第15話 少しくらいは
『待ってたのに。どうして来てくれなかったの』
『待ってたって……。そもそも手は出さないって約束したじゃねぇかよ』
『そんなの、意気地なしがする言い訳だよ……。だってわたし、もうこんなにも生田君のことが……』
『ちょ、ちょっと待て野上っ、急にどうしたんだよ!? 俺にも心の準備ってもんが……おいっ、おいってば!』
「ぶわっふぁ!」
まるで長時間水中に潜っていたかのように俺は大量の息を吐き出し目を覚ました。
と、寝ころんだまま左右に首を振るも野上はおろか誰もおらず。
夢……か……?
って、なんて夢見てんだよ……。
少しの間放心状態でいると、ほどなくして枕元にある
あれからどうやっても寝付けず、たぶん眠ったのは二時半を回ってたと思う。
まあ一睡もしてねぇよりかマシではあるもののさすがに正直キツイ。
とはいえ、もう一時間後にはバイトだし寝みぃけど起きなきゃな。
背筋をぐぅーっと伸ばし、ふぁ~っと大口を開けて欠伸をかくと、俺は意を決し立ち上がった。
*
薄っすらと意識を感じながらゆっくりと
わたしは寝付きも早ければ目覚めもかなり良い方だと思う。
電車の中でも、狭いバスの中でもすぐに眠る事が出来、昔からよく友達に羨ましがられたものだ。
だけど……昨日はなかなか寝つけなかった。
だって部屋から生田君の匂いがしたから。
普段彼がここで眠っているのだと思うとそれだけで鼓動がトクトクと鳴り、いつまで経っても止んでくれなかった。
ちらとスマートフォンを見る。セットした通り今は朝の六時だった。
早起きした理由は一つ、お世話になったお礼に朝食を作ろうと思ったからに他ならない。
バッグからブラシを取り出しさっと身なりを整えると、昨晩コンビニで買っておいた最低限の食材を手に、物音を立てない様注意しながら階段を降り居間へと向かう。
さすがに生田君もまだ寝てるはずだと思うんだけど。
どんな寝顔なんだろう……。
ふとそんなことを思う。
だけど想像は現実とはならず、居間には布団も生田君の姿も見当たらなかった。
と、その時円卓テーブルに置いてあるモノが視界に入る。
お惣菜のパンが二つと家の鍵、それに……書き置きらしき紙が一枚——。
わたしはピラとその紙を手に取った。
するとそこには端的に用件が記されていて……。どうやら生田君は朝昼と二つのバイトを掛け持ちしているらしく、帰りは夕方になるとのことだった。
まさかこんな朝早くからバイトだったなんて、失敗しちゃったなぁ。
遅くまでわたしに付き合ってくれて、それなのに嫌な顔ひとつ見せないで……。
人柄はある程度分かってるつもりだった。
だけど一人暮らしなのも昨日初めて知ったし、バイトだって何をしているのかさえ知らなかった。
もっと……生田君のことが知りたい。
気付いたらそんなことを考えていた。
*
カフェチェーン店でのバイトを終えた俺は勝手口から外へ出る。
ちょっと前ならもう薄暗くなっていたはずだが、陽が伸びてきたのだろう、まだ辺りは明るく人通りも賑やかだった。
それにしても……。
朝はあんなにも眠かったのにな。意外といけるもんだ。
もしかしたら二晩くらい寝なくても大丈夫なのかも? などと考える。まあ、寝るけど。
と、ふと野上のことが気になり携帯を取り出すも……どうやら連絡は入ってないようだ。
あいつ帰ったのか……? 一瞬そう思うものの、もし帰るなら連絡の一つも寄越してきそうなもんだし。
と、なると……。嫌な予感がした俺は急ぎ家に帰る事にした。
そして、家の明かりが灯っていることを遠目に理解した俺はちいさく嘆息し額に手をやる。
やっぱりな。
あいつのことだ、世話になったままじゃきっと気が済まなかったんだろう。
その後はもう想像通りだった。
玄関を開けるや香ばしい匂いに包まれた俺は、直後玄関に飽き足らず、廊下から階段から至る所がピカピカに清拭きされ、ついでに整頓までされていることに気付く。
「おかえり生田君。朝早くから
ほどなくして姿を現した野上は俺に向けにっこりと微笑むと、労をねぎらってくれる。
今日は昨日と一転ゆったりとした白のパーカー姿で、タイトめなデニムのショートパンツからすらりと伸びる綺麗な脚……はともかく、パッと見は
なのにこいつの場合はなぜか清楚に見えてしまうのだから不思議で仕方ない。
「掃除してくれたんだな……それに飯まで」
「うん。あっ、でも安心してね。知らない部屋には入らないようにしてあるから」
「別にそれはいいけど。なんか逆に気を遣わせたみたいで悪かったな」
