第20話 そう思うのに


 その後、部活を途中で抜けた須藤や植草たちも共に帰ることとなり、俺は駅までの道中で皆に事の詳細を伝えていた。


 こと野上にとってはツラい事実もあり、正直全てを話すべきなのか迷いはしたものの。

 また志賀が接触してこないとも言い切れない中、知っておいてもらったほうがいいと判断した。


「マっジでクソ野郎だな……。まだ浮気相手と別れてなかったとか、ありえねぇだろ」


「そういう奴よ。自分さえ良ければそれでいい、今思い返せば一年の時からそういうとこあったもの」


 開口一番、吐き捨てるようにゲェと苦い顔をする植草に対し、須藤は冷ややかな口調で言い捨てる。


「でもスカッとしたぁ。見た? あのなっさけない顔」


「ちょっと裕理ゆりっ、そういうの良くない」


「葵はお人好し過ぎなのよ。あいつがアンタや生田にしたことを考えれば、それくらい言ったってバチ当たんないってば」


 須藤は野上の指摘などまるで気に留める様子もなく首をすくめると、逆にぶっきらぼうに言い放つ。

 そんな須藤に「もぅ……」と嘆息しつつ、野上はピタリと脚を止め、俺たちも少し先で立ち止まり彼女の方へ振り向いた。


 すると野上は俺たち一人一人を見回した後、丁寧に腰を折る。


「皆、本当にありがとう……」


 顔を上げた野上の表情はとても晴れやかだった。


 流石に志賀あいつのお陰というのは言い過ぎだとして、こんなにも自分のことを想ってくれる仲間がいる事に気付けたのだから、ある意味禍を転じて福と為す、いや雨降って地固まると言ったところか。

 あくまで結果論だがこれはこれで悪くなかったのかもしれないと。そう思えた。


 そんな中、俺は野上を見て思う。

 

 守りたいと、そう思い彼女を志賀から遠ざけようとした俺はきっと間違ってたんだろう、と。


 こいつは……俺が思ってたよりもずっと強かった。



——「馬鹿にしないでっ。生田君が自分からこんなことするわけない!」



 それどころか、救ってたつもりの俺が逆に彼女に救われてたくらいで。


「礼を言われるのも気分は悪くねぇけど、俺たちもう仲間だろ? 水臭いこと言うなって」


 照れ臭かったのか、鼻に指を引っ掛け臭い台詞を吐く植草だったが、「その割には生田を止めに行く前めっちゃビビッてたけどねっ」と即座に須藤から茶々を入れられる。


「おまっ、マジであん時の生田はヤバかったんだからな! っていうか俺にしては頑張ったほうだろ?」


 冷やかしながらも須藤の表情は優しげだ。


 そうだ、俺だってこいつらには助けられた。


「植草、それに須藤も。ありがとな、お前らが止めてくれなきゃ俺は」


 と、その時なにやら冴えない表情の九条に気付き「どうした?」と声をかけると、九条は拗ねたように口を尖らせる。


「皆だけいいなぁと思って。僕、何も見てないし」


 野上と二人で駅から戻ってきたはずの九条だったが、到着したのは全てが終わったあとで。俺たちの前に姿を現した時にはゼーハーとヨレヨレの足取りだった。


「野上さんも酷いよ、僕のこと置いてっちゃうんだもん」


 恨み節の九条に野上も苦笑いを返すしかなく、そんな中、植草がすすっと九条へ擦り寄るとぐいと肩へ腕を回す。


「部活やってねぇからだよ。うちの部でよけりゃいつでも歓迎だぜ」


 おどけてみせる植草だったが「文芸部じゃ意味ないでしょ」と、冷ややかに須藤からツッこまれる。


 なんだかんだでこいつらも仲を深めているようで何よりだ。





 こんな腫れた顔でバイトに行くこともはばかられた俺は仕方なく今日は休むことにしたのだが、その後野上がついて来ると聞かず、


 なぜか今俺と野上俺たちは二人俺の家うちにいる。


 只でさえ狭い円卓テーブルの一端で更に狭々しくも肩を寄せ合いながら、野上は氷水の入るバスボウルから冷えたタオルを取り出し軽く絞ると、俺の頬へそっと添えた。


つつっ」


「我慢っ」


 多少勢いを殺したとはいえ、ほぼまともに志賀の強打を食らった俺の左頬はパッと見で分かるくらい赤く腫れあがっていた。


「いいって、こんなのっときゃそのうち治んだからよ」


「だめ、こういうのは早めの処置が肝心なの。冷やしておかないと長引いちゃうんだよ?」


 野上はそう言うと濡れタオルをまた氷水に浸した。


 そんな中、痛みと共にさっきのことを思い出した俺は野上に頭を下げる。


「野上。悪い……」


「どうして、謝るの?」


 まさかこのタイミングで謝られるとは思ってなかったのだろう。

 野上は目を丸くして首を傾げ、これのこと? と濡れタオルを持ち上げるも俺は首を横に振りそれを否定する。


「実は俺。あの時、野上が校舎裏に来た時、お前のことを疑ってた」


「疑って、た?」


「ああ……。きちんと説明すりゃ理解してくれるのはもちろん分かってた。けど、野上が来た時は志賀だけが倒れてる状況だったろ。だから誤解されたとしても仕方ないって、正直そう思ってた」


「つまり、生田君はわたしが志賀君の味方をするんじゃないかって、そう思ったわけだ」


 野上はひとつ頷きを挟み「そっか……」と呟いた。


「たしかにあの時の生田君は……いつもと違って少しだけ恐かった、かも。だけど、わたしは生田君に非があるなんて少しも疑わなかったよ?」


 そう言うと、野上は何の混じり気も無い目で俺に微笑みかけてくる。だけどどうしても腑に落ちず俺は食い下がった。


「なんでそこまで……。俺、お前になんかしたか」


「したよ。生田君はわたしの期待を裏切った。それもたくさん」


「え」


「ごめん、期待っていうのは違ったかな。でもね、出会ってからずっと、生田君はわたしがこうなったらだなぁって思うその逆ばかりいくの。しかも面白いくらいに全部。だから……もう疑うことに疲れちゃった」


 野上は口許に手を添えクスっと笑う。


 一方の俺は声が出せなくて。

 そんな俺を他所に野上は続ける。


「それに今まで一緒にいて、生田君が自分のために暴力を振るうような人じゃないって……、信じられないくらい優しい人だって、もう十分わかってるから」


 そう言うと野上はすっと腕を伸ばし、俺の腫れた頬に優しく指で触れた。


 不思議と痛みはなくて……ただ彼女の温かな指の感触だけが伝わってくる。


「なのに、ごめんね生田君。ごめん……痛かったよね」


 その優しい声音は……心が痛かったよねって、殴りたくなんてなかったよねって、まるで俺の胸の内を代弁してくれているような気がして。


 急激に胸の奥側から喉が締め付けられたと思ったら今度は目頭めがしらまで熱くなってきて、気付いたら……俺は歯を食いしばり、野上から顔をそむけていた。


 そして俺が俯いたことで離れた野上の指先。


 彼女はそれをそっと持ち上げると今度は俺の髪に触れ、優しく撫でた。


 その瞬間、心の大事な部分が温かく溶かされてゆくような感覚を覚えた俺は、必死で我慢しようとするのにもうどうしようもなくて……。


 カッコわりぃ——。


 そう思うのにもう無理で……。


 俺は声を押し殺しながら、



 初めて人前で泣いた。






(4章了)




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