第8話「夢を見る」

『お姉ちゃん、今までありがとう』


「ニール……? どうしたの?」


 沈んだ顔のニールが私に対して謝ってきた。弟にはいつも笑顔でいて欲しいのに。なんでこんな悲しそうな顔をしているんだろう?


『ごめんね、僕に強い力があったら……お姉ちゃんを守れるくらいの力があったら良かったのに』


 私はニールの頭を撫でてあげたいのに、なぜか身体は動かない。目の前に悲しそうな顔の弟がいるのに何もできない私は、せめて笑顔を浮かべて安心してもらおうとする。大丈夫、何も心配いらないんだよ。


「お姉ちゃんは勇者になったんだから、強いんだから、お姉ちゃんがニールを守るんだよ?」


 笑顔を浮かべた私に、ニールはその表情をますます曇らせてしまった。何が悪かったのだろうか? 見当もつかない……。何故かニールに近づいていけない私は、首を傾げてしまう。


『ごめんね、お姉ちゃん。お姉ちゃんは強いのに、僕が足手まといだったから……』


 足手まとい? それは違うよ。


 苦しい戦いも、痛い思いも、嫌なことも、全部全部……帰りを待ってくれるニールがいたから私は耐えられたんだよ。ニールがいたから、私は勇者であり続けられたんだよ。ニールがいなかったら、私は何もできなかったよ。


 だからニールは足手まといなんかじゃない。沢山沢山、私の力になってくれてたんだよ。


 でも、それを伝えてもニールの表情は変わらない。


「……ニール?」


『お姉ちゃん、これからはずっと一緒だよ』


 泣きそうな顔で無理矢理笑うニールを抱きしめてやりたいのに、私は動けない。


 ニールはそのまま私の前から去っていくのに、私は動けない。


「ニール!! 待ってニール!! どこに行くの?!」


 そのままニールの姿はまるで泡のように消えていく。私は手を伸ばしたいのに動けない。駆け寄りたいのに、脚が動かない。


「ニール!!」


 そこで私は目を覚ました。


 夢……? なんて酷い夢……ニールが私の前から居なくなるなんて……。いつもの通りならニールは私の隣で眠っていて、朝ごはんを一緒に食べてそれから……それから?


「ニール?」


 私は周囲を見渡すが、そこはいつもの私の家ではなく見覚えのない場所で、当然のように隣にニールもいない。ここはどこで、ニールはどこにいるのだろうか?


 徐々に徐々に……思考がクリアになっていく。私の大事な弟、たった一人の家族。その大切な存在が目の前から居なくなる夢を見たからこんなに不安な気持ちになっているんだろうか。なんて夢を見てしまったのか。


 夢……。


「夢じゃないよね……。ニール……」


 理解していた、夢なんかじゃない。現実逃避をしても何も変わらない。


 私の胸の中でだんだんと冷たくなっていく弟の感触が、今もまた身体に残っている。忘れられるわけが無い。全ては現実にあったことだ。


 涙を流しても変わらないが、流れる涙は止まらない。ニールが死んでしまったのだ……私の愚かさのせいで。私がもっとしっかりしていたら。大人しく追放なんて受け入れず、さっさと武力を使ってあの国を逃げていれば、ニールは死なずに済んだかもしれない。


 私が裏切られたことなんて、ニールが死んだことに比べれば些末なことだ。私は裏切られて勇者の力を奪われた。……四肢を斬られて、左目を抉られ、心臓を……。


 心臓……そうだ、私は心臓を抉られたはずだ。


「なんで私は生きてるの?」


 死ぬなら私のはずだ。


 それとも、私は既に死んでここは地獄なのだろうか。だとしたら地獄と言うのは随分とのどかに見える。フカフカのベッドの上で、眠れるくらいには。ニールは天国かな。ここよりいい場所なら良いんだけど……。


 いや、地獄ではないか……。私は今の自分のいる空間を見渡した。


 私が寝ている部屋は木造の簡素な作りをした部屋だが、ベッドだけが異様に立派だった。身体が沈むほどにフカフカのベッドだ。部屋も十分な広さがあり、部屋と同じ材質の木造で作られた簡素な机と椅子が置かれている。


 それ以外には特に何もない。どこだろうか、ここは? 私はなんで……生きているんだろうか? ニールをせめて……弔ってあげないと。でも、身体が動かない。


「あら、起きた? おはよう。 あなた一週間も眠っていたのよ」


 そんな疑問を感じていると、唐突に私の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。視線を声の方へと向けると、そこには一人の女性が立っていた。随分と露出の高い女性だ。


 まるで陶器のように滑らかな肌は褐色で、光を反射する姿はどこか艶めかしい雰囲気を醸し出している。露出している部分には赤い何か文様が入れ墨のようにはいっている。


 流れる様な銀髪は腰まで伸び、露出した身体を隠すのに一役買っているようだ。そして何より……その耳だ。明らかに人間とは違う尖った細長い耳。人ではない、とある種族の特徴。


 だけどあの種族は全員が金髪で白肌だったはずだ。尖った耳に褐色の肌、そして銀髪と言うのはその種族と似て非なる存在しかいない。そんな種族は、一つしか聞いたことが無い。私も初めて見た。


「ダーク……エルフ……?」


「あら、私の事知ってるのね。勇者様に知られているなんて光栄だわ。フィービーと言うの、よろしくね」


「あなた個人は知らないけど、種族としての知識はあるわ……初めて見るわ」


「まぁ、神に反逆したと言われる私達は、成った瞬間に元同胞から殺されるからね。個体数は少ないわ。それでも、確かに存在してるのよ」


 真っ白い肌に尖った耳を持つ、エルフと呼ばれる神に仕える種族の異端児。伝説だけの存在で、魔王を倒す旅の間でも見たことが無かったその種族が私の目の前に立っているなんて……。聖女であるセシリーがいたら、きっと敵意を剥き出しにしただろう。


 彼女が私を助けてくれたのだろうか?


「調子はいかがかしら? 一週間も寝ていたんだから、固形物はやめておいた方が良いわね。スープくらいなら飲める?」


 全裸に最低限の布しか身に着けていない彼女は、動くたびに肌を露出させている。そんな彼女は私が寝ているベッドの脇に腰掛けると、その長い足をこれ見よがしに組んできた。思わずその動きを目で追ってしまう。


 脚か……私にはもう無いものだな。いや、そんなことよりもまずは聞きたいことを聞かないと……。


「あなたが私を助けてくれたのね……感謝するわ。ありがとう」


「気にしないで良いわよ。人の家の前で集団で騒いでいるから覗いていたら……なんだか変なことしてるんですもの……」


 家の……前? という事はここはあの森の中という事だろうか? この人は私達の行いを眺めていたという事か。さぞ滑稽に見えただろうな。


 いや、聞きたいことはそこじゃない。私が聞きたいのは……か細い希望に縋りつくように私は彼女にそのことを聞く。聞きたくないけど、聞くしかなかった。


「それで……その……弟は……。弟も私と同じく生きているんだろうか?」


 礼の言葉もおざなりで失礼かもしれないけど……弟の無事を確認せざるをえなかった。私が生きているという事は、弟も生きているのではないかと言うか細い希望だ。


 だけど帰ってきたのは無常な言葉。


「あなたの弟は……」


 その一言で全てを理解した。彼女は感情を読み取れない表情で私にそれだけを告げた。

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