一章 侵入戦

第2話 先輩と後輩

 真仲まなか幸助こうすけは、車が一台も通行していない公道を走っていた。

 息を切らしながら周りを見るが、必死に走る幸助を奇異な目線で見る野次馬は意外にも誰一人としていない――。


 公道にも歩道にも、人、一人もいなかった。


 正確にはいる……、いるというよりも、ある。

 投げ捨てられたように乱雑に倒れている人々の職業は様々だ。サラリーマン、主婦、学生、飲食店の店員……、今日は平日なので、社会は滞りなく機能している……さっきまでは。


 円滑に循環する輪から弾き出されたように、この一帯だけ時間が止まっている。

 気配は消え、人を呼び込む宣伝の電子音しか耳に入らない。


 人払いが既に済んでいる。……新たに一般人が巻き込まれないのは良しと言うべきか。



「鬱陶しいのよ、真仲君は。一番最初に出会った時から、そう思ってた」


「じゃ、じゃあ……、一緒に寮で暮らし始めてから、先輩たちや炎花えんかさんと笑い合って過ごしていたのは、全部っ、嘘だって言うの!?」


「嘘よ、あんなの演技。なんとなく、流されるままに空気を読んでいただけ。なにも楽しくなかったし、なにも面白くなかった。自分で考えず、選択せず、流されるだけ流されていればいつの間にか色々と決まっているんだから、楽よね」


「……今も、流されてるだけだって、言うの……?」



「うん。流されてるよ。

 だからと言って、真仲君への嫌悪が私の気持ちじゃないってわけじゃないから。

 真仲君のことは鬱陶しいと思ってる。

 寮でも学校でも、しょっちゅう話しかけてきて。

 意味のないくだらない話ばかりして。

 相手にしないと落ち込むし、私が返事をすると過剰なくらいに喜ぶし。

 本当に、訳が分からなくて、鬱陶しかった。

 真仲君は邪魔なのよ。今だって、そう……。

 私の障害にならないで。

 真仲君のことなんて……、大っ嫌いなんだから」



 出会ってから一週間ほどの付き合いだった。まだまだ、薄い関係だろう。

 だけど幸助は彼女のことを一目見た時から、片想いをしていた。一目惚れだったのだ。


 たまたま出会って、困っていた彼女を助け、偶然にも同じ高校の入学式に向かう日で。

 運命的に同じクラスで。幸助へのお膳立てのように寮が一緒で、そこには一癖も二癖もある先輩や大家さんがいて――。


 望まず殺伐とした世界に入ってしまったけど、幸助は片想いをしている少女と同じ寮で暮らしているのだ。これ以上の幸せなんてないと思っていた――。


 この一週間、幸せは最高潮だった。このままずっと続くと思っていた。少なくとも三年間は、退屈にならないドキドキの生活で予定が埋まっていると思っていた。


 だが、唐突に、それは終わりを告げる。


 幸助の意中の少女は、突然現れたのっぺらぼうの仮面を被った、正体不明の人物に奪われた。

 奪われただけならば奪い返せばいい。しかし彼女は自分の意思で、仮面の人物についていき、しかも止めようとした幸助を拒絶した。


 彼女は流されているようで、しかし選択をしていたのだ。


 そこで幸助は足が止まった。言葉も出ない。

 幸助はどっぷりと世界の裏側に浸かっている相手や、元から圧倒的な戦闘の才能を持つ少女とは違い、新しく踏み込んだ世界の知識も経験も、己の中に潜む性質すらも分かっていない。


 立ち向かえば殺される。赤子を捻るように、幸助も弄ばれる。


 だから逃げるしかなかった。

 情けないだろう、男ならば好きな子を奪い返すのに、命を懸けろと思うだろう。

 だが、幸助はまずは己の命を優先した。戦況を、戦力を考え、冷静に判断を下した。


 上から見下すにわかは、幸助の選択にケチをつけるだろう。

 だが、たとえば幸助の才能を見出した彼女ならば、高評価を与える判断だ。


 逃亡と撤退は違う。幸助は現実を見て、最善の策を取っただけなのだ。



 町中を走り、山を登り、山頂近くに建てられた高校を通り過ぎ、さらに上へと目指す。


 自分が生活している、寮である一戸建てのようなアパート。

 横開きの扉を勢い良く開け、汗だくのまま階段を上がって、201号室へ飛び込んだ。


「――うおっ!? いきなりなんだよ、幸助。

 ムラムラし過ぎてオレのお気に入りのディスクでも借りにきたのか?」


 先輩の軽口にも答えられないほど、幸助は息を切らしていた。

 ぜえはあと鼓動が静かにならない。体内から発せられた熱で、かけている黒ぶちメガネのレンズが曇っていた。汗がぽたぽたと畳に垂れる。


 幸助の様子を見て、軽口を叩いた少年が体勢を整えた。おやつに食べていたスナック菓子を全て胃に流し込み、今週の漫画雑誌を開いたまま、地面に伏せる。

 あぐらをかいた彼は、幸助に――「どうした?」とは聞かなかった。


 言いたいことがあるのならば、自分で言え。態度で少年はそう言っている。


「……せ、せん、ぱい……」


 四つん這いで呼吸を整えた幸助は、なんとか声を絞り出す。目の前の少年はそんな幸助に言葉をかけない。言いたいことを促すことも、見えた言葉を先読みすることもない。

 ただひたすらに、腕を組みながら待っていた。


「……明花あけばなさんが、連れ去られました……っ!」


 幸助が片想いをしている少女の名前だ。先輩は、そうか、とだけ呟く。


「敵は明花さんと同じ【飛竜ひりゅう】で、拳銃を持っていました。商店街通りの先の道路で出会って、明花さんを奪う際、敵はそこ一帯にいた一般人を全員、射殺しました……っ」


「そっか」


「僕も、明花さんを助けようと思って、止めました……でも、明花さんは助けられることを、拒否したんです……!」


「そっか」


「情けない話ですけど、僕はここまで、必死に逃げてきました。目の前で対峙したら、分かったんです。ああ、殺されるな……って。僕は恐くて、死にたくなくて、だから逃げてきたんです」


「そうか」


「僕は命を懸けて明花さんを無理やりに奪うべきでしたか? 逃げずに追うべきでしたか? たとえ負けて死ぬとしても、華々しく散るために立ち向かうべきでしたか? 

 こうして先輩にグチグチと思いをぶつけているのは、正しいことなんですかッ!?」



「――それで? 

 お前はどうしたいんだ、幸助?

 うだうだ言い訳をしたり理由をつけて、本能的な行動を順序通りに並べて理解して。

 素直に答えを言えよ。お前はこれから、どうしたいんだ?」


 幸助の返事は早かった。



「明花さんを助けにいきます。だから、先輩の力を僕にください……ッ!」

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