第4話 妖の世界
「――柊、どこだ!? 柊!!」
公園内をぐるぐると何周も走る。だけど、全然見つかってくれない。
ここまで見つからないとなると、もう公園内にはいないのか……?
だとすれば――、
頼む、まだ、近くにいてくれ……っ。
公園を出る。
そして、俺が向かった先は学校だ――、俺と柊が通う、高校。
いる可能性は低いが、しかし他にあてがあるわけでもない。
柊のことをよく知らないのだ、あいつが行きそうな場所など、分からない。
だったら、共通の場所を訪ねてみる方が、まだ当てずっぽうよりはいい。
でも待て。
もし、さっきのように、雪女が作り出した(?)神社のような場所にでも入られたら、見つけることはできないんじゃないか……?
今も、柊がそこへ迷い込んでいたとすれば――。
俺は入れるはず、でも、自分の意思で可能かと言われたら、曖昧だ。
入ろうと思って入ることができる場所なのか……。
前例をなぞるのであれば、俺は意識をしていなかった。
だからこそ中へ入れたとしたら――今の俺では無理だ。
意識してしまえば、意識しないで入ることは難しい。
いつの間にか入っているようなものなのだろう。
くそ、考えても考えても分からない……考える度にはまっていく感覚。
もう考えない方がいいのかもしれない……。
だったらもう、流れに身を任せてやってみるしかねえ!!
「よし!」
ぱんっ、と強く頬を叩く。気合、注入だ。
学校まで、十分もかからない。走れば、さらに短縮できるはず。
正門から堂々と入るわけにもいかないため、だから裏門へ回る――、制服に着替える手間はかけていられない。だったら後で咎められた方がマシだ。
周囲を警戒しながら、身長よりも少しだけ高い塀を登り、敷地内へ入る。
不法侵入のことなら、今更だ。
別に、今日が初めてってわけでもないし。
さて、向かう場所は、二択だ。校舎と、旧校舎。
目の前にあるのが旧校舎である。
明らかに怪しい雰囲気を出している……、妖が好みそうな場所だ。
生徒たちからの評判が最悪なのも、妖の仕業なのだろうか。
中は埃だらけで、教室の扉や床はボロボロだ。いつ壊れてもおかしくない、とまで言われている。取り壊す予定がないのも気になるな……、こういうのは大抵が、よくないものが憑いてしまい、壊そうとしても壊せない、という事情があったりするが……。
妖が住み着いてしまっていたら……、残されているのも納得だ。
「……柊? さすがに、いないよな……?」
思いながらも、見ておかなければならない。
なんとなく、もやもやする。実際に見て、いないことを確認しないと、次へいけないように――、自然と目が吸い寄せられるのだ……不思議だ。
足も、だからなにも考えずともまず旧校舎へ向かったのだろうか。
――すると、感じた。
一般の校舎に近かった場所とは違い、体の芯からくる寒気が……、俺を襲う。
蝕んでいる、のか?
冬の寒さとは違う……そうじゃない。
鼓動がだんだんと早まっていくのだ。
背筋が凍る……、恐怖心。
これは、まさか――入った、か?
雪女が作り出した、空間――世界に。
「マジかよ……」
さっきまでぼろぼろの廃墟だった旧校舎が、なぜか新築同様に綺麗になっていた。
リフォームをしてもこうは見えない。本当に、建てたばかりのように……。
それに、周囲も暗くなっている……、今は夏だ、日が落ちるのはまだ遅いはずだが……、
夜かと思ってしまうほどに、世界が暗くなっている。
「これも、雪女のせいなのかよ……」
勘弁してくれよ。
こんな夏休み初日は初めてだ……これから先、経験することはないだろう……。
したくもねえしな。
恐る恐る、俺は旧校舎へ足を踏み入れる。
外にいても事態は進展しない……だったら罠でもいい、中に入ってやる。
後ろで、扉が勝手に閉まった。逃げる気はまったくないが……一応の確認だ。
ガチャガチャ、と引き戸が固いことを確かめる――閉じ込められている。
開かないかー。まあ、予想はしていたがな。
あたりを見回す……、俺が知っている旧校舎とは、まったく違う。
まず間取りも――、大広間なんてなかったはずだ。
四つの教室の壁を取っ払ったような広さだ。
「っ、誰だ!?」
足音が徐々に近づいてくる……、
その人物は――柊だった。
「お前……」
彼女に駆け寄ろうとして、気づく……本当に、柊か?
