第10話 交渉成立
真仲幸助は自分の心に正直だった。
明花命火の本質を一目見て、すぐに惚れた。それから先、遠くから覗くのでも人伝いに情報を聞くのでも気持ちを伝えるのでもなく、彼は真正面から、彼女に積極的に話しかけにいった。
告白はしていない。
なぜか分からないが、幸助が命火に好意を寄せていることは誰にも言っていないのに、寮のメンバーとクラスメイトに知られていた。男子は背中を押してくるし、女子は焚きつけてくる。
同じようだが女子の方が小馬鹿にしている感じがあった。
明花命火は女子から嫌われていた。
そこにどんな事情があって、エピソードがあるのか、幸助は知る由もない。幸助が知ることができるエピソードなど、実はなかったりする。
単純明快、女子たちのお気に召さなかったのだ、命火のそのキャラクターが。
空気を読めず付き合いも悪く、ずけずけと物を言い、悪意はないけど人の心にぐさぐさと刺さってしまう言葉が、命火には多かった。幸助としては、遠慮がないのは信頼している証拠だと思っているが、幸助の価値観が女子たちに当てはまるのなんてごく僅かだ。
幸助が好意的に見えた部分は、女子たちにとっては悪意にしか取れなかった。
猿山荘に住んでいるというのも、拍車をかけたのだろう。部活動の先輩から仕入れた情報を使って、命火をはずし、差別し、攻撃した。命火の性格だろう、相手にしなかった。
それが相手を逆撫でしてしまうことになると分かっていても、やめなかった。
相手にすればするだけ、調子に乗る。
どちらにせよ一緒なら、相手にしない方を選んだのだ。
素直に凄いなあ、と幸助は思った。
幸助だって、猿山荘の住人であり、猿山荘の悪評を知っているクラスメイトから差別され始めていた。命火との差異はあれど、やはり空気が物語っていたのだ。
明花命火には味方がいなかった。けれども幸助には味方がいた。
ごく少数だが、猿山荘なんて関係なく接してくれる友人がいた。
彼らは幸助の良いところを知っているし、幸助の人格に信頼を寄せていたのだった。
味方がいることで、幸助はこれからの学園生活をやっていけると確信したのだ。
「……で、なんで告白しないわけ?」
少数しかいない友人の一人が、ホームルーム後の掃除中にそう聞いた。
箒を持つ幸助は、ゴミを掃きながら答える。
「しないよ。だって今で満足だしね」
「ふーん。……それで真仲は後悔しねえの?」
「後悔? なんで?」
「いや、明花が誰かに取られるとかさ」
「……た、確かに明花さんは綺麗で可愛いから、狙っている人はいるだろうけど……」
言っていて恥ずかしかったのか、顔を赤くする幸助。彼に直接は言えないが、クラスメイトは、いや、たぶん狙っているやつはいねえと思う、と友人は失礼なことを考えていた。
だから独り占めできるぜ、と繋げることもできたが、命火を侮辱しているようにも聞こえてしまうので、友人は空気を読み、本音を隠す。
狙う人物がいないということは、チャンスも時間もまだまだあることを意味する。のんびりと現状維持を望む幸助の気持ちも、だいぶ引き延ばせるかな、と暗算したのだ。
「寮で話したりすんの? あ、お風呂場でばったり、石鹸で滑って押し倒したりとか、サービスシーンを体験したり――なんて、しなかったのか?」
「羅々宮先輩みたいなことを言うね……。そんなことしていないよ。したらたぶん、明花さん、どれだけ謝っても許してくれないと思う……」
「あー、目に浮かぶわ。明花って性格きついよな」
「そうかな? 人の顔色を見て喋っている人よりは好感が持てるけど」
「お前、明花のことを好き過ぎて、あいつ以外の女子のこと嫌いだろ」
「いやいや、全員ってわけじゃないよ」
その言い方からすると、やはり嫌いな女子はいるらしい。
しかも嫌いの人数の方が多い言い方だった。
「ま、明花の理解者がクラスに一人でもいたら、あいつも楽だよな。休み時間はいつも一人だし、ペアを組みましょう、って言われたら、残るタイプだろうしな。
そういや、真仲は休み時間に明花に話しかけにいかないよな? なんで?」
「えっと……、なんというか、僕、明花さんに嫌われてたりするのかな……?」
「……それ、俺に聞くわけ? さっきスルーされたけど、寮で会話したりするんだろ?」
「し、てるかな……。
僕の問いかけに『ん』とか『そ』とかで返されるのを会話というのならば」
「……全然、相手にされてねえな。確かに学校でも真仲が話しかけてるのはよく見ても、明花から真仲へ話しかけることも、返答することもあんまりねえよな。
言っちゃ悪いけど、猿山荘とか関係なく、そりゃ嫌われるよ」
「そうじゃなくて! 明花さんにもきちんと理由が――」
「理由? 理由なんかあんの?」
幸助は答えようとしたが、炎花に口止めされていたのを思い出した。
