第6話 大浴場のスリル

 彼女は飛竜の中でも一目置かれている。

 だからこそ、のっぺらぼうの仮面を被った少年が、命火を勧誘しにきたのだ。

 

 彼女はずば抜けた戦闘センスと実力を持つ。小さな頃から片鱗はあったのだが、ここ最近……始まりは幸助と出会った、あの時の強盗事件。


 そこで性質が本格的に覚醒した。


 覚醒を感じ取った飛竜が、命火を回収しにきたのは自然の摂理だ。飛竜が飛竜の性質を持つ少女を引き取らない理由がない。覚醒したら、その片鱗があれば、回収される資格は充分にある。


 必要人材なのだ。


 しかし、命火は飛竜の中でも一目置かれる存在ではあっても、まだ普通の女の子だ。飛竜の力を発揮している最中ならばまだしも、素のままの状態で、他人かどうかは関係なく、切断された生首を直接見たら、当然、平然としていられるわけがない。


 彼女は脅しの一つとして、プレゼントボックスの中に入っていた両親――そして弟の生首を少年から渡された。まずは現実を突きつける。そして、次に命火が住んでいる寮のメンバーもこうなるぞ、という脅しが用意されていた。


 命火は即答で飛竜に、この少年についていくと受け入れた。



「彼が追ってきたら殺しても構わないよね?」


 少年が命火に言う。冗談とは思えない瞳だった。


「……真仲君のこと? なら、くるわけがないわ。

 あれだけ突き放したんだし。それに元から、私のことなんて嫌いだったでしょうしね」


「……ん? それ本気?」


 首を傾げる少年。こいつ馬鹿か? と言ったような表情をしたのが腹が立つ。


「いいから、こないわよ、真仲君は。あなたも一緒に見たでしょう? 私は彼に酷いことを言った。あなたが見ていないところでも、たくさん酷いことをしたし、嫌われるようなことも。

 ……私って、昔からそうだから。仲良くなりたくても空気を読めずにずばずばとものを言い、最後には愛想を尽かされてしまう。……だから真仲君だって、身勝手に出ていった私のことなんて、もう見捨てているわ。あるいは、忘れているかもね――」


 自嘲しながら命火が言う。ただの強がりが八割、残り二割は、やはり来てほしくはないが、期待もしているらしい。それは彼女にしか分からない。

 この一週間、幸助の粘り強いアプローチを知っている彼女にしか分からない期待だ。


 エピソードは彼女にしか分からなくとも、分かりやすい幸助の一方通行の気持ちは、一度対峙した少年にも分かった。


 だから予想もつく。背中を向けて走った草食動物のあの瞳は、逃亡ではなく撤退だ。真正面からくるかは分からないが、いずれ必ず、命火を助けるために姿を現すはずだ。


 少年はそれが直感的に分かっていた。だから警戒を絶対に解かなかった。



(草食動物じゃなくて、それに食べられる雑草に近いかな、彼は……)


(だけど、やられてもやられても立ち上がってくる。

 彼女が殺さないでとわがままを言ったら、こっちとしてはやりづらいね……)


 少年が立ち上がり、太ももをとんとんと指で叩くルーチンを繰り返し、他の少女の元へ雑談をしに向かった。彼が集めた、見所がある少女たち。メンタルケアも彼の役目だ。

 そして、自分好みに洗脳をするのだって。


 彼が危惧した可能性の一つが、今、静かに現実になっている。


 ――

 ――


「どうしたの? 気分でも悪い? 船酔いでもしたのかしら?」


「いや……、あは、あはは。大丈夫です気にしないでください。

 ぼ……、わたし、緊張していただけで全然元気ですからっ!」


 幸助はピンチに陥っていた。見た目、コメディタッチの雰囲気だが、実際は敵国軍隊の基地に侵入した、他国籍軍人のような状況である。

 見つかれば捕虜か、問答無用で殺されるか……。

 炎花の忠告を思い出すと、後者の可能性が高い。


 嫌な汗がだらだらと垂れてくる。幸助は、ジャージ姿で色っぽさの欠片もない少女に笑顔を返した。心配そうな表情だった目の前の少女は、「そっか」と納得してくれたようだ。


(あ、危なかった……!)


(結果的に良かったけど、僕が女装しているってばれないものなのかな……)


 本人に自覚はないが、普通に女子に見えている。化粧と服装の装飾のおかげであるが、元から素材が良いため、本物の女子から見ても正体を見破るのは難しいらしい。


 幸助に声をかけてくれた少女だけではない。すれ違う少女たちも、幸助の正体を疑う人物はいなかった。

 ただ、「あんな可愛い子いたっけ?」とたまにひそひそと噂されるが、複雑な気分だ。


「ほら、ぼーっとしてないで、いくわよ」


 え!? と幸助が声を出す間もなく、ジャージ少女が幸助の腕を掴んで引っ張った。

 女子とは思えないほどの強さで解けない。解く必要はないし、拒否するリスクを抱える必要もない……だが幸助にとって、引っ張られた行き先は、かなりまずい。


 長く赤い絨毯が敷かれている通路を真っ直ぐに進むと見える、突き当りにある部屋。


 そこは大浴場だった。


 既に三十人以上の少女たちが浴槽に浸かったり、シャワーで体の汗を流していたり、桃色声がわいわいと聞こえている。更衣室に案内された幸助は、視線を斜め下に向けながら、なんとか見ないようにし、どうしよう……と途方に暮れる。