世界を作れるなら人間も作れるのでは?
いや、作らなくても、そう見せるだけであれば、難しくはないはずだ……。
そうでなくとも、雪女が憑依しているかもしれない――いや、その可能性が高いだろう。
柊のおばあちゃんを狙い、そこから別の人間へ移ろうとした雪女……、
血縁関係が近い方が、憑依しやすいのではないか?
「……柊」
「そこまで疑われていたら誤魔化す必要もないか」
俺の言葉は必要なかった。
視線から、疑念が……表情に出ていたようだ。
一目見て、雪女は柊になり切ることを、諦めたのだ。
「お前は、神谷一族、四代目――」
「違うわ! 俺は継ぐ気なんてこれっぽっちもねえんだよ!!」
じいちゃんには悪いが、俺は向いてねえよ。
「ふうん、そうか。まあわらわも進んで敵を増やしたくはないしのう。
しかし……、継ぐ気がないとは言え、お前は厄介じゃな。
わらわの
は? お前が誘い込んだんじゃねえのかよ。
「その様子からすると、自分の意思ではない、か。
尚更厄介じゃのう。だが、今回に限れば好都合か――」
ぞくっ、と、首の裏に冷たい手が触れたように、
全身、鳥肌が立つ。
ターゲットにされたのだ。
雪女に――妖怪に。
「ここなら存分にやれるしのう。わらわを繋ぐ充電器も、若い女だ……、
さっきの老いぼれと違って、出力を上げることもできそうだ」
「てめえ、柊をッッ」
「遅い、遅過ぎる。お前では、遊びにもならんの」
「な――」
周囲の冷気が固まり、巨大な
頭上からの落下物を感覚だけでなんとか避ける――奇跡だ。
しかし、そんな奇跡も二回、三回とは続かない。
横に転がった俺は立ち上がるのに手間取ってしまう。
動きがその場で数秒止まる――そこを狙い、氷柱がさらに降り注ぐ。
「ちょっ、おい、待て待てストップ!!」
「なんだそれは、呪文か?」
伝わらねえか!
昔の人に英語って伝わるの?
ともかく、近くの扉を開け、中へ飛び込んだ。
避難する……壁に背をつけ、はあ、と一息ついた。
動きっぱなしでは最後まで体力が残らない。
「っ、死ぬ! これ、マジで死ぬぞ!? 部活してないから体力もねえし……!」
ぜえはあと息が切れている。全然、呼吸が整わない。
そして、俺の状態が万全になるまで待ってくれる雪女でもなく――、
扉が氷柱で破壊された。
「早っ――」
どうする、どうする!?
雪女のエネルギーは、柊からだ……、だったら引き剥がしてしまえばいいのだが……、
当然、それができれば苦労なんてしていないのだ。
こんな状況にも追い込まれていない。
くそっ、柊に近づいたからと言ってどうにかできるはずも――、
「ッ、痛っ!?」
頭頂部に衝撃が走り、視界の中で星が散る……なにが……?
頭上――、いや、なにもないぞ?
どこから落ちてきた荷物なんだ?
足下に散らばっている、これは……。
「…………ふうん、いけるか?」
ニヤァ、と自然と笑みが漏れた。
――思いついたことがある。
さて、反撃を始めようか。
―――
――
―
落ちてきたそれを手に取る。これを具体的にどうするのか。
……というか、どうしてこれがこんな場所に? 絶対に使うことがないはずだが……。
まあ、でも、これでなにかが起こせるのであれば――。
「余裕じゃのう、では、出力を上げるとするか」
と、氷柱が頭上に出現する。
「っ!?」
横へ大きく転がる。
氷柱は、俺がいた床に突き刺さる。
おい、おいおいっ、冗談じゃねえ!
