第3話 一枚目・雪女

 長いランニングコースを全速力で駆け抜ける。

 流れる景色の中を見渡すが、柊のおばあちゃんらしき人物はいない……。


 もしかして、もう見つかったか? 

 それならそれで、柊から電話があるはずだしな……。


 柊と別れてから、三十分が経とうとしていた。

 そろそろ、状況が進展しても良さそうなものだ。


 すると、この公園にはあまり似合わない、神社があった。


 もしかして、ここにいるんじゃないか?


 おばあちゃんって、古い建物が好きなイメージがあるしな。


 俺はランニングコースからはずれ、神社へ向かう。

 神社の中には――、一人の、おばあちゃんがいた。


「あ、あの……っ」


 声をかけたら、相手はすぐに気づいてくれた。


「おや、こんな場所に若い子がくるなんて、珍しいね」


 おばあちゃんが優しく微笑んだ。


「あの……、柊、美月……さんの、おばあちゃんですか?」

「ええそうよ……あら、美月ちゃんのこと、知っているのねえ」


 俺のことを警戒せず、なんでも話してくれた。

 おばあちゃんはみんなこうなのか? 防御が薄くて不安になる。


「へえ、あの子、学級委員なの……意外だわ」

「え、知らなかったんですか?」


「ええ、あの子、学校のことは話してくれるんだけど……、自分のことはあんまりねえ。

 そういう年頃なのかもしれないけど……」


 おばあちゃんの表情が、どこか寂しそうに見えた。

 そりゃそうだろう……、おばあちゃんの楽しみと言えば、孫と過ごすことなのだから。

 冷たくされたら当然、悲しいし、寂しい。柊がわざとやっているかどうかは別としてな。


「嫌われたのかねえ」

「そんなことないですよ。柊も、さっきまでおばあちゃんのことを探してましたから」


 そう言えば、柊に電話をしていなかった。

 見つけたことを知らない柊は、今頃、必死になって探しているだろう……。


「あの、ちょっと電話をしてきてもいいですか?」

「いいわよ」


 おばあちゃんの元から少し離れる。

 それからスマホを操作し、登録したばかりの番号へかけ、

 コールが響き、繋がった。


「見つけたぞ、お前のおばあちゃん」

『そ、そう……』

「……? あ、もしかして今の今まで全速力で走ってたか?」

『そういうわけじゃ……はぁ、ない、けど……ん』


 じゃあその息遣いはなんなんだよ。完全に息を切らしてるなあ。


「まあいいや。場所は公園の中にある神社だ……すぐ分かると思うぞ。ランニングコースから少しはずれると思うが……そこにいるからな。お前もすぐに来いよ」


『神社? そんなの、ここにあったっ――』


 そこで、唐突に電話が切れた。

 終了ボタンを押したわけではないし、電波が悪いわけでも……。

 なんで切れた……? 気になるが、まあいいか。

 

 スマホをしまい、おばあちゃんの元へ戻ると――違和感があった。

 おばあちゃんが、小刻みに震えていたのだ。


「お――おばあちゃん!?」


 駆け寄り、おばあちゃんを支える。

 触った瞬間――、驚いた。これは、だって、まるで……ッ。


「冷たい……ッ」


 冷凍庫に手を入れたような感覚……、体温がマイナスだ……。

 さっきまでは、ちゃんと温度を持っていた……なのに。

 俺が席をはずしていた少しの時間に、なにかが起きたのだ――。


 そう考えるのが自然だろう、まさか、おばあちゃんは元から死んでいて――なんて、白昼夢を見ていたわけではないだろうし……、そんなわけがないと信じたい。

 死んでるわけない。

 おばあちゃんは、まだ……っ。


「おばあちゃん――おばあちゃん!!」


 意識はあるのか? まさか――、

 目は、閉じている。開かない。どんなに呼びかけても、開かない。

 俺は、急に怖くなった。どうしたらいいのか、分からなくなって……。


「そ、そうだ! 救急車を……ッ」


 スマホを再び取り出してボタンを押して、でも、繋がらない。

 そんはずはない! 何回もかけ直すが、同じ結果だ。コールされないのだ。


 本格的に、これはおかしいと気づく。どうして繋がらない!? こういうのは優先的に繋がるはずだろう――なのに、どうして――なんで!?


