第二集/舞と虎狼狸(ころうり)

第6話 妖一と柊

「はあ……」


 目覚めの良い朝、ではなかった。

 だって今は、あと少しでお昼の十二時。

 ――もうお昼じゃん!?


「寝過ぎたあ……」


 そう言えば腹が空いた。健康的な生活を送っている平日と比べて、雛姉の朝食を抜いているのだ、さすがに腹の虫も強く鳴くだろう――なにか食うか、と思い、一階へ下りる。


「うわ、誰もいねえ」


 それもそうか。雛姉はバイト、飛鳥は遊びだろうし、

 舞は部活……蝶々は、どこでなにをしているのか分からない。


 じいちゃんもばあちゃんも出かけているらしいし。

 冷蔵庫を開けるも、中にはなにもない。

 仕方ない……買いに行くか。


 俺は財布をポケットに突っ込み、家を出る。

 外の光が眩しい、ジリジリと肌が焼けていく。気力と体力が、奪われていく。


「あーつーいー」


 どっと汗が噴き出る。だらだらと流れ、早くも服にべったりと付着した。

 とてつもない嫌悪感だ。なんで俺がこんなことを……と思ってしまう。


 まあ、腹が空いた自分のための食糧を買いに行くからなんだけど。

 それでも、やはりきついことに変わりはない。


 暑いのは苦手だ。夏は苦手。だからと言って冬が好きってわけでもないが。だからあまり外には出ないタイプである……、しかし、一回だけ、俺らしくもないこともしたっけ?


 夏休みの初日。

 俺は信じられないものを見た。


 妖。妖怪。

 そして、雪女。


 あの日の体験は、俺にとっては一生、忘れられないものになった。


 あれだけのインパクトがあれば、嫌でも記憶に残っちまうものだ。


 あれから、そう日にちも経っていない。

 一週間も経っていないな……、五日くらいか?


 じいちゃんはなにも言ってこないし、雛姉や飛鳥、妹二人も特に変化もない――なんだかヤバイ雰囲気だったけど、じいちゃんが解決してくれたのだろうか?


 いつも通りの日常が戻ってきた、と考えていい……?

 問題があればじいちゃんが言ってくるだろうしな――うーん。


 妖に疎いと、なにをしていいのか分からないな。

 問題があるのかどうかさえ分からない。


 そして、妖よりも。

 問題としては大きなものが、俺にはある。


 ―― ――


「あ、神谷くん」


 ぴたり、と体が反応した。

 おかしいな……、ここ最近の遭遇率がおかし過ぎる。

 多いんだよ――さてはお前が妖怪だな?


 この五日間、ほぼお前と会っている気がするが……。

 ささっと出かけたコンビニへの道中で必ず会うんだもんなあ……。

 偶然か? 偶然じゃなさそうだけど。


「柊かよ」

「なによ、そのガッカリした感じー」


 だって、五日連続って、お前な……。


「なあ、お前って暇なの? 

 毎日会うけど。会ってもどうせ、その場でこうやって喋ってるだけじゃねか」


「別にいいじゃない、それで」

「用とかないなら引き止めるなよ。暑いんだから」


 たとえ夜でも、直射日光がない分、楽だが、それでも暑いのだから。

 悪いけどな、これが本音なんだよ。


 会うことは別にいいよ、ただあいさつしてすぐに別れるなら、問題はないんだ。

 でも、こんな道端で長々と話せるほど、俺の気力と体力はないんだよ。


 ここで別れてすぐにコンビニに飛び込まないと、俺でも溶ける自信があるぞ……!


「ふうん。暑くない場所ならいいのね?」

「は?」

「涼しいところならいいんでしょう?」

「まあ、それは、まあ」


 あれ? なんで胸倉を掴まれているの?


「じゃあ、私の家に招待してあげるわ」

「は? え!? ちょっ、なんでいきなり!?」

「この前、言ったじゃない。家に呼んであげるって」


 そう言えば、そんなことを……。

 言っていたような――、言っていたか?