さらに、また氷柱が作り出され、俺を狙う――。
射出され、走る俺の踵をかすり、床を破壊した。
あぶ、危ねえ!?
数が多過ぎる!!
走り抜け、隣の部屋へ飛び込む。
氷柱は壁を突き破ったりはせず、突き刺さったままだ。
威力はそこまでではないらしい……。
それでもやっぱり、直撃したら痛いだろうなあ。
とりあえず、避難は成功したが……しかし安心ではない。
ここでのんびりしている暇もない。絶対に追いつかれるだろう。
雪女が、確実に俺を殺しにやってくる。
……逃げたい、今すぐに、ここから。
でも、まだ、憑依されたままの柊がいる。
あいつを置いて逃げるのは、後味が悪いな。
だからさ、結局なにが言いたいのかと言えば――、
「まずは、柊を取り戻さねえとな」
だから、雪女は倒せなくともいい……最優先事項は、柊の救出だ。
もう、やり方に選り好みなんてしている場合じゃない。
俺に選べる余裕なんてないし、格好良く解決できる技術もない。
そうだ。
下手くそは下手くそなりに、全力でやってやろうじゃねえか!
妖の倒し方――、これはきっと、じいちゃんからすれば『違う』のだろうし、もしかしたら悪手なのかもしれない……、それでも。
俺には、これしかないのだ。
これしかなければ、これをするしかない。
これに、賭けるしかない!!
俺は、継ぐ気はねえよ……だから、俺は俺のやり方で、妖を討つ!!
握り締めていた、さっき頭上から落ちてきた中の一つ――ライター。
俺は、火を点ける。
そして、木造の教室に、投げた。
落下したライターの火が、木材に燃え移り――、
火が炎となり、あっという間に燃え上がった。
雪は、炎で溶ける。
妖に通用するかは分からないが、それでも、当たり前のことだろ?
「よし、あとは――」
あとは、がまんだ。
やがて、教室は燃え、崩れるだろう……もちろん俺だって危険だ。
だからこそのがまん大会。
俺か、雪女か――どっちが先に音を上げるのか。
「お前、本当にこれでわらわを倒せると思っているのか……? 浅はかじゃのう。呆れる。
無駄じゃよ……、お前、自殺でもしたいのか?」
「なに……?」
雪女は、燃えている道を、構わず突き進んでくる。
「わらわを倒したければ、
こんな、人間が作り出したただの炎なんかで溶けるわけないじゃろ。熱くもない」
くくく、と笑う雪女。
でも……、俺も笑みがこぼれる。
狙いはだって、それじゃない。
「お前には効かないよな、やっぱり――」
「ん? 分かっていながら……? なら、この炎の意図は……お前はなにを企んでいる?」
「さあ? それをお前に言うわけないじゃん」
そう、俺の狙いは雪女ではない――、柊だ。
雪女は、この炎に耐えられるだろうな……でも、お前が憑依している柊の肉体は、どうか。
やがて衰弱していくのではないか?
おばあちゃんの衰弱を止められなかったように。
肉体を使い捨てにしているのだから、憑依した肉体を回復させることはできないだろ?
だから、
やがて衰弱していき、雪女へのエネルギーの供給が、切れるのではないか。
そこが狙いだった――しかし、問題がないわけじゃない。
リスクが大きい。
それに、柊が衰弱し過ぎるのもダメだ。
柊を救うために、柊を殺しては本末転倒だ……。
だから、雪女に柊はもう使えない肉体だと思わせること。
そして、柊から脱出させることだ。
柊から出てくれれば、こっちのもの――。
この作戦は、ひとまずこの状況を打破させるためであり、先延ばしに過ぎない。
雪女の本体を、どうこうするわけではないのだ。
俺には、決着をつけるだけの力がない。
じいちゃんとは違うのだ。
俺ができることは、この世界から柊を連れて出ることだ。
そのための作戦だったが、しかし、
そう思い通りにならないのが、現実であり、人生ってやつだった。
「ほお、ほおほおほお! 良い手じゃないか。
でも、これでわらわがこの娘から脱出をするとでも?」
そこまで、絶対の期待をしていたわけではない。
これはがまん大会だからな。
「ふん、なら言っておこうか。わらわは、この娘が死のうが、どうでもいいぞ?」
「――な、にを」
「もう充分、力は吸い取っている。これ以上、奪わずとも構わんのじゃ。
考えなかったのか? わらわは力を奪い、結果的に最後には殺すのじゃ。この娘が死ぬ前にわらわが抜け出るとでも? くくく、お前はわらわの根本を勘違いしているようじゃなあっ」
こいつ――!!