「おばあちゃ――」

 

 俺の後ろに、ゆっくりと立ち上がったおばあちゃんがいた。

 様子が、さっきとは違う……?

 揺れるような、不規則な動き……、まるで、ゾンビのようで――。


「ひっ」

 

 思わず出た情けない声。俺は一歩、後ろへ下がる。

 これは防衛本能だ。体が警告している……近づくな、と。


「――ほお、勘が良いな、人間」


 おばあちゃんの口が動いていた。だけど、声は同じでも、おばあちゃんじゃない。

 目の前に立つ存在が、俺よりも随分と大きなものだ。

 体が、じゃない。中身が――だ。


「……お前は、誰だ」

「ふふふ、なんじゃ、わらわのことを知り、近づいたわけではないのか」


 どういう……?

 おばあちゃんではない、こいつは、

 俺が知っていると思っていた、と?


「お前のおかげだ。おかげで、こっちに出られた。それには感謝じゃな。

 また、あの札に封印されては困る――恩人じゃが、始末しておくべきか」


 あの家の者なら例外なく、と口が動いている。


 札、封印……?

 そのワードは、すごく、うちっぽい。


「――さ、寒っ」

 

 夏なのに鳥肌が立つ……寒い。まるで、ここだけが雪の日のようで。


 あ、だからか……おばあちゃんが冷たかったのは、死んでいたから、ではなく、この寒さによって、体が冷えてしまっていただけだった。


 すると、おばあちゃんの真上、ちょうど頭の上くらいの位置に、薄っすらと見えた。


 真っ白な、今度は髪まで真っ白な――、白い着物を着た女性だ。


 だけど、足はない。見えない。膝から下が、まるで幽霊のように、透けている。

 ……みたい、ではないのか。これはれっきとした――、そう、


「幽霊……?」


「似ているが、少し違うじゃろ。幽霊も、まあそれには含まれるが。

 それにしても、お前はわらわの姿が見えるのか……なら、素質はあるようじゃ」


 見える、見えない……なんだそれ。

 それじゃあまるで、見えている俺がおかしいみたいな言い方じゃないか。


「――『あやかし』、聞いたことくらいあるだろう?」


 ちっ、またそれか。


「わらわはそれじゃよ。――雪女。だが、封印から解かれたばかりで、力が足らんのう。

 だからこうして、栄養を取り込まないといかんのだ」


 俺を、俺を――そっちへ引きずり込むんじゃねえよ……っ。


「こいつは、もうじき死ぬな。わらわの復活のため、力を送ってくれておる。

 恩人じゃな……だから死ぬ時は、凍らせて、綺麗なまま死なせてやろう」


 ……、あー、もう、ふざけんなよ。


「くそ……っ、ばあちゃん!!」


 ばあちゃんの両肩を掴む。その体はさっきよりも冷え切っていて、ずっと触っていたらこっちが凍傷になってしまいそうだった。


「しっかりしろ――ばあちゃんっ! 柊が、孫が、すぐに来てくれる! だからっ、こんなところでくたばるんじゃねえぞ!! 聞こえてんのかよおおっ!!」


 叫ぶ。でも、おばあちゃんはそれでも、起きてくれない……。う、そ、だよな……?

 こんなの――こんな結末って……ッ。


「柊に、なんて説明すればいいんだよ!!」


 雪女に凍らされ、おばあちゃんは殺されました――とでも言えってか?

 ふざけんな……っ、言えるか、そんなこと!


