第54話

………そうして、草陰小春は祖父、草陰若丸の元へと駆ける。

血だらけの草陰若丸は、重傷ながらそれでも木刀を握り続けたままだ。


「お爺ちゃん、おじ、ちゃ、だい、だ、大丈夫ッ?」


草陰小春は心配して何度も噛みながらそう若丸に伺う。

しかし、小春の声に若丸は反応しなかった。

ブツブツと、沸騰する水の様に、小さな声で何かを呟いている。

小春は最初、その声は痛みに悶えているだけかと思っていたが、違った。


「は、―――ぃ」


何の声なのだろうか。それは、怒りと悲しみが混ざった声で。


「ワシは―――弱い」


涙を流して、草陰若丸は自分を卑下する。


「おじ、ちゃ……」


彼女の声すら聞こえず。

草陰若丸は傷だらけの体で歩き出す。


「誰も、守れんかった……公博くんも、四季子も、小春、もっ……何一つっ、ワシ、は、ワシは弱い、弱い、なんと、無様で、役立たずで、偉そうな、力の無い、老人に過ぎんかった……」


涙を零して歩き出す。

その背中は、剣聖と呼ばれた男とは言い難い、なんとも矮小な様。

きっと……草陰若丸は強かったのだろう。

誰も、己ですら、それを認め、強者であると理解していた。

だが。

この世界が混沌に満ちて、守れるモノを取り零してしまった。

草陰若丸が怒っているのは自分自身。

力しか無かった老獅子は、力で守れない自分を生涯呪い続ける。

その呪いは、生き残った孫の声すら届かない呪詛を纏う程に。

後悔して……本来の力、全力を出す事無く、草陰若丸は無念にも〈剣の王〉の一撃によって死に絶える。

それで良いと、草陰若丸は思った。

何も守れなかった男が迎えるには良い末路だと思っていた。

これは復讐では無かった。結局は、体の良い言い訳を見つけただけの、自殺でしかなかったのだ。

老獅子は駆ける。牙も爪も無くしたまま。最期を飾ろうとする。

しかし―――音は消えた。

薄暗い世界は失せて、真っ白な世界が見える。

老人の前に立つのは、仲睦まじい義理息子と、娘の姿。

微笑む二人を前に、老人は目を開く。


「―――ワシは、何も……何、ひとつ………」


その光景は夢だ。実際に、其処に亡き二人が居たワケではない。

ある淫魔が見せた一瞬の夢。幻に過ぎない光景だ。


だが、それで、草陰若丸が止まるには十分過ぎた。

夢は醒める、残るのは惨状。酷い現実。

それでも、その目の前には、死んだ筈の孫が居る。


「―――ワシ、は、弱い、弱い……」


「弱く、無いよ……お爺ちゃん。ずっと、ずっと、強いんだよ、お爺ちゃん」


孫の抱擁。草陰小春は事実を告げる。


「強いお爺ちゃんのね?……娘の、私の、お母さんは、強いんだよ?お爺ちゃんは守れなかったんじゃないんだよ、お母さんが、お父さんが、私を、守ってくれたんだよ?」


〈剣の王〉と出会い、娘を救う為に父が盾となった。

振り翳される刃は、娘に当たらず、母を裂いた。

それでも倒れた娘に、剣の王は心臓を貫いた。

それで、終わりだった……けれど、母が残した神の遺物が、娘を蘇生するに至らせた。

両親は死んだ。それでも、娘を守る事が出来た。

強き祖父の血筋と意志を継いだ両親が、だ。


「だか、らね……お爺ちゃん。私ね、お父さんや、お母さんみたいに……強くなれない、から……だから………お爺ちゃん、私を、守って、……お願い……死なないで……」


涙を流す小春。

それは、老いた獅子の生きる理由となり、戦う為の意志と変わり、今度こそ守ると誓う約束となった。


「………あぁ………ぁぁ………」


草陰若丸は孫を強く抱き締めた。

何一つ守れなかった男が、唯一つを守る為に、強く、抱き締める。

最早、老人が握る武具に自死の念は込められていない。

爪は剥げ、牙は抜けた、老いた獅子。

それでも守る為に……殺意を抱いて錆びた王へと向かう。

倒し、守る為に。

老いた獅子は、苦境を乗り越えて眼光を奔らせた。



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