第24話 強くなりたい


 時間はもう夜の十時を過ぎている。


 真っ暗な空に煌々こうこうと輝く月。

 ほぼまん丸なのに少しだけ欠けているその月が、なぜかわたしたちの関係に重なって見えた。


 余計な話をする雰囲気はとうに過ぎ去ってしまっていて、もうあとはわたしの話を待つばかりだ。

 送ってくれている生田君にも悪いし、そろそろ話さないといけないのに……。

 なかなか最後の決意が固まらなかった。


 隣では生田君がブランコに腰掛け夜空を見上げている。

 月夜に照らされたその横顔がとても愛おしくて……。

 胸の奥がじわりと熱くなってくる。


「ごめんね、待たせちゃって。もう、話すから」


「いいよ、いくらでも……。自分のタイミングで話せよ」


 疲れているはずなのにそんな素振りも見せず、生田君はいつもと変わらず優しい笑顔を向けてくれる。


 本当にこの人はブレないな。

 いつも他人のことばかり気にかけて……。

 自分のことは後回しで。


 出会えて本当に良かった。

 生田君に出会わなければ、わたしはきっと今もまだ弱いまま、ただ自分を憐れんでいたと思うから。


 まだぎこちないとはいえ、お母さんと昔みたいに話せるようになったのは彼のおかげだ。

 それに志賀君の時だってたくさん、いろんな意味で救ってもらった。


 だからこそ、彼が与えてくれたものをおぼろげなままにしておきたくないと、そう強く思っている。


 だって。わたしはもう守ってもらうばかりなのは嫌だから。



    *



 ブランコを前後に振ると、野上は意を決したように前方に飛んだ。


 その時、薄手のワンピースがふわりと舞い、両足を揃えて上手く着地すると野上は俺の方へゆっくりと反転する。


 そんな彼女を前にして、俺の心臓はどくどくと高鳴っていた。


「わたしね……」


 そこまで言うと野上はすぅ~っと息を深く吸い込み、ふっと吐き出す。

 一瞬目を瞑ったあと、ゆっくりと開かれた琥珀色の大きな瞳には強い決意が宿っているように思えた。


 野上はまっすぐに俺を見つめると、遂に言葉を紡ぎ出す。 



「わたしね、生田君のことが好き」



 月灯りに照らされた彼女は今まで見たどんな姿よりも綺麗で、同時にその優しそうな笑顔はとてつもなく可愛くて……。


 俺は瞬きすら忘れ、釘付けになってしまっていた。


 ただ、まさかこのタイミングで告白されるなどと思ってもおらず、まるで思考が定まらない。


 そんな中、こちらへ歩み寄る足音と共に人影が地面を覆い、ほどなくして俺の靴のすぐ正面に野上の靴が向かい合った。

 

 その距離の近さに驚き視線をバッと上げると野上の顔はすぐそこにあって。告白してきたはずなのに……野上はなぜか悲しそうに瞳を揺らしていた。


「返事はいいの。もし好きだって言ってくれても遠距離恋愛は……嫌、だから……」 


「え、ん……距離。……?」


「わたしね、名古屋に行くことにしたの。お母さんと」


「は? それ、どういうことだよ……」


「離婚の話……。わたし、お母さんについていくことに決めたんだ」


 まるで理解が追い付かない。だからってなんで名古屋なんだよ。

 そんな俺の思考を汲み取ったのだろうか、野上は話し始める。


「お爺ちゃんの形見のお店、借金はお父さんが立て替えてくれることになったんだけど、でもこのままお店を続けても同じことになるからって。そう悩んでたお母さんにね、昔からの知り合いだっていう人が一緒に働かないかって誘ってくれたの。その人は、つい最近まで東京の有名な三ツ星レストランで働いてたみたいで。地元の名古屋で自分のお店を開くんだって」


「ってことは……つまり」


「そのお店で成功して、またお爺ちゃんのお店を立て直したいみたい」


 であれば、野上はお袋さんと二人再出発するということだ。

 だったら喜んでやらなきゃって頭では思うのに、声が出なかった。


 それどころか頭の中が真っ白になり、今目の前にいる野上がいなくなってしまう事実を簡単に受け入れられない自分がいた。


 だから、こんな時期外れに海に行きたいなんて言ったのかよ……。


「お父さんはこっちにいるし、残ってもいいって言ってくれてるんだけど……。でもせっかく生田君が繋いでくれたから。だからこのまま離れて暮らすのは違うかなって。それにね、わたしも知らない場所で一から頑張ってみたいの。そうしたら……少しくらいは強くなれるかもしれないから」


「野上……」


 屋上でのキスから始まった俺たちの関係。

 それから何度も一緒に歩いた通学路、野上の旨い手料理や抱きしめた感触……それに俺を救ってくれた優しい笑顔……。

 

 短い間だけど、もうこいつとの思い出が溢れてて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 どんな表情を作ればいいのか分からない俺に野上はにこっと微笑むと俺を真っすぐに見つめ、優し気に眉尻を下げた。


「生田君は優し過ぎるから。我慢ばっかりしてるから。自分のことも大切にしてあげて欲しい。もっとわがままになっていいんだよ? もしそれで苦しくなったら今度はわたしが助けてあげるから」


 そう言うと、ただでさえすぐ傍にあった顔が更に近づき、彼女の唇が俺の唇にゆっくりと重なった。 


 数秒間の優しいくちづけ。


 それはじんわりと胸が温かくなるようなキスだった。


「これで……チャラ、だね」


 重なった唇が離れ、今度は悪戯っぽくにたっと笑う野上。


「え」


「だって生田君が先にキスしてきたんだもの。わたしからもキスしないとチャラにならないでしょ?」


 野上は満足そうににっこりと微笑むと、すくっと立ち上がった。

 そしてさっさと踵を返し公園の入り口へ向かってしまう。


 そして、

 

「じゃあここでお別れっ。今日は本当に楽しかったよ。あと、送ってくれてありがとう。また、連絡するね……」


 悲しそうに笑った野上は一つ目の角を曲がり姿を消した。



     *



 角を曲がった頃には、わたしの視界はぐしゃぐしゃに歪んでいた。

 一度せきを切った涙はもう止まってくれそうになくて、どんどんと溢れ出ては頬を伝ってゆく。


「うっ、うぅ」


 ほんとにわたしってば最後までダメダメだ。


 告白してスパッとさよならするって決めてたのに、結局未練タラタラで嫌になる。


 いつ戻って来るのかも分からないのに生田君を束縛するなんて出来るはずがない。

 そう思ってる癖にキスなんかして……。


 いつかまた絶対生田君と再会して、そのときには彼のことを守ってあげられるくらい強い人になって今日の告白の続きをするんだ。


 その時、生田君の隣に他の誰かがいても。

 わたしに振り向いてくれなかったとしても……。

 今日の別れを絶対に後悔しない。


 そう思い、ぐしゃぐしゃに霞んだ視界のまま、夜空に瞬く月を見上げた時……。


 なぜかぐっと手を引かれたと思った直後、一回り大きな身体がわたしを包み込んでいた。





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