「でも、今から……?」

「お昼、作ってあげるけど」

「行きます! 行かせてください!!」


 よし、目的変更だ、飯を食って、さっさと帰ろう。


「えぇ、急に……。でも、うん、いいけどね」


 と、なぜか柊が目を逸らして。


 なんなんだよ――ん? 確か柊の家って……。


「噂で聞いたけど、結構大きいよな、お前の家って」

「うん? 大きい方、なのかなあ……」


 可愛らしく、小首を傾げる。思ってみれば、柊とこんな風に話すようになったのも、妖のおかげなんだよなあ……あの事件がなければ、一生、話すことがないクラスメイトだった。


「どうしたの? いくわよ」


 我に返ると、柊はもう遠くの方まで歩いていた。

 いつの間にか、結構な距離を離されている。


「あ、悪い」


 俺は駆け足で追いかける。

 確かに、雪女との戦いは痛かったし、つらかった。

 でも、それで得たものも、確かにあったんだ。


 こんな人生も、まあ、ありかなあ。


 夏休みは、まだ始まったばかりだった。


 ―― ――


「いらっしゃい」

 と出迎えてくれたのは、あの時のおばあちゃんだった。


「どうも」

 反射的に、ぺこぺことお辞儀をしてしまう。


 そんな俺を見て、おばあちゃんはにこにこと笑ってくれている。


「さっさと入りなさい」と、頭をはたかれた。


「て、なにすんだよ!」

「いいから、ほらっ、二階が私の部屋だから――さっさと歩く!」


 柊が、なぜそこまで急いでいるのか、分からん。

 すると、おばあちゃんの表情が、にこにこからニヤニヤに変わっていた。


「美月ちゃんも、やっと友達を連れてくるようになったのねえ、ばあちゃんもうれしいよお」

「ちょっ、おばあちゃん!? もう、いいから放っておいてね!?」


 そう言って、柊はおばあちゃんの背中をぐいぐい押して座らせる。


「……なんか知らんけど、その扱いは酷いんじゃないか?」

「うるさいっ、いいからさっさと上がれぇええええええ!!」


 お、鬼の形相だった……、俺、なにか悪いことでもしたっけ?

 これ以上、怒られるのは嫌なので、二階へ上がる。すると、二つの部屋があり――、


 一つは、【皐月さつき】というネームプレートがぶら下がっている。

 これ、柊のお姉さんか?


 そして、その隣に【美月】と書かれたネームプレートが。

 ここが柊の部屋か。


 ……姉妹だとは思わなかった。完全に一人っ子だと思っていたからな。


 でも、柊は委員長で、どちらかと言えばお姉さんタイプに思える。

 だったら、皐月という人は、妹なのかもしれない。


「…………」


 興味本位。

 でも、さすがにそれはダメだろう。

 他人の部屋を勝手に開けるのは――だって中にいるかもしれないし。


 でも、気になる……どうしてだ?

 もやもやがある。心の中で、変に詰まっている感じだ――なんだこれ。


「ううう」


 手が動く。ああああああああ!? ダメだ、やめろ手が勝手に!!

 なんでドアノブを目指してんだよおおおお!!

 

 やめろおかしい制御が利かない!?

 このままじゃ、柊がいない間にあいつの妹? に会っちまう!!

 それはマズイ気がする……ダメだ、手よ止まれ、お願いだからあああああああああ!!


「――ねえ、なにしてるの?」

「はう!?」


 心臓に突き刺さるような声。

 おかげで、手は止まった――が。


「そっち、違う部屋なんだけど」

「えっと、これは、その……」


「ネームプレート、あるわよねえ? まさか、それが見えなかった、なんて、

 言うつもりはないわよねえ?」


 ゴミを見る目だった。

 ああ――終わった。

 これ以上の言い訳はない。持っている知識をかけ集めても、まともな言い訳は思い浮かばない……、これは、そう、ジ・エンドだ。


「ううう」

「……神谷くん、どうして両手を私に向けているのかな? 手錠でも付けてほしいの?」

「だって、俺、もう逃げられないし」


「自首、という選択はよろしい。でも、その前に謝る、という選択肢はなかったの?」

「謝ったら許してくれるんですか?」


 柊は人差し指を顎に添え、考えてから、


「許さないっかなっ」


 笑顔で言いやがった。


「やっぱり! だからだよ! だから両手を差し出したんだよ期待するなよ俺ぇえ!!」

「いやいや、冗談だってば。――ああもう、いいから、部屋に入って。話は中で聞くから!」


「事情聴取か!? 許す気ないんじゃ――」

「とっとと入る!!」


 横っ腹に、大きく振りかぶって放たれた蹴りが入る。

 その勢いで、俺の体が柊の部屋へ飛んでいった。


「うぐう!?」

 ガガッ、と机の脚に頭をぶつけた。

「いいっっ!?」


 言葉にならない激痛。

 わしゃわしゃ、と頭を掻きむしった。


「えっと……大丈夫?」


 柊が呆れた様子だ。いや、お前のせいだろ。


 痛みが治まらずに呻いていると、柊がタオルをくれた。


「これで少し押さえて……まあ、蹴ったのは、ごめんなさい」


 それだけ言い、俺から目を離して自分のベッドに座ってしまう。

 あ、痛みがなくなってきた……。


「ふう……ここって、お前の部屋なんだよな?」

 

