第18話 それ以上は


 最初の友好的なムードはどこへやら。


 旧校舎に戻ってみると生田と志賀は互いに向かい合っており、今にも殴り合いの喧嘩に発展しそうな雰囲気だった。


「なに話してるんだろう。もう少し近づけたら分かるのになぁ……って、ちょっと! 肩掴まないでよっ」


「仕方ねぇだろうが、じゃあお前がもっとかがめよっ」


 校舎の端でわたしの上から覆い被さるように覗き見る植草へ文句を言うと、憮然とした顔で言い返されてしまう。


 果たして植草こいつを連れてきたのは正解だったのだろうか。植草の所属する部がここからほど近かったのは幸いだったのだけど……。


「マジでアンタだけが頼りなんだからね、喧嘩になったら頼むわよ」


「わ、分かってるって。けど、あんま期待すんなよ。なんたって、俺ぁ文芸部なんだからよ」


 文芸部をバカにするわけじゃないけど、こと揉め事に関しては如何いかにも頼り無い響きである。


「それにしてもあの志賀って奴……生田に喧嘩売るなんてなかなかだな。そんな強そうに見えねぇけど、なんかやってんのか?」


「なんだっけ……一年の時、空手か何かの大会で入賞したとかなんとか自慢してるのを聞いたことがあるのよね。ちなみにそれってすごいの?」


「どうだろ。まあそりゃあ、すげぇんじゃねぇの?」


「って、質問し合ってどうすんのよ! はっきりしなさいよ」


「し、知らねぇもんは仕方ねぇだろうが! まああれだ、体育ん時に生田の身体見る機会があったんだけどよ、こいつとは絶対喧嘩しねぇって心に決めたのは確かだ。それに運動神経だって全身ばねみてぇだし、そう簡単にやられはしねぇだろ」


 その情報に少々の安堵を覚えるものの……もし生田の身に何かあったなら葵はどう思うのだろうか。


 それを考えると気が気じゃなかった。



    *



 まるで獲物を捕食するかのように睨みつけてくる志賀の表情からは、絶対に俺を逃がさないという強い意志が見て取れた。

 

 そして少しずつにじり寄ってくる志賀は、おそらく自分の間合いに入ったのだろう、先手必勝とばかりに俺へ向け大きく一歩踏み込むと、死角から左フックを顔面に見舞ってくる。


 それは想像以上の速度で、咄嗟にかわすことの出来なかった俺はむ無く右腕でブロックすると、間髪入れず放たれた掌底しょうてい気味のアッパー追撃を後方へのスウェイで回避し一歩飛び退く。


 すると未だ余裕の表情を崩さぬままではあったが、志賀は不思議そうに首を傾げた。


「あれ、おっかしぃなぁ。ただ喧嘩が強いだけかと思ってたのに、もしかして何かやってた?」


 ……威力はそこまででもないが、かなりの速さだ。


 ボクシングでは無さそうだが、迷いなく打ち込んでくるところを見ると防具有りのフルコンタクト空手か何かだろうか。いずれにせよこの余裕ぶりだ、腕にはかなりの自信があるのだろう。


「いきなりだな。時間は取らせねぇはずじゃなかったのか?」


「大丈夫、すぐに終わるさ。それに君が悪いんだ、素直に説得されてれば良かったのに余計な勘なんて働かせるからさ」


「なに人のせいにしてんだよ。ただお前の演技が下手過ぎただけだろうが」


 会話をしている間も隙を狙ってるのだろう、志賀はじりじりと距離を詰めてくる。

 対する俺は覚悟が決まらぬまま、どうすべきか迷っていた。


 出来ればやりたくねぇ。でも……。


「お前、俺をぶちのめしてどうするつもりだよ? 野上が知ったら逆効果だと思うんだけど」


「それは君が考えることじゃないよ。いずれにしてもこのまま君を行かせたんじゃ、葵に何を告げ口されるか分からないからね」


 志賀は二度三度と首を鳴らすとまた一歩と俺に近づいてくる。

 

