第8話 飛竜の生き方

「……あの、これはどういう……」


「なによ、女の子の体に合法的に触れているのよ? もう少し喜んだら?」


 素直に喜べない。引きつった笑みを作るが、うつ伏せの彼女には見えないだろう。

 だから無駄な努力ではあるのだが。


「引きつった笑みを浮かべないでくれるかしら」

「な、なんで分かったんですか!?」

「水面に映るあなたの顔よ」


 幸助は浴槽から出て、今は飛竜の少女の背中に指を這わせていた。

 肩甲骨あたりを適度な力で押すと、彼女……、木藤更紗は誤解されるような声を出す。


「んっ……あ、ちょっ、んんっ」

「……あの、もうちょっと声を抑えてくれると嬉しいんですけど」


「仕方ないじゃない。あなたのマッサージが気持ち良いんだから……」


 やめ、と言われていないので、幸助はマッサージを続ける。

 幸助の弱過ぎず、強過ぎずのこの力が、マッサージに適しているらしい。

 本人は結構強めに押しているので、心拍数も上がっていく。


 別の意味でも。


 体に巻いていたタオルを広げて地面に置き、その上にうつ伏せになっているため、ほぼ裸状態の少女が目の前にいる。心拍数を落ち着かせることはできなかった。


「じー」


 ブロンズ髪の少女が屈み、膝に肘を立てて、手の平で顎を支え、幸助をじーっ、と見つめていた。いちいち口に出すのは彼女の癖なのかもしれない。


「え、……なに?」


「みゃー子。あとでちゃんと遊んであげるから、今は向こうにいってなさい」

「ふたり、たのしそう。なんであたしだけ仲間はずれ?」


 むすっとした顔で俯いた。なにか言って励ますべきか、と考えた幸助よりも先に、保護者である更紗がフォローを入れる。


「別に仲間はずれじゃないわよ。というか、遊んでもいないし、楽しくもないしね。

 いつも言っているでしょう? これは仕事よ」


「……そっか。じゃあおまえは――」


 純粋で真っ直ぐの目が、幸助を捉えた。

 そして答えが分かったのか、満面の笑みを向ける。


「あと少しで殺されるんだね」

「…………」


「こら、みゃー子!」


 うわー、と母親に怒られた子供のように、その場から退散するみゃー子。浴槽に飛び込み、しかし一向に出てこない。十五メートル先の水面から頭を出したみゃー子を見つける。

 潜ったり、浮かんだり。彼女の中だけで完結する遊びがあるのだろう。


「まったく、あの子は……、迷惑かけてごめんなさいね」

「いえ……」


 気になるのはそこではない。幸助の脳内を占めるのは、たった一言。


 だが、覚悟はしていた。ただ問答無用で瞬間的なものだと思っていたから、いざこうしてあらためて言われると、だから怖気づいてしまう。


 僕は、殺されるんですか? 口には出ない言葉があった。


「みゃー子の言葉、気にしているの? 覚悟しているんじゃなくて? 飛竜の移動基地に女装までして潜入したのだから、殺す殺されるなんて概念、飛び越えているものだと思っていたけど」


 幸助はマッサージを続ける。続けることでなんとか落ち着いていられたのだ。


「少し雑になっているわ。

 動揺しているの? じゃあ答えを先に言うけど、別に殺しはしないわよ?」


「え!?」

「ああんっ、ちょっ! 分かりやすくいきなり手を強めないでよ!」


 無意識に喜びが手から出てしまったらしい。しかしマッサージを受ける側からすればツボに入ったようで、気持ち良いはずだが、体を少し起き上がらせてこちらを振り向く更紗は、紅潮した顔で幸助を睨み付けていた。


