の腹部に突き刺さっていた。


 かはっ、と、血の塊こそ吐き出さなかったが、雪女の意識がぶれている。


「やは、り、な……、その力……冷酷、さ――。間違いない、彼……の」


 雪女の言葉は、途切れ途切れだった。


「でも、まだ、四分の一も、力を出し切っていない……」


 これで、まだ四分の一も、出ていない……?


「彼が出てきたなら、わらわには無理だ……手に負えん、敵に回したくもない……。

 勘違いするなよ、人間……お前じゃない。お前の中にいる、血に、負けたんだ……」


 俺の、血……、神谷一族の、血か。


「宝の持ち腐れか……、そう言われたくなければ、使えるようにすることだ……。

 そうすれば今回のように、守りたいものが守れるだろう――」

 

 意識が、だんだんと戻ってくる。

 血が、俺の体を動かすのをやめたのか……?


「さすがは、神谷一族だ……、こんな小僧を隠していたとは――」


 雪女の肉体が、薄く、薄く、消えていく。

 

 そして、完全に消えた。

 少しだけ、季節外れの雪が降った。


「……冷てえな」



 ―――

 

 ――


 ―


「う……」

「よう、起きたか?」


「神谷く……どうして私は、おんぶされているのかしら」

「お前がぶっ倒れて起きないから、家まで送ろうと思ってな」


 あの後、雪女が消えたことによって、作られていた空間が消えた。

 気づいたら、道路の真ん中で倒れていたのだ……。

 俺も柊も、よくもまあ、誰にも見つからなかったな。


 慌てて起き、柊を起こそうとするも、しかし全然、起きなかったのだ。

 そして、今に至る。


「お前、どうせ動けないだろ?」

「そんなこと――あれ? なに、これ……体がしんどくて、重い……」

「ほら」


 妖に憑依されて、力を取られたんだ、動ける方がおかしい、のかもな。

 体力があり余っている、たとえば妹の舞とか飛鳥なら、無事かもしれないけど。

 柊では無理そうだ。


「ねえ、神谷くん――」

「なんだ、言っておくけど、この状態で俺にできることは限られてるからな」


「そういうことじゃなくて。

 私が倒れていた、のよね? でもあなたは……、ただその場を通っただけ、ってわけじゃないわよね?」


 記憶は……、ないみたいだ。


「覚えてないのかよ」

「ええ。神谷くんと電話をして、神社にいこうとしたのは、覚えてるけど……」


 ふうん。つまり、憑依されている時の記憶は、残らないのか。


「神谷くんが、助けてくれたのでしょう?」

「なんでそう思う?」

「だって、服がぼろぼろだから」


 あ。


「そんな状態に、普通じゃならないでしょ。私が倒れている間に、なにかあったとしか思えないわよ……、私を助けるために、なにか、大変なことをしていたんじゃないかって――」


 確かに、大変な思いをしたな。

 死にかけた――。

 それを、言うべきか、言わないべきか。


 中途半端に説明しても、納得しなさそうだしなあ。

 説明したら、こっちの世界へ、引き込むことになる――だったら。


 柊には、普通の世界にいてほしい。


 今度また憑依された時のために説明しておくべきかもしれないけど……、

 これは俺の、わがままだ。

 説明しない、そう決めた。


「別になにも。これはただ――そうだな、野犬に襲われただけだ」

「事件でしょ、それ」

「かもな」


 誤魔化せ……ないか。無理があるよなあ……。


「ふうん、そう。じゃあまあ――ありがとう」

「ん?」

「お礼。こうして、支えてくれたこととか、手伝ってくれたこととか、色々」


 俺の説明不足を、追及するわけではないのか。

 それとも、俺の気持ちを察してくれた……? 気を遣われてるじゃねえか。

 柊の優しさか……今はそれに、甘えておこう。


 後々、あらためて説明する機会はありそうだしな。


「助けてくれたこともね……」

「ん、なんて?」

「そこを右に曲がって」

「お、おう」


 そんな調子で、十五分。

 指示の通りに進んでいくと、柊の家に辿り着いた。


「でかい家だな」

「神谷くんがそれを言うの?」


 確かに、俺の家も大きいけどさ。


「おっと、大丈夫か?」

「もう大丈夫。家の目の前だから」


「そっか……気を付けろよ」

「……今度」


 扉に手をかけた柊が、振り返って、


「家に呼んで、お礼をするわ。そうしないと、私が私を許せないから」

「そ、そか……その時は、じゃあ……邪魔するよ」

「ええ……そ、それじゃあ、またねっ」


 手を小さく振る柊が、扉を開けてすぐに閉める。

 そんなに慌てて帰る必要があったのか?

 俺の返事も聞かずにいっちまうしよ。


「ったく……おう、またな、柊」



 柊と別れて、帰路につく。

 もう既に時間は夜になっていて――、星が輝いていた。

 夏休み初日の、長かった一日が、終わる。


 そう言えば、結果的に大掃除をサボってしまった……あとで謝っておこう。

 じいちゃんも事情は知っているだろうし、雛姉も許してくれるだろう……たぶん。


 え、大丈夫だよな?


 もしかして、雛姉の逆鱗に……、


 ぶるっ、と寒気を感じ、スマホを開く……そこには。



 着信履歴――、百二十四件。



「………………」


 スマホが鳴る。

 画面に出るのは、百二十五件目の、雛姉の着信だ。


 ふう、覚悟、しねえとなあ……。



 さて――、あらためて、だ。


 みんなはあやかしを信じるか?


 俺? 俺か? 俺は――、


 さすがに、信じてみようとは、思ってるぞ。




 ―― 柊と雪女 ―― 完

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