俺が頭に手をやると対する野上はぷくっと頬を膨らませる。
「ほんとだよ。朝食くらい作らせて欲しかったのに起きたらもういないんだもの」
「わりぃ。でも昨日は疲れてるっぽかったしさ。まあ、いいじゃねぇか。それよりすげぇいい匂いなんだけど、何作ってんの?」
「生田君、このまえ豚肉と玉子の炒りつけにチャレンジしたって言ってたでしょ? だから中華が好きなのかなぁと思っていろいろ作ってみたの。とりあえず座ってて、もうすぐ出来るから」
その後、過去見たことのない完成度の料理たちが紙皿に盛られ、所狭しと小さなテーブルに並んでいた。
炒飯に唐揚げというオーソドックスな料理に加え、春巻きや麻婆豆腐、あんかけ卵にスープまで、まさかここまでのクオリティを拝めると思っていなかった俺はただただ感嘆の声を上げるばかりだ。
それに味も控えめに言って旨過ぎた。
「旨いっ」
バカの一つ覚えみたく旨い旨いとがっついていると、そんな俺を頬杖を付きながら優しげな眼で見つめている野上と目が合う。
「どうかしたか?」
「美味しそうに食べてくれるなーと思って。あとね、口元にご飯粒がついてるよ」
野上はちょいちょいと自分の口元を指し示すことで俺に伝えてくれる。
「このへん?」
「違うよ、反対側」
「あぁ、こっちってことか」
「んー、もうちょっとだけ左かな。そうじゃなくてこっち」
と、遂に見かねたのか野上はすっと腕を伸ばすと指先で俺の口元へちょんと触れた。
そして、
「取れたよ」
そう言って人差し指の飯粒を見せながらにこっと微笑むと、何を思ったのかそのまま今度は指を俺の口に向け伸ばしてくる。
「は? な、なにしてんだよお前っ」
もちろん食えば野上の指に俺の唇が触れるに決まってる。
そう思い反射的に
「どうして? これくらいいいと思うけど」
きっぱりと言い切られ、そこで気付く。
なるほど、今のこれくらいはつまり
たしかにあれに比べりゃこれくらいと言える。
言えるが……。
一瞬だけ誘惑に負けそうになるも、俺は野上の指からさっと米粒をかっさらうと自分の口にあむと放り込んだ。
そんな俺を見て野上はクスっと可笑しそうに微笑み、今度は大きな目を真っすぐに俺へと向けてくる。
そして、
「本当にありがとう……」
そう、たった一言だけ俺に告げた野上は「……じゃあそろそろお
「もう帰んのか。ちょっと待てよ、駅まで送るから」
俺が追いかけるように立ち上がるも首をちいさく横に振る野上。
「大丈夫、まだ時間も早いから。それよりバイト、疲れたでしょ? 昨日はわたしがゆっくり休ませてもらったから、今日は生田君にゆっくり休んで欲しいの」
「でもよ……」
「大丈夫。ちゃんと家に着いたら連絡するから。ね」
まあたしかにまだ時間は早いし、そこまで言われれば引き下がるしかないだろう。そう思い、俺は渋々ではあるが首を縦に振る。
「……分かった。でも絶対だからな」
「うん。約束する」
そう言うと野上は玄関に向け歩き始めた。
その後玄関先で見送る際、一度背を向けた野上だったが何かを思い出したらしく、鞄に手をつっこむとあるものを取り出して見せてくる。
それは俺が今朝置いていった家のスペアキーだった。
「ごめん。鍵、忘れるところだったね」
そう言って腕を伸ばし鍵を渡そうとしてくる野上を俺は手で制する。
「要らねぇかもだけど、持っとけよ。前みたく電話が繋がらない時でも勝手に入ってきていいから」
「生田君……」
「でも、言っとくけどタダじゃねぇから。来るならまた旨い飯を作ってくれよ。それなら俺にも損はねぇし、いいだろ?」
わざとらしいかもしんねぇけど、これくらい言わなきゃこいつが納得しないことはもう分かってる。
対する野上も一瞬呆れたような表情を見せたものの、最後は諦めたかのように眉尻を下げた。
「ほんっと……。分かった、じゃあ……うん、今度は洋食にしてみようかな」
「ああ。って、無理して来なくてもいいんだからな。あくまで来たらの話だから」
「分かってるよ。じゃあ、もし来たら、ね」
そう言って優し気に微笑んだ野上は胸元に鍵を握り締めると、今度こそ背を向け歩き始める。
少なくとも今日はもうフラフラとどこかへ立ち寄ることはないだろう。
ほんの少しかもしんねぇけど、元気づいたであろうその姿に安堵する。
そう思う反面……。
もっと野上と一緒にいたいと、
まだ帰らせたくないと後ろ髪を引かれる自分がいた。
(3章了)
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