 お嬢様はご不満のようだった。


「ごめんなさい……! 痛かった、ですか……?」

「……痛くはないわ。ただ、声が……ううん、なんでもないわ、続けて頂戴」


 命令されてしまえば仕方ない。幸助は肩甲骨から順番に下へ、指で押しながら下がっていく。


「殺しはしないわ。まあ、あなたが私の言うことを聞いてくれれば、の話だけどね」

「……もちろん、このマッサージじゃないですよね?」


 うん、と相槌を打たれた。

 マッサージは関係ないらしいが、かと言って手を抜けば、相手が不機嫌になるのは目に見えている。結局、いついかなる時も、ご機嫌を取らなければ幸助は殺される運命なのだ。


 問答無用で殺されるよりは全然マシだが。

 いいように使い潰されるか、見つかって即死かの違いだ。


 希望があるとすれば、まだ前者の方だろう。


「もういいわよ。……うん、ちょっと体が軽くなったわ、ありがとね、幸助」

「まあ、喜んでくれたなら、なによりですよ」


 一応、更紗は敵だ。命火を奪った飛竜の一員である。しかも【訓練隊長兼指導教官補佐】またの名を【統率委員長】。呼び名が色々あるが、つまり、乗船している飛竜の少女たちの中でも少しばかり地位が高い人物である。


 誰が見ても敵であるが、しかし向けられた笑みに敵意はないように見えた。

 幸助は、面倒見の良いお姉さんのような更紗を、敵だと認識したくなかった。


 そう思わせるのが相手の心理的な駆け引きなのかもしれないが、まず疑わない幸助にとって、相手が悪過ぎる。出された情報をまず鵜呑うのみにしてしまうのだ。


 現代人とは思えない、ガードが弱い少年である。


 その人格形成の要因は、やはり育ちの環境のせいだろう。


 タオルを体へ巻き直した更紗が、浴槽へ膝まで浸からせた。

 そして、すぐ隣を、とんとん、と優しく叩く。

 首を傾げる幸助が動かないでいると、


「横に座りなさい」

「は、はい」


 悪いことなどしていないのに、叱られる、と思ってしまった。なので少し萎縮している。


 同じように腰を落ち着けた幸助。

 もう男子だとばれているが、タオルは上半身と腰を覆い、ウィッグもつけたままだ――どうやら幸助が男子だというのは、更紗とみゃー子だけの秘密にしたいらしい。


 ただ、みゃー子はいまいち分かっていなさそうだったが。

 ぼーっとしており、なにを考えているのか、よく分からない。

 あれで幸助の一つ年下なのだ。どんな環境で育てば、ああなるのだろう。


 更紗はイメージ通り、年上だった。と言っても一歳だけなので、違いは少ない。

 人生経験は数十倍も違いそうなほど、幸助との差は大きく見える。


「…………あの、どうして木藤さんまでそんなにじろじろと見るんですか?」


「……見破った私が言うのもなんだけど、あなた本当に男の子? 

 羨ましい肌の質感をしているわね。ぷるっぷるだし、これが若さ……?」


「僕のおばあちゃんみたいなことを言わないでくださいよ」


 お弁当屋で働く人当たりの良い、育ての親を思い出す。ついこの前までお世話になっていたのだ、記憶に新しいため、引き出しから引っ張り出すのも早かった。


「女の子におばあちゃんみたいって言わないの。殺すわよ」

「……ごめんなさい」


 笑顔だったが笑っていなかった。

 今の殺す、という言葉も、さっきよりも現実味がある。


 言葉に気を付けようと、幸助は肝に銘じておく。


 上目遣いで覗き込んでくる更紗の視線から逃れるように、目を逸らす幸助。目線を下にやると、鎖骨や谷間が見えてすぐに顔が真っ赤になる。

 ただでさえ湯船に浸かって体温が高いのだ。このままではのぼせてしまう。


「ふふん、意識してくれているのは、そうそうない体験ね」


「嘘をつかないでください。木藤さんくらい綺麗なら、引く手数多でしょうよ」

「あら、私は飛竜よ? そんなわけないじゃない?」


「女尊男卑ってことは……、ああでも、男からしたら女性は恐い存在なんですか?」

「女尊男卑? ああ、外面しか見ていない人の噂が真実のように広まっちゃったのね」


「……? 違うんですか?」


 逆よ、と更紗は言う。さっきまでの柔らかい表情は消え、鋭い眼光を見せた。


 獰猛どうもうな牙と爪が、彼女から見えるような錯覚まである。



「飛竜は男尊女卑。

 女は虐げられ、利用され、使い潰される。

 命令通りに戦うための、戦闘マシーンなのよ」



 更紗の言葉に乗る感情に嘘はない。幸助は疑うことをしなかった。


 それよりも前に。


 この話が本当だと信じて、だとすれば、奪われた明花命火も、同じようになる?

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