第11話 命火の本音
命火が攫われる一日前の、昼休みのことだった。
「明花さん、一緒にお昼でも食べない?」
なんだか今日一日、避けられている気がした幸助は思い切って命火を昼食に誘うことにした。
彼女の席の周りには誰もおらず、一人ぽつんと命火がいるだけだ。幸助は前の席を借りて腰を落ち着かせ、弁当箱を広げる。
当番だった命火の手作りだ。とは言え、昨日の残り物と冷凍食品のオンパレードだったが。
それでも幸助はこのお弁当を宝箱と認識している。
彼女が一人で昼食を食べているのは、猿山荘というマイナスブランド力もあるが、彼女の性格が、初対面同士が多い集団の中では合わないせいだった。
初対面で、まだどういう人なのか分からない間は、彼女にも色々な人が話しかけていた。それもそうだ、相手を知るためには話すしかない。人伝ての情報はイメージを得ることはできても本質までは言い当てられない。
だから命火に目をかける生徒も多かったのだが、今となっては誰も近づかない。
ずけずけと本音を言う彼女の性格は、仲良しグループの中では受け入れられるが、不特定多数の、しかも打ち解けていない者同士が多いグループの中では不快に映る。
鬱陶しいとも、やりにくいとも。
ああ、この人とは合わないな、と思わせてしまう。
その結果、誰も彼もが命火を見限った。ただ一人、幸助を除いて――。
「……いいとは言ってないけど」
箸を使い、おかずを持っていた命火は、分かりやすく不快な顔をした。
苦い味を表現しているのが伝わる。
幸助も命火と同じお弁当箱を広げたところで、そう言われたのだ。
思わず、「え?」と声を出してしまう。
「ダメ、だった……?」
「……別に。一人寂しく食事を取っているのが可哀想に思って同情しているのなら、必要ないわ。私、一人が好きだし。食事中はお喋りとかしないタイプだから」
「うん、喋らなくてもいいよ。僕もあんまりお喋りは得意じゃないしね。他に一緒に食べてくれる人がいないからさ、同じ寮の明花さんを誘ってみようと思ったんだよ」
「なるほど、私は代理で、つまり傷の舐め合いってわけなのね」
「傷の舐め合いはともかく、代理ではないよ。明花さんとは一緒に食べたいと思っていたし。
代理と言うなら、明花さんの代わりに食べる誰かが代理になるね」
「……いつも一緒にいる、あの囲碁将棋部所属の友人Aの人は?」
「あー、あれは、なんだろうね。気が合って、なにかあれば近くにいるけど、友達以上ではないし、もしかしたら以下かもしれないね。漠然と、同じ世界には住んでいないって感じ……?
まあ、僕らと比べたら大体のクラスメイトは、住む世界が違うと思うけど」
猿山荘へ招かれたからこそ、根本的な部分で明確な違いが出てしまっている。
知識として理解している幸助たちとは違って、ふわふわと固まらずになんとなくで嫌悪しているクラスメイトは、だから差別するのかもしれない。
得体の知れない者だから。己の身を守るために遠ざける。
分からないでもない。
気になるのは、やり方が露骨なのだ。もう少し隠せないものか。
「ふーん、真仲君は人付き合いが上手いから、毎日楽しそうだね」
「僕も一応、クラスメイトからは攻撃されているけど――うん、楽しいよ、毎日毎日。
だって学校でも、家でも、明花さんがいるからさ」
照れもなく、笑顔で幸助が言う。
企みのない純粋な感情を間近で見て、命火が呆れる。
「……ジュース」
「え?」
「ジュース、買ってきて。これで、甘いやつ所望」
渡された百円玉と、十円玉三枚。
幸助はポケットにそれを入れ、立ち上がる。断る理由はなかった。
「…………」
立ち上がったところで、周囲からぼそっと呟かれた声が聞こえてしまう。
『なにあれ、真仲のことをパシリに使っているわけ?』
『何様って感じだよね』
