第8話

あれ程生徒を食い殺して来た狼の数は途端に減っていった。

そして生徒たちは、俺たちが戦っている間に逃げ出してしまっている。

この学校敷地内に残るのは、最早死骸とモンスターの亡骸と、俺とクインシーだけだった。

隠れている狼が居なければ、あと五体倒せば狼の群れは全滅する。


「くぅぅぅん」


そんな鳴き声を発して、俺に近づいてくる狼が居た。

俺は警戒して召喚獣でも出そうとしたが、しかし何やら様子がおかしい。

敵意や殺意と言った雰囲気は無く、それはまるで慈悲を乞うているかの様な形相だ。

そして俺は、職業・契約者による効果なのだろうか。

そのモンスターが俺と契約したがっているのが分かった。

このまま争えば狼たちは根絶してしまう。

ならば生き残る為に、俺に媚びを売っているのだろう。

俺と契約すれば、少なくとも死ぬ事は無いと。

服従する代わりに、命の保証が欲しいと。

少なくとも俺にはそう見える。

まあ、別に契約しても良いと言う自分が居る。

何事も経験だ。どうやって契約を結べば良いのか気になっていた所だ。


「いいよ、おいで」


取り合えず俺は手を伸ばす。契約しようと心の中で念じてみる。

すると狼は俺に近づいていき、その手に鼻を乗せようとした。


「これで最後の一匹です」


そして契約する前にクインシーが狼を惨殺した。

チェーンソーの音が小さくなる。俺との契約に一瞬の希望を見せた狼は希望を抱いたままに死んでしまった。


「え、あの、なに、を?」


俺は恐る恐ると振り向く。

後ろに居た彼女は、相変わらずの黒い瞳で俺を見ていた。


「旦那様こそ、あんな畜生と契約しようだなんて、一体なんのおつもりなのでしょうか?」


え?だって俺契約者だし……そういう能力は、積極的に使っていかないと……。


「他の召喚獣など必要ありません。私が居るでは無いですか。私のみ必要としていれば、私以外の全てなど必要無いのです」


「あ、はい……分かりました」


凄みのある彼女の表情。

俺はそう肯定する他無かった。


「さて、旦那様、これで人助けは終了しました……と言っても、その助けた筈の人はもう居ませんが……まったく、不躾な連中だ。旦那様が慈悲を与えたと言うに」


「いいさ、別に。俺は強者としての役目をしただけだ。感謝の言葉が欲しかったワケじゃないよ」


さて。それじゃあ。……お母さんの所に行こう。

もしかしたら、死んでるかも知れないけれど。

俺は唯一の肉親の安否を知る必要があった。

そして、俺はアパートへと向かった。


「……あー」


アパートは潰れていた。

まるで大きな足で踏み潰されたかの様に、ぺしゃんこになっていた。


「……母さんさ。今日、風邪で休んでて……多分、部屋に居た、と思うんだ」


だから。アパートが潰れていると言う事は。

お母さんは一緒になって潰れているかも知れない。


「……一応確認しますか?これくらいならばなんとか瓦礫を退かせられますが」


「……いや、いいよ。死んだ姿を見たら、夢見が悪くなりそうだ」


少なくとも大切だと思っていた母さんが潰れた様など見てしまったら心が壊れてしまいそうだ。


「その割には冷静ですね、旦那様」


「別に、ただ動揺しているだけだよ。……多分、明日か、明後日かすれば、現実を受け止めて、そして、泣いてしまうかも知れない」


何故か、母親の死は俺の心には響かない。だけどそれは後になって響くのかも知れない。

………いや、本当は、分かってるよ。俺が泣けない理由。


「……お母さん。母子家庭でさ。親父は、俺を生んですぐに消えて、お母さんだけで俺の面倒を見てくれたんだ………けどさ。お母さん、笑った事無いんだよ。いっつも俺の顔を見て溜息を吐いて……多分、俺が、重荷になってたんだろうな。俺もさ、母さんの顔を見てさ……そんな母さんが嫌だったんだ。俺を失望する様な目で見るのを……だから、お母さんが死んで、悲しいけど、それ以上に……安心してるんだ」


もう、そんな目で見られる事は無い。

もちろん、お母さんの事は愛している。けれどそれ以上にそんな目で見られるのが苦痛だった。

その目から解き放たれて、俺は安心しているんだ。


「………最低な人間だ、俺は」


そんな事を考える自分に嫌悪する。

このまま、自分の首を絞めてしまいたい程に。

けれど、俺は首を絞める様な真似はしない。

その代わりに、背後から俺を抱き締める腕があった。


「……あぁ、旦那様。決して、貴方は最低な人間ではありません。貴方が涙を流さないのは、貴方が強いからです。貴方が悲しみを抱かないのは、貴方は既にそれを乗り越えているからです。お義母様を亡くしても、貴方は折れなかった」


強く、強く抱き締めて来るクインシー。

少し苦しいけれど、彼女の暖かさが俺の冷えた心に伝播していく。


「誇り高く、強き旦那様を産んだお義母様はきっと幸せ者でしたよ」


「……そう、かな?」


「そうですとも。あぁ、けれど。旦那様。少しお休みになりましょう。今は心の整理を行う時です。指輪の力で安全な場所へ避難して……それで、明日に備えましょう」


……血の臭いが混ざる彼女の匂いは俺の気分を落ち着かせてくれた。

少しだけ涙が出てくる、嫌な記憶しか無かったけど。

それでも、お母さんとの楽しかった思い出が溢れ出てくる。


「………」


「さあ、旦那様。私の胸で、お泣き下さい」


俺は彼女の言葉に従って、その体を強く抱き締めた。

頭の上から、彼女の重苦しい吐息が髪を掻き分けた。

そしていつの間にか俺は、彼女の胸で眠っていた。

次に起きた時は〈楽園の箱庭〉の中で、俺は彼女の為に膝枕をしていた。



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