 こんなことになるのなら。

 じいちゃんの話を、真面目に聞いておくべきだった……。


 聞き流さず、しっかりと聞いておけば、

 俺は一人でも多くの人を、救えていたかもしれないのに……。


 もう遅いのだ。

 俺は、なにも分からない。

 ここからどうすればいいのか、どう対処をすればいいのか、分からない。


「――もういいか? お前は、素質があると思ったが……そうでもないようじゃな。

 どちらにせよ、始末はする気だったしのう――」


 始末、ね。どうせ、殺されるのだ。

 俺が頑なに信じようとしなかった、『妖』に。


 だったら――だったら、好きに足掻いて死んでやる!!


「うぉおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」

「ふん、無駄な足掻きとはこういうことを言うのか」


 無駄で結構だ。なにもしないよりは、マシだからな!


「潔く美しく死ぬことも、必要な美学じゃよ、人間」

 

 そして――、


 俺の意識を引き寄せたのは、足音と、声だった。



「――無駄なことなど、この世に一つもありはしない」


「……え? じい、ちゃん……?」



 俺と雪女の間にいつの間にか介入していたのは、俺の、じいちゃん……。


「ったく、このバカ孫めっ、せっかく長い年月をかけて封印してきた妖を放ちおって!」

「封印を? え? 俺、そんなの知ら――」


「札だ。お前と舞でばらまいた、あの札には、妖が詰まっていたんじゃよ!」


 舞と……あ、ああっ、あれが!?


「今頃、町中はパニックじゃな。

 封印が解けたのは、なにもこの【雪女】だけではないからの」


 思っていたよりも、ヤバイ状況みたいだ……。


「お前は……、神谷一族の……」

「ああ、三代目だ」


 神谷一族……、なんだよ、それ……。

 そんな呼ばれ方をしているのか?


 まさか、子供の頃にじいちゃんが教えてくれたことは、全部、本当だったって……?

 胡散臭い話だなあ、と思っていたのが、まさか。


「じいちゃんが、三代目……」

「教えていなかったか? わしは三代目、お前が四代目だ」

「勝手に決めるな、誰が四代目だ!」


 冗談じゃない、なってたまるか、そんなもん!


「安心しろ、冗談じゃ。お前に簡単にやれるほど、わしにとって軽くない……。

 それに、お前にできるほど甘いものでもないんだからな」


 ……そう言われると、できると言いたくなるがな。

 その手には乗らねえよ。


「ふん、三代目が来たから、なんだ? 状況は変わらんよ。

 三代目――お前は老いた。それに、封印という手段を取ったのは、わらわに力では敵わないと自覚しているからではないのか?」


 ……さすがのじいちゃんでも、こいつには、勝てないのか……?


「それはどうだろうな」

「なんだと?」


「確かに、敵わなかったな……昔は。今は違う」


 やがて、じいちゃんの雰囲気が変わった。

 一目瞭然、じいちゃんの周囲が、歪んでいく錯覚が見えている。


「え……、え!?」


「妖一」


 俺に声をかける。……じいちゃんめ、なにをさせるつもりだよ。


「お前には、色々と教えてきたな……そのはずだが。だけどそれは、言葉だけだった……確かにこれでは、お前も信じてはくれんだろう――だから、よく見ておれ。

 今から存分に見せてやる。

 わしの――わしや先代が繋げてきたものを、その目で見届けろ!!」


「……ああ、分かった」


 じいちゃんの小さくて、だけど大きな背中を見たら――嫌とは言えない。

 言うつもりもなかった。


 見届けなくちゃいけないわけじゃない――、俺が。

 俺が、見届けたいと思ったのだから。


 しっかりと、見届けるぞ、じいちゃん。


「ふん、老いぼれになにができる。さっさと殺してやろう――、氷漬けになれ」

 

 びゅおっ、と吹雪がじいちゃんを襲う。

 その突風は、寒いのではなく、もう『痛い』だ。


 そして、その影響は近くにいた俺にも。


「っ、いって――」

「わしの後ろにいろ、妖一」


 じいちゃんは、平気……?

