第12話 更紗と幸助

 まぶたが閉じられた少年の頬をぷにぷにとつつく。

 つまんで引っ張って、叩いたりもしてみる。

 寝ていた時の顔の向きが変わったが、彼が起きることはなかった。


「……ぐっすり、眠っているわね」


 木藤更紗は掛け布団をどかして、足をベッドの外側に出した。


 そこで違和感があった。

 ダブルベッドには三人が川の字で寝ており、端から更紗、幸助、みゃー子だ。


 幸助に妙なことをされても両側の二人がすぐに気づくように、という配慮だった。気に入らないような視線をみゃー子がしていたのは、自分が真ん中ではなかったからだろう。

 更紗はむすっとしたみゃー子のフォローをするつもりはない。


 誰に言われずとも、がまんはするべきだ。


 一人に不満がある中、川の字で眠った三人の内、一人の姿がなくなっていた。今は夜中の十二時を越えており、トイレにしても長いくらいだ。いつ出ていったのかは分からないが、随分前から意識だけは起きていた更紗が分かる範囲では、しばらくみゃー子の姿はない。


 トイレにいったきり、途中の通路で眠ってしまった、という可能性が高いだろう。


「……もう、あの子は仕方ないわね……」


 ベッドから降りて部屋の扉を開ける。


 朝まで、幸助はどんなに大きな物音がしようとも起きないだろう。

 溜まった疲れが取れるまでは、死んだように眠るはずだ。


 更紗がそうさせたのだ。


 眠る前に淹れた紅茶の中に、睡眠薬を仕込んだ。匂いなどで分かるはずもなく、分かるとしたら味だろうが、舌の上に乗った時点で気づいたとしても、あとは飲み込むだけだろう。

 更紗が指で顎をちょこっと上げれば、それで喉を通ってしまう。


 そんな心配はなく、幸助はまったく気づかず、睡眠薬の紅茶を飲み、まぶたを閉じてそのまま眠りについた。

 みゃー子は睡眠薬など必要なく、ぐっすりと眠り、更紗も少しだけ意識を手放していた。


 眠っていた時間はそうでもないが、更紗が眠っている間に、みゃー子は部屋から出ていったらしい。自分が把握していない時に限って、問題の多い教え子は勝手な行動をするものだった。


(とは言え、そうそう問題なんて起こらないとは思うけど……)


 思って、部屋から出た。


 そんな時に限って。



 ポケットに入っている無線機から、切羽詰まった声が飛ぶ。


 豪華客船、甲板にいる夜間監視担当の少女からの緊急連絡。更紗は内容を聞き、溜め息を一度ついてから、表情を引き締めた。その顔は獲物を捕らえるために策を練る、草むらから息を殺して見つめる、肉食獣のような面持ちだった。



「今から向かいます。私がいくまで粘りなさい。撃破しなくとも、撤退させなくとも構いません。そのまま、今の間隔を維持しながら、相手に距離を詰められるな」



 言い終え、すぐに無線機のチャンネルを変えて、みゃー子を呼び出すが、予想通りに繋がらなかった。コール音すら鳴らないとなると、恐らく、みゃー子の無線機は既に使い物にならなくなっているのだろう。


 彼女の不注意で壊れたのならばまだいいが、

 誰かに壊されたとなると、内側にも脅威があることになる……それでも、


(みゃー子なら、大丈夫でしょう)


 信頼があり、確信がある。


 心配があるとすれば、やり過ぎてこの船ごと壊してしまうことくらいだろうか。



「そう言えば、幸助はどうしてこの船に、女装までして侵入したのかしら?」


 幸助は言葉に詰まっていた。言いたくないのが目に見えて分かりやすい。


 数ある手札を持ちながら、一枚ずつ丁寧に切っていく。

 警戒心はありながら、案外、ガードが脆い幸助へは、慎重にいかなくとも良さそうだ。大胆に切り込んで、ちょうど良いくらいだろう。


「もしかして、特待生クラスかしら……。あのメンバーは私の息がかかっていないから把握もできていないし。もしも私の管轄内なら、雰囲気で分かるものなのよ。そうね……、特待生クラスの中でも今日、新入りだったのは、三人……、中でも最後に乗船したのは、メガネをかけた真面目でおとなしそうな子かしら?」


 幸助が、ばばっと目を逸らす。分かりやすい、と更紗が微笑んだ。


 飛竜の(移動用ではあるが)基地にわざわざ女装までして侵入してきたのは、飛竜自体にダメージを与える目的よりは、侵入者自身が、なにかを得る目的の方がしっくりくる。


 大金や財宝など乗せていないし、貴重なアイテムさえもない。


 珍しい銃ならば乗せているかもしれないが、持ち主が己に合うように改造したオリジナルの、既に原型がないものばかり。しかも公表されていない、趣味のものだ。


 侵入者には知りようもないし、知っていたとして、マニアだとしてもわざわざ飛竜に喧嘩を売ってまで欲しいものかと言われたら、首を左右に振るだろう。


 命と天秤にかけて、目的に秤が傾くほどのものでもない。


 だから、だとすれば幸助の目的は人間だろう、と思った。


 更紗の管轄内の人間は、昨日今日、入ってきた者はいない。最低でも二か月前、滑り込みで入ってきた者が数名いた程度だ。学校とは違うので、新入生が入ってくるタイミングは不定期であり、だから一か月以内の新入りはいない――。


 その逆ならば、数十名ほどいるが。不意に去っていき、戻らない者ならたくさん。


 もちろん、以前からいた者に会いにきた可能性もあるが。あるとして、だからこれは第二案に入れておいた。まずはこの船に乗る更紗の上司である真っ白な少年の管轄である、特待生たちのことに触れてみた。そしたら一発で正解を引いたらしい。


 なるほど、幸助はどうやら、あのメガネの娘を助けにきたらしい。


 相手の目的が分かれば、こちらも交渉がしやすかった。交渉、と言うより、幸助にはお願いをした方が、成功の可能性は上がりそうだ。裏表なく、心から誠実に頼めば、彼ならば頷いてくれるはず……、短い間の会話だが、更紗は幸助の優しい人格を感じていた。


「へえ、その子のことが好きなのね」

「いきなりなんなんですか!?」


 分かりやすいにもほどがある。

 顔を真っ赤にしているが、自覚はないらしい。


 そして、幸助はぶつぶつと文句を言っているが、決して否定の言葉は吐き出さない。たとえ冗談でも、勢いで誤魔化すための言葉でさえも、『好きではない』と口に出すことはしたくないのだろう。そこには、本当に本当の好意が隠されている。


 なんだろう、幸助には、応援したくなる不思議な力でもあるのだろうか。少し話しただけなのに、まるで自分の弟のように親近感があるし、助けてあげたくなる庇護欲に駆られる。

 みゃー子とはまた違った方面で、心配を抱かせてくれる少年だ。


「はいはい、分かったわよ。それで幸助、あなたに、お願いがあるのよ」


 お願い、ですか? と幸助はきょとんとする。


 幸助にはさっき、飛竜の内情を教えている。更紗の立場も、これまでの生活も。


 これからおこなう昇格試験のことも、同様に。


 それを踏まえて――お願いだった。



「私とみゃー子と組んで、一緒に戦ってほしい」



 勝ち上がるためには、例年通りでは通用しない。


 幸助というイレギュラーを混ぜることで、セオリーをぶち壊す。


 更紗の思い描くシナリオは、命綱なしの綱渡りで、本領発揮する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る