 テキトーな理由をでっち上げて更衣室から逃げようとしたが、早く進む時間が思考を許してくれなかった。


「なにしているの? 班で分けて入浴時間を決めているんだから、早く入りなさいよ」

「あの、わた――わっ!?」


 声をかけられたので振り返ると、さっきまでジャージ姿だった少女が、一糸纏わぬ姿になっていた。タオルは手にかけているだけ。おかげで下は隠れているが、上は丸見えだ。


 顔を真っ赤にし、目がぐるぐると回る幸助を見て、少女が首を傾げた。


「変な子ね。同性の裸を見るなんて初めてじゃないでしょうに」


 言いながら、少女の手が伸びてきた。幸助が着ている制服の襟に手をかけた。脳の許容範囲を超えた光景を見てしまった幸助は、固まって動けない。

 少女にされるがまま、服を脱がされていく。


 ワイシャツに手をかけられたところで正気に戻り、慌てて身を引いた。


「で、できます自分でできます!」


「そ。じゃあ早く入りましょう」


 少女が背中を向けて大浴場へ続く扉に手をかけた時、幸助は息が詰まった。

 彼女のスタイルの良さももちろんあったが、彼女の背中の傷。

 鞭で何度も何度も何度も何度も繰り返し打ったような、切り傷と痣。痛々しい戦闘の証。


「……なに?」


 思わず、幸助は彼女の肩に手を置いていた。無意識に彼女を引き留めてしまっていた。

 しかし無意識なので当然、この後に続く言葉は用意していない。


 時間を奪われることへの苛立ちか、少女は溜息を吐き、もう一度「なによ」と聞いてくる。


 あれやこれやと考えた幸助は、少女の綺麗なストレートの黒髪を見た。

 ただ視界に入っただけだが、そこで運良く、会話の取っ掛かりを見つけた。


「あの、……桜の髪留め、つけっぱなしですよ」


「ああ、これはうっかりしてたわ。お気に入りなのよね、これ。

 みゃー子がなけなしのお小遣いでプレゼントしてくれた髪留めなのよ」


 みゃー子、とは分からなかったが、笑顔はやめない。

 ありがとう、とお礼を言う彼女に、いえ、と返す。


「先にいっているわね。……ここを逃したらお風呂は次、いつ入れるか分からないわよ。

 だから、気分が悪くても今の内に入っておきなさい。飛竜でも、女の子なんだから」


 口角だけを上げた笑みに、幸助は頷いた。

 頷かされた、というのが本人の印象だった。


 ここまできたら覚悟を決めるしかない。男としては憧れるシチュエーションではあるが、命が懸かっている今は、あまり喜ばしいことではなかった。


 今すぐ逃げたい。隠れてやり過ごしたい。

 僕を囮にした羅々宮先輩は絶対に許さない、と幸助は恨み言を呟きながら、服を脱いだ。


 幸助はタオルを体に巻き、上半身と下半身を隠す。大浴場の扉を開ける。

 幸いにも湯気が多いので、近くにいかなければ少女の裸は目に映らない。


 早いところ、湯船に浸かろうと、

 二十五メートルプールのように広い浴槽へ足をつけようとしたら、



「さきに体を洗うんだよ。しらなかったの?」



 浴槽から幸助を見上げ、そう言ってくる少女がいた。


 さっき出会った黒髪の少女よりも小さく、幼い顔だ。ブロンズ色の髪の毛は、手で掻き上げたのか、後ろへ流れている。ライオンみたいな髪型だ。

 おでこを出して、むすっとした彼女の、ずるいー、と言いたげな雰囲気に負けた幸助はまず、体を洗うことにした。


 髪は濡らさないように。

 ウィッグなので、濡らさない方がいいだろうという判断だ。


(げっ)


 隣を見ると、さっきのジャージ少女が陣取っていた。髪の毛を洗っていたらしい。


 桶に入れた水を頭からかぶり、泡を落とす。背中は傷だらけだったが、前はなんともない。細くて、適度に筋肉がついている健康的な体。仕方ないことだが、幸助の目は膨らんだ胸にいく。


「見たって栄養が貰えるわけじゃないわよ」


 ぎくりとした幸助は視線を逸らす。

 直視し過ぎたため、彼女に気づかれてしまったのだろう。


(じょ、女装してて良かったぁ……!)


 もしも男のままだったら、セクハラだと言われても反論できない。

 叫ばれる前に、まず殺される可能性が高いと思うが。


「ねえ、あなた……」

「な、なんですか……?」


 びくびくしながら幸助が答える。

 答えまでの沈黙に耐えられなかったので、ボディソープに手をかけた。


「ごめん、私としたことが、忘れていたみたいね。

 もう一度、あなたの名前を教えてくれる?」


「え、ええっと……」

 幸助は咄嗟に、

「ま、マキナです」


(すいません、マキナ先輩!)


 咄嗟に出てきて言ってしまったのだから、もう修正はできない。

 自分の名前なのだ、間違えました、は通用しないだろう。


 命火と言わなかったのは、ファインプレーだ。


「マキナ、ね。これからよろしく」


 手を差し出されたわけではなく、少女は言い終わった後、そのまま浴槽へ向かう。

 その途中で振り向き、



「そっちは知っていると思うけど、一応、私も名乗っておくわね。

 木藤きどう更紗さらさ

 あなたを含め、全訓練生の教官の役目を担っているから、忘れないでね」



 幸助はきっと忘れない。

 彼女の背中の傷と、膨らんだ胸を凝視してしまったのだから。


 何度寝ても、鮮明に思い出せる。

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