「まあそうなるだろうな。ちなみにその感じだと反省したってのは嘘ってことでいいんだよな?」


「いや、反省はしてるさ。但し浮気したことをじゃない……、浮気がバレたことを、だけどね」


「なるほどな。だからまだ浮気相手とも別れてねぇわけだ」


 俺がそう言った直後、志賀は興味深げに目を見開いた。


「へぇ、驚いたな……。どうして分かったんだよ」


 よくもまあ抜け抜けと。最低だなこいつ。


「勘だよ勘。お前みたいのがやりそうなことはだいたい分かんだよ」


 実は半ばカマをかけただけだったが、言ってみるもんだ。


 それにしてもマジでこいつと野上が直接会わなくて良かった。

 俺はそう内心で安堵しつつ、こいつが饒舌な内にともう一つ質問をぶつけてみることにする。


「なぁ志賀。なんでお前、野上あいつにそこまで執着するんだよ。いま他に付き合ってる奴もいるんだろ? だったらもう別にいいんじゃねぇのか」


 一瞬躊躇ったものの、もうここまで来ればと思ったのか志賀は口を開く。


「理由は単純さ。僕は葵を落とすために一年もかけたんだ。なのに手も繋げないまま別れたんじゃまるで労力と見合わないだろう?」


「は? なんだよ労力って……」


 その口ぶりはまるで野上を道具ものか景品みたく捉えているようで、好きとかそうじゃないとか、そういう次元以前の話にすら聞こえた。


「じゃあなにかよ、お前が野上に優しくしてたっつうのも」


「ああ。君も男なら分かるだろ? 可愛い女には触れたいしその先も、ってね」


 その瞬間、奥歯がギリっとこすれていた。



——「すごく優しかったし、わたしのことをこんなにもずっと好きでい続けてくれるこの人ならいいかなって……。そう思ったんだけどね」



 あの時の寂しそうな野上の顔を思い出す。


 ほんとバカだな……こんな奴なんかに気を許してよ。



「あいつはお前に救いを見出そうとしたんだ。なのに……」


「なに? 聞こえないんだけど」


 もはやどこからともなく込み上げてくるその怒りを制御出来そうにはなかった。


「あいつはものじゃねぇって言ってんだよ」


「なんだよ急に。……もういいってば」


 怒りに我を忘れ油断していたのだろう、気付いた時には間合いに入りこまれていた。


 インローへの蹴りを一発入れ、直後素早く俺の懐へと飛び込んだ志賀は中段へ細かな突きを連続で放ってくる。


 その速度に対応しきれずまとめて被弾した俺は一度後退し距離を取ろうとするも、そこへさらに追い撃ちとばかりに前進してきた志賀に足裏へのカーフキックを叩き込まれガクッと体勢を崩す。


 それはこいつの得意な流れコンボなのだろう。


 不敵に笑う志賀の表情からおそらく次で決めに来るのだと予測した俺は、逆にこの間合いを生かすことを決断する。


 痛ぇのは嫌だけど仕方ない……。


 予想通り志賀は俺の体勢が崩れているところへ大きく踏み込み右の正拳突きを放ってきた。

 対する俺は前進することで顔面に喰らいながらもその威力を軽減させると、同時に無理やり志賀の懐へ潜り込み渾身の右フックをがら空きのみぞおちと左脇腹辺りへピンポイントにぶち込む。


「がはっ」


 それは完全な手応えで、直後志賀は九の字に折れ曲がった。

 俺は逃がすまいと右フックを打ち込んだ力を生かして身体を捻じり今度は左フックを反対のボディへと打ち抜く。


 直後、「ぅぐ」と腹を両手で抱え背中を丸めたまま志賀は膝から崩れ落ち、次いでドシャと顔を地面に擦りつけた。


 みぞおち付近に直撃したのだ、おそらくいま呼吸苦に陥っているのだろう。

 眼の前の志賀はなんとか息をしようと必死で、もはや反撃の兆候など見られるはずもない。


 なのに俺の怒りは収まらなくて……。



——「生田君は正しいことをしたのかもしれない。でもやっぱり暴力は駄目なの。暴力じゃ何も変わらないし、何も変えられない」



 その時ふと、中学で暴れ回った時に俺を唯一庇ってくれた先生の言葉を思い出す……。


 と、ほぼ同時に


「おい生田やめろ! それ以上はただの暴力になっちまうっ!」


 振り向くと、駆けてくるのは植草と、その後ろには須藤か?


 なんで、あいつらがここに……。

 




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