 嘘だろ……、どんな体をしてやがる。


「こんなもので神谷一族を倒せるとでも? 随分とまあ、舐められたものだな」


 じいちゃんが懐から一枚の札を取り出した……、それを投げる。

 すると、その札は、まるで意志があるように、動き出した。


式神しきがみ。聞いたことはあるだろう?」

「まあ……なんとなくは」

 

 主人の言うことを聞いてくれる……、という知識しかないが。

「まあ、そういう認識でいい」


 呆れたようなじいちゃんだが、説明を受けた記憶がないんだよなあ。



「はっ、わらわにそんなものが効くとでも――」

「いや、狙ったのはお前ではないのう」


 すると、雪女が気づいたようだ。


「お前……っ、まさかッ!!」

「お前のまさかは知らんが。わしの狙いはそこのばあさん――じゃよ」


 式神が一直線におばあちゃんの元へ向かう。

 そして、一枚が、一気に複数に増え――、ペタペタッ、と全身を覆うように貼りついた。


「ここから、お前を吸い取ってやろう」

「お――老いぼれ!!」


 雪女の表情が変わる……、冷静沈着だったイメージが、崩れた。

 激昂、そんな顔だった。

 妖も、あんな顔をするものなのか……。


 じいちゃんが両手を合わせ、力を込める……、その場から一歩も動かない。


 雪女の力が、少しずつ、式神へ吸い取られていく――。


「これで終わりじゃよ、雪女……、お前が最初に戻るんだ」


「戻る……? あの暗い場所に――そんなの、そんなのッ、

 閉じ込められてたまるかぁあああああああああああああああッ!!」


 瞬間、


 雪女が――消えた!?


「は? どこ、へ……」

「しまったっ!!」


 じいちゃんが慌てた。

 さっきまでの余裕はどこにいったんだよ。


「ちっ、逃げられたか……ッ」

「なあ、どういうことだよ」

「妖一、急いで探せ! まだ町には行っていないはずだ!!」


「ま、待て待て! 話を進め過ぎだ、俺にもちゃんと説明しろって!」


 指示だけされても、目的が分からなければ俺だって思い切れない。

 今がどういう状況でどういう危機が迫っているのかだけでも、知りたいのだ。


「教えてやりたいのは山々だが、説明している暇はない。ただ、ようするにだ、早く雪女を見つけ出さないと、大変なことになる――それだけ理解しておればよい」


 なんだよ、それ……、


「なんだよそれッ!」


 じいちゃんに促され、俺は勢い良く神社から出る……、外はさっきまでと変わらない。

 雪女がさっきまでそこにいたのが、まるでつまらない作り話だったみたいに――。


「って、あれ?」


 振り返れば、今までいた神社がなかった。

 神社を出て、俺はまだ数歩も歩いていないぞ……?


「じいちゃん……? なんだよ、どういうことなんだよこれ!!」

 

 神社があった場所は、空き地になっていた。


 もしかして、今までのは幻覚……? しかし、寒気はあった……、雪女も、恐らくはそこにいたはずだ……なのに、なんでだ?


 雪女は妖だ……妖怪だ。

 あの神社はまさか、雪女が作り出した、小さな世界だったとでも……?


 それに、あいつは言っていた。

 お前には、素質がある、と……、普通の人には見えないものが、見えている――。

 あの神社はだから、素質がないと入れない!?


「柊は!?」

 

 なら、一般人である彼女は、神社に辿り着くわけがない……たぶん。

 柊に素質があれば話は別だが、そんなはずはない……だろう。


 分からない。

 俺は柊のことを、よく知っているわけではないのだから。


「そうだっ、電話だ!」

 

 スマホを使い、電話をするが……、だけどいつまで待っても出る気配がない。


「くそっ、柊――どこに……ッ」


 まさか……まさかまさか、まさかッッ。

 そんなわけ……ないよな?


「柊!?」


 じいちゃんが言っていた『大変なことが起こる』。


 それは、もう起こっているのではないか……?

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