 ――イメージと違うな。

 部屋のカーテン、ベッド、タンス、テーブル……ピンクで統一されていた。

 全体的に明るい雰囲気だ。ベッドにはくまのぬいぐるみがたくさんあり……、

 可愛い部屋だ。


「……なに?」


 柊が、きょろきょろしている俺を睨んでくる。


「いや、えっと……なんというかさ、可愛いな、お前の部屋」

「か、かわ!? そ、そんことないでしょ、普通よ、普通!!」

「いや、なんだかイメージと違うからさ……」

「私のイメージってなに……? それ、気になるわね」


 柊のイメージ、か。


 うーん……、話したばかりってこと以前に、俺はそもそも、お前のことを認識していなかったわけだし……ないよなあ?


「特にないかも」

 ドンっ、と顔面を蹴られた――蹴られた!?


「そんなに特徴がないかしら私は!!」

「が、め――顔面に入ってるんだよ美月さん!?」


 顔面を押さえながら起き上がる。

 柊が機嫌を損ねてしまったらしい。


「機嫌を直せよ、そんなんじゃあ、毎日がつまらないぞ」

「あんたに言われたくないわよ」


 確かに俺のせいではあるが……、

 ちょっとくらい、許そうとする努力をしてもいいと思うけど。


 しーん、と、部屋に静寂が訪れる。

 気まず……っ。


 そこまで仲が良いわけでもないし、知り合ったのは最近だし――(あっちは知っていたみたいだけど……、一応はクラスメイトだ)。

 俺はこの静寂が嫌で、無理やりに話題を探した。


「あ、そうだ。お前って妹いたんだな。隣のさ――」

「ええ、妹が、いたわよ」


 やっぱり妹が――ん?

 そこで気づく。


「妹が、いた……?」


 なんで、【いた】なんだ……?


「…………まさか」


「妹は――死んだの」


 柊は、押し殺すように、噛み殺すように。

 感情を抑えつけていた。


 だから怒りも悲しみもなくて。

 そこには無しかなくて。


「お前――」


「同情はいらない。だって、別に殺されたとか、自殺に追い込まれたとか、そんなことじゃないんだから」


 柊が俯いた。

 思い出しているのか、声だけは、震えていたのかもしれなかった。


「妹の死因は病気なのよ。病気だったら――、一体、誰を恨めばいいの?」

 

 柊は叫ばない。もう、叫び疲れたとでも言いたげに。

 これはデリケートな問題だ。他人である俺が、柊に言えることはなにもない。

 慰めることも、傷を広げてしまうかもしれない。


「悪い、嫌なことを思い出させた」

「いいの、もう決着はついたから」


 そう、これはもう柊の中では終わっていることなのだ。

 これをまた掘り返すことも、俺にはできない――する必要がない。

 これは終わったこと。もうなにもしないのが、正しいのだ。

 でも、なんだ? なんで、こんなにも胸騒ぎがする?


【そっち】の可能性は少ないのに、【そっち】じゃない可能性の方が高いのに。

 なんで俺は、妖の存在を、思い出している?


「――ほらっ、暗くならない! なにをしよっか、一応テレビゲームがあるけど……」


 はあ、もう、やめろ。

 そんなことを考えて、なんになるんだ。

 

 もしも【妖】だったとして。することはなにもないはずだろ――。


 ちっ、食欲も、なくなってきたっての……!


「おう、ゲーム、するか」


 ―― ――


 意識を変えて今を楽しもうとした時、

 ポケットに入れていたスマホが着信を知らせた。


「ん、悪い、出ていいか?」

「いいわよ」


 相手は雛姉だった。


『――あっ、妖ちゃん!』

「なに、買い物ならパスね、お金持ってないから」


『妖ちゃんっ早く帰ってきて! お願いだからっっ!!』


 雛姉の声は、切羽詰まっているのではなく――それもなくはないだろうが、それよりも、怯えの方が勝っていた。


「ちょっ、落ち着いて! どうしたんだよ一体……っ」

『うう、うう――ずずっ』


「泣くなよ! いいから、落ち着いてってば!!」


 そんな俺の声を聞いていた柊も、顔が緊張していた。


『舞、が……ッ、舞が!!』


「舞が!?」


『舞が倒れて大変なの! だから、だからッッ!!』


 ぶち、と。

 そこで会話が途切れた。


 俺は啞然として、その場から動けなかった。

 ――舞の身に、なにかがあったのだ。


 ―― ――


 この時、俺は気づいていなかった。


 舞の命が、刻々と削られていることに。

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