第5章

第21話 どうなんだよ


 いつもと変わらず幸せそうな笑顔を見せる遺影に向け挨拶をすると、俺は仏壇の前で正座をし手を合わせた。


 この毎日の習慣ルーティーンも早や三年になる。


 今日は母さんの命日だ——。




 

「そう……相変わらず隆仁たかひとさんから連絡はないのね」


 墓参りを終えた帰り道。

 この話題になるといつもそうだが、自分は何一つ悪くないのに叔母さんは申し訳なさそうな顔をする。

 一方、その脇では莉緒りおが不機嫌そうに眉をしかめていた。


 叔母さんは母さんの姉にあたり、母の死後、祖母の家へと転がり込んだ俺のことを何かと気にかけてくれていたのだが、その祖母も昨年逝去してしまった今、叔母さんは後見人という意味でもある意味俺の親代わりであり、綾瀬家は数少ない血縁者だ。


 ちなみに今しがた話題にのぼった生田隆仁たかひと、つまり俺の親父は四年ほど前、母さんが病気で長期入院となった直後に姿を消し、それ以降なんの音沙汰も無いまま今に至っている。


 知る人ぞ知るプロボクサーだった親父。


 当時は元日本ランカーの突然の失踪などと一部ネット記事にも上がったものだが、引退間近のほぼ話題性皆無のそのネタはすぐにしぼんでしまった。


 今頃どこで何をしてるんだろうか。

 莉緒りおあたりは母さんの死に目にも立ち会わなかった親父を毛嫌いしているが、俺は別に憎んでも無ければ、逆に元気で生きていて欲しいと、本気でそう思っている。



   *



「あのっ!」


 放課後のバイトを終え裏口から店の外へ出ると声を掛けられ、振り向くと他校の制服に身を包むひとりの女子生徒が立っていた。


 見てすぐに分かる。

 彼女が最近よくカフェに顔を出してくれているだったからだ。


 明るめのミディアムヘアで、上手く制服を着崩し遊んでそうで遊んでなさそうなギリギリのラインを突いてるというか、まあぱっと見活発そうな可愛らしい娘で、彼女には接客の時に何度か声を掛けられたことがあった。


 たしか近くの女子高だったか。同い歳で、名前は——。


早坂はやさか……だったよな?」


 下の名前も教えてもらったはずだが正直覚えてない。

 すると「覚えてくれてたんだっ」と彼女は顔を綻ばせた。


「バイト終わりのところごめん」


「別にいいよ。今日は店に来てなかったけど、塾かなんかの帰りか」


「当たり。ちょうどバイトが終わる時間だと思って、待ち伏せしちゃった」


 早坂は照れ臭さそうに眉尻を下げ「待ってた理由、分かってると思うんだけど」と窺うような視線を寄越してくる。


 まあ今回みたいな場合、待ち伏せと言えば決闘の申し込みか? とは当然ならないだろう。


「単刀直入に聞くけど、生田君って彼女とかいたりするのかなって……。ちなみに、たまにお店にいるあのすっごく可愛い。もしかしてあのが彼女さんだったりする?」


 早坂が言うあの娘はもちろん野上のことだろう。早坂ほどではないにしろ、最近あいつもちょくちょく店に来てくれてるから。

 

 と、俺は突然投げかけられたその質問に手を顎に添え考える。


 もちろん俺と野上俺たちは付き合ってない。けど、友達と言ってしまうのは違う気もする。


 どちらにせよ誘いは断るのだからあまり時間を空けて勘違いされるのも良くないと思い、俺は思いついたことを直感で口にすることにした。


「付き合ってはねぇけど、付き合いたいとは思ってる、と思う(俺が)」


 何かが引っ掛かったのだろうか、早坂は首を傾げた。

 いや、俺も自分で言っておきながら少しだけどうかと思った。でもまさに今この答えが一番しっくりきたのだから仕方ない。


 つまり俺的には誘いを断ったも同然だと、そう思ったのだが、


「そっか。じゃあまだ付き合っては……ないんだ」


 なぜか早坂は前向きに捉えてしまったらしく、顔を綻ばせながら「今日はそれだけ聞きたかったの。じゃあまたお店でっ」と言い残し、足早に去ってしまった——。

 