これでは、俺が想定していた状況になってくれない――最悪だ。
このままだと、俺だけじゃない……柊も、死ぬ!
どうにかしなければ――、しかし、もう遅かった。
完全に囲まれている――炎に、だ。
俺が撒いた種が、俺の首を絞めている。
自業自得が生んだ絶対絶命のピンチ。
じわり、汗が出ている……、熱さではない……絶望の……、
死への恐怖が、どくどくと汗を生み出している――。
「――げほっ、がはっ!?」
やばい……ッ、息、が……ッッ。
「苦しいか? なんて弱い生き物なんじゃろうなあ、人間とは」
くそ、意識が、遠く、遠く――、
光が、失われていく。
「お前はよくやった方だ、ただの人間にしては。
だからもう、楽になれ――」
視界が、ぐちゃぐちゃになる、意識が、本当に落ちて――。
ここで死ぬ……? でも、自業自得だ、諦めはつく……だけどっ。
柊は?
あいつは、望んでもいないのに憑依された、被害者だ。
俺のせいで、炎の中に閉じ込められて、苦しんでいる――、あいつはなにも、悪いことなんてしていないのにッッ!
俺なんかと違って、これから先も、人を引っ張り続けることができる、出来たやつなのに!!
俺のせいで……、
だから。
ここで、倒れるわけにはいかねえだろうがッッ!!
「させ、るか……っ、柊、だけは……っ、お前なんかに渡してたまるかぁ!!」
「ほお、意識を取り戻したか。では、どうする?」
あいつの言う通りだ、具体的な方法など、ない。
だから俺は、がまん対決という遠回りな方法を取ったのだ。
正面から殴っても勝機なんてないから――でも。
最初からそうしていれば良かったとも思う。
俺は、あいつが見える、あいつの攻撃が当たる――なら、触れるはずなんだ!!
「うぉおおおおおおおおおッッ!!」
覚悟を決めて駆け出す。雪女であり、柊である、彼女の体に向かって。
「――ここにきてこれか。面白い。小細工なしの、真っ向勝負か」
雪女が軽く腕を動かす。
それだけで、目の前からの吹雪が俺を襲った。
「うっ」
体の表面が、パキパキ、と凍っていく。
肌が白く、覆われていく――。
「――はぁ、はぁっ」
周囲は赤く染められている、炎の中なのにもかかわらず、それは溶けない。
これが、妖の氷。
雪女の、力なのだ。
結局、俺は、あの家に生まれても、なにも持っていない。
妖を信じようとしなかった罰なのかもな……。
力がない、ただの人間。ただの普通の、高校生で――。
そんな俺が、どうしてここで命を張っている?
守りたい女の子が目の前にいるのに、守れないのに。
口先だけで、守れやしないのに。
「――違う!」
折れかけた心を、引き戻す。
違う、違う、違うッッ。
勝手に決めつけるな、守れない、じゃねえ!!
守れ! やり方なんて、なんでもいい、ただ、それだけを、貫け――守れ!!
折れるんじゃねえぞッ、出来損ない!!
それだけが俺の、取り柄だろうがあッッ!!
そうだ――だから、踏ん張れ、食い千切れ、噛みしめろ!
あの子を、救えっっ!!
「がぎ、あ、あがあああああああああああああああああああ!!」
これは、痛みじゃない。
違う、そうではない、不思議な感覚だ。
内側が、熱い。
沸騰しているように――、衝動が上がってくる。
そして、
意識が、遠のいていく――。
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