『いくら同じ寮でもさ、あれは感じ悪いよね――』
聞こえていないと思っているのだろうが、ばっちりと聞こえている。
幸助には鮮明に聞こえた。自分の名前が呟かれたからかもしれない。
運動部所属。クラスの中でも中心人物と言える女生徒たち。周りの女生徒が自然と、なにかを決める時に決定かどうかの判定を振ってしまうような、人徳がありそうな数人のグループ。
人徳が『ありそう』なだけで、その実、ただの恐怖政治である。
ターゲットが自分になったら嫌だな、という危機感から、周りの女生徒は中心人物の彼女たちに、一応、媚びを売っているわけであった。
男よりも女の方がねちねちと、しかも暴力に訴えないため、怖い世界だ。
遠くから勝手なことを言っているなー、と思いながら幸助が手を伸ばす。
「?」と首を傾げる命火へ、
「買ってくるのはいいよ、断らない。
断るわけない。ただ僕としては、一緒に買いにいきたいなー、なんて……」
気持ち悪いかな? と聞く幸助の表情には、怯えがあった。自分で言っておいてなんだが、本当に気持ち悪いと言われたらショックだ。立ち直れない。
きっと、せっかく命火が作ってくれたお弁当も、美味しく食べられないだろう。
充分にその可能性はあるだろうと身構えていた幸助は、答えを聞く。
「そうね、いいわよ。真仲君に言いたいことがあったし、ここじゃなんだしね」
意外にも、命火は受け入れてくれた。言いたいことがあった、という用事のついでだろうけど、そうだとしても嬉しかった。さすがに、伸ばした手は取ってはくれなかったが、幸助と命火が共に教室を出る。そして購買の近くの自動販売機へ、ジュースを買いにいった。
結局、その後はジュースを買いにいっただけで、命火の用事の『言いたいこと』は、幸助の耳に入ることはなかった。しかし、予想はついている。
前日、きっかけはマキナで、加速させたのが羅々宮という先輩二人の悪ノリのせいで、幸助以外の寮のメンバーが飲酒をしたのだ。
羅々宮に言われ、流されるままに飲んだ命火は酔っ払い、幸助としては嬉しいシチュエーションだった。炎花が言うには、命火は酔うと、幼児退行するタイプらしい。
『…………のに』
『どうし、て、みんな、私を避ける、の、よ……』
『私、だって……お喋り、した、いのに……』
『みんなの、話に、混ぜてよぅ……』
酔っぱらった命火が呟いた言葉は、きっと知られたくない本音なのだろう。
酔っぱらった時の記憶が残るタイプの命火は、自販機にいくまで、買ってから教室に戻るまで、口を開きかけて、すぐに閉じてを繰り返していた。
自分から切り出して、あの光景を明確に想像するのが恥ずかしいのだろう。暑くもないのに顔を紅潮させる彼女の表情は、新鮮だった。
横顔を見ているだけで満足だった幸助は、追及しなかった。
幸助は忘れたし、命火は記憶にない。それでいいじゃないか。だから暗黙の了解で、あの時のことは一切、口に出さないという意思疎通が、二人の中でできたのだった。
それでも、建前であり、幸助は覚えている。
彼女の本音を。
だから、誰も彼もが命火を差別する中、
自分だけはどんな地獄へ落ちようとも味方でいようと、誓ったのだ。
たとえ本人から否定されようとも。
今、まさに地獄にいる幸助は、絶対に諦めようとはしなかった。
――
――
(ん……、あれ?)
緊張感に常に晒されていたせいか、睡魔がやってくる。
幸助は意識をあっという間に手放した。
女の子二人と同じ、ダブルベッドの上に寝ていても、
煩悩など関係なく、ぐっすりと眠りについていた。
――ぎし、という音と共に、暗闇の中で動くものがある。
幸助の眉間に、その指先が、迫っていく――。
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