飛竜、そして領家。世界の裏側の事情を易々と話していいはずがない。一番、最悪でなくとも、内情を知ったその友人は、領家でなくとも陣取り合戦に巻き込まれることになる。
「……あったら、いいよなあ~、なんて」
「ねえんじゃねえか。でも、お前がそれでもあいつが好きなら、応援するぜ。告白はタイミングだからなー。遅けりゃ悪くて、早けりゃ良いってもんでもねーし。真仲の好きなようにやれよ。俺ができるのはアドバイスだけで、命令はできねえからな」
ただし、あんまり不甲斐ねえと無理やり背中を蹴るからな、と背中を叩かれた。
「……やっぱり、良いやつだよね、友人A」
「誰が友人Aだ。ちゃんと俺の名前を覚えろって」
その時に名乗ったクラスメイトの名を、幸助は絶対に忘れないだろう――。
(そうだ、最初は明花さんは、僕のことなんてまったく見ていなかった……)
(鬱陶しそうに。声には出さないけど、表情がそう言っていた)
(しつこく話しかけたら、嫌われちゃうんじゃないかって、もう既に嫌われているんじゃないかって、何度も何度も思って、遠くから見つめることにしようともしたけど……)
(やっぱり、話したかった。二人で、二人きりで、明花さんの笑った顔を見たかったから――)
しつこく、何度も何度も、粘り強く話しかけた。
相手にされなかったりあしらわれたり、本当に嫌な顔をされたことも何度もある。
命火の過去を考えたら、その反応は当たり前だと思う。
幸助と違って、明花命火は中学生の頃から既に飛竜としての力がほぼ覚醒していた。
きっかけはただの部活だったのだ。部活の体験中、弓道部で弓を握ったら、人が変わったように命火は弓を扱った。
学校の不良生徒を――数百メートルも離れた場所から矢を放ち、彼の手を撃ち抜いた。
その手には、たばこが握られていた。
その時、命火には善意しかなく、正義に則って行動したのだ。誰もが褒めてくれると思い、認めてくれると思った。しかし現実は真逆で、命火を責め、忌避し、怯えた。
普通じゃない、というレッテルを貼られた。
それでもまだ症状は軽かった。話しかけてくるクラスメイトはいるし、興味を持ってくれる知り合いもいた。命火の性格もあるのだろうが、ところどころ見え隠れする飛竜の一面を見たクラスメイトは、長続きしなかった。
どんどん、命火の元から離れていくようになった。
いつからか、命火は友達を作らなくなった。求めなくなった。必要ないと、切り捨てた。
学校は、成績のためだ。学歴は、就職のために。仕事は、生きるために。人生は、花道でなくていい――せめて家族に見せられる、堂々とした生き方ができれば満足だった。
自分だけを考えたら、死ぬことに恐怖はないし、生きることに興味はなかった。
近づく者は鬱陶しい。仲良くなる気なんてまったくない。
恋愛なんて、眼中にない。
(でも、最近は会話も多かったし、明花さんから話しかけてくれるようになった)
(これから、楽しい生活がずっと続くと思っていたのに……)
そんな時に彼女は消えた。飛竜と共に、仮面を被った男と共に。
(明花さんを助けるためには、どうすればいい?)
(力のない僕は、どうすれば明花さんを助けることができる!?)
そして、幸助は木藤更紗からの提案を受け入れた。
命を天秤にかけられた脅しに屈したわけではない。
幸助も、更紗を利用するために。
――飛竜のルールに従ってやる。
「交渉成立ね。それじゃあ詳しいことは、私の部屋ででも」
「……木藤さんの部屋、ですか? ……え? 僕、木藤さんの部屋に!?」
動揺する幸助を見て、ふふふ、と艶めかしく微笑む更紗。
タオルを巻き直し、みゃー子を手招く。
水面から跳ねたみゃー子が、更紗の体にぴたりとくっついた。
「ちなみにみゃー子も同室だから。つまり三人で川の字で寝ることになるわね」
「はっ、えっ!? なんで一緒に一夜を明かすことになって――」
「だって、幸助の部屋なんてないでしょう? だから親切心で言っているのよ。
襲ったりしたら逆にやり返される状況で襲うほど、幸助も馬鹿ではないでしょう?」
それ以前に度胸がない幸助の心の内を見抜く。
……度胸もないが、好きな人がいるのに他の女の子と一緒に同じ部屋で寝るというのは、申し訳ないと思ってしまう。
しかし、これからのことを考えたら、ひとまとまりになっていた方がいいし、できるだけ更紗と行動を共にしておいた方がいいだろう。付き合ってもいないのに浮気した感覚を得る幸助は、じと目を浴びせてくる命火に、心の中で謝り倒す。
「……お世話になります」
「よろしい」
声が跳ねた、年上お姉さんの無邪気な笑みだった。
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