 翌日の昼休みに昨日起こった事を話し終えると、なぜか植草がぎゃははと笑い始める。


「なんで笑うんだよっ。別にそこまで変じゃねぇだろ?」


「いや、完全に変だろっ。つうかどこまでバカ正直なんだよ。なぁ、九条もそう思うだろ?」


 どうやら俺が言った『付き合いたいとは思ってる、と思う』というフレーズがよほど可笑しかったらしい。

 同意を求められた九条も頷きまではしないものの、苦笑いを浮かべているところを見るに半同意といったところか。


 その後、ひとしきり笑い満足したのか、植草は「まあそれはさておきだな」と前置きを挟み続ける。


「実際のとこどうなんだよ。好きじゃねぇの? 野上のこと」


 その話しぶりは好きに決まってるだろ? とでも言いたげに聞こえた。


「まあ……そりゃあどっちかって聞かれりゃ好きに決まってる。けど、よく分かんねぇっつうか」


「何がだよ」


「だから、付き合うってことがだよ。別に付き合わなくたって俺たちは一緒にいるし、逆に付き合ったから何が変わんだろって」


「なるほどな。たしかにお前の言う通り形にこだわる必要はないのかもしれねぇ。けど、もしお前が野上に好きだって言って、野上もお前のことを好きだって言えばどうよ。それって付き合ってるのと同じじゃねぇの?」


「たしかに……それは違わねぇかも」


 植草は頷いた俺に「だろ?」としたり顔を見せ、今度はキョロキョロと首を振ると周りに人がいないことを確認し話し始める。


「逆に好きだって言わなきゃ、ずっと恋人未満のままだ。お前の言ってる『付き合ってなくたって』ってのはずっと友達でいいってことか?」


「それは……分かんねぇけど」


「まあなんにせよ俺が言いたいのは、今のお前の気持ちをまずちゃんと伝えたらどうだってことだ。野上がその辺の奴に告白されてオーケーするとは思えねぇけど、あいつを狙ってる奴がごまんといるのも事実なんだ。あんまトロトロして他の奴に取られても知らねぇぜ?」





 その日の下校時、俺は隣を歩く野上にちらと視線を移す。


 たしかに志賀の一件以来、俺の中で何かが変わったのは事実だ。

 野上のことを誰よりも信頼できるようになったのもそうだし、一緒にいると安心するっつうか。それに……。


 それに、植草の言う通り、もし野上が他の奴と付き合ってる姿を想像すると……やたらと胸の奥がモヤモヤする。


「——ん」


 でもどっちかと言えば、俺がどうしたいかっていうより野上がどうしたいかのほうが大事で。


 もしこいつが俺を好きだって言うならそれでいいかもだけど、そうじゃなく他に好きな奴がいるんなら応援したいとも思うし……。


 と、突如視野角内でぶんぶんと手のひららしきものが上下に通り過ぎ、はっと我に返ると目の前に野上の小振りな顔があった。


「生田君、どうかした?」


「あぁっ、ちょっと考え事してた」


「ということは今の話、全部聞いてなかったってこと、だよね?」


「悪い。なんか言ったか?」


 俺がそう答えると野上は「もう」と頬を膨らませる。


「だから今度の創立記念日。生田君のバイトがお休みだったら少し遠出してみない? って聞いたの」


「遠出って……、どこか行きたいとこでもあんのか」


「うん。まだ夏には早いんだけど、一緒に海に行ってみたいなぁと思って」


 海か。長らく行ってないが、たしか電車を乗り継いで二時間は掛かったはずだ。

 だからこそ野上も遠出と言ったんだろう。


「別に予定もねぇし、いいよ」


 その日は家の掃除でもしようと思ってただけだしな。


 そう思い二つ返事で答えると野上はコロッと表情を変え、「じゃあ決まり」とにっこり微笑んだ。





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