第4章

第16話 ああ、こいつが


 休み明けの昼休み、野上の誕生日に起こった出来事のあらましを須藤と九条から聞いた俺と野上は目を合わせる。


 話を聞いた野上は少し不安げな様子で、なんとも言えない表情を浮かべていた。


「なんとかあの日は追い払ったけど、多分あの感じだとまたすぐに来ると思う」


 須藤は自分の力不足を悔いるかのように神妙な面持ちを浮かべ九条へ視線を配った。すると九条もこくりと頷く。


「そうだね、僕もそう思う。ちなみに僕は須藤さんと志賀君のやり取りを近くで見てたんだけど……彼、少し変なんだ。なんていうのかな、罪悪感が希薄、というか……」


 しっくりと来る言葉を見つけられない九条に対し、隣に座る植草は呆れたように手をひらひらさせる。


「そりゃそうだろ。だってそいつ、自分から浮気しといてまだ別れてねぇとか言ってんだろ? それ、相当ネジが飛んでるなかなかのもんだと思うぜ?」


「まあな。それはそうとして、そいつはまた野上に会いにくんだろ? だったら今はどうするかを考えねぇと」


「そうね。わたしは極力葵がひとりの時を作らないようにした方がいいと思う。葵だってあいつと一対一サシでなんて会いたくないでしょ?」


「それは……もちろん会いたくなんかないよ。でも志賀君がまだわたしと別れてないって思ってるなら、そこははっきりさせておかないと駄目なのかな、とは思う……」


「ちょ、葵あんたバカなの!? 要らないわよそんなのっ!」


「お、おい須藤っ、声がでけぇって。落ち着けよ」


 机に両手を着き前のめりに立ち上がった須藤に対し、すぐさま植草が座れと身振りで指示する。対する須藤はぐるりと教室を一周見回し所在無さげに俯いたものの、どうしても収まらないのだろう、不満げに口を尖らせた。


「そもそも電話とかチャットで謝ろうなんて魂胆がムカつくのよ。本気で悪いと思ってるなら普通はまず会いにきて謝るのが筋ってもんでしょ? そんなとこまでタイパ重視なんて……絶対舐めてるとしか思えない」


「須藤、一旦その辺にしとけよ。どっちにしたってわざわざ振るために野上が出向くのも変な話だし、とはいえこいつが一人の時になんかあったら嫌だしな。当面登校時は須藤、下校時は俺が駅まで送るってことでいいか? 休憩時間は皆いるし大丈夫だろ」


「そうね。ただ生田、一応忠告しとくけどあんた自身も注意したほうがいいと思う。仲良く葵と歩いてるとこをバッチリ見られてるわけだし、逆恨みされないとも限らないから」


「注意するって、具体的になにをだよ?」


「そんなの、分かんないわよ……。でもあいつ、いっつも影でこそこそしてて、それにすごくしつこいのよ。なんにせよ気をつけるに越したことはないってことでお願い」







 

「なんだかだね……、逃げてるみたいで」


 放課後、正門を出た辺りで野上はそうぽつりと零すと苦笑いを見せる。


「まあな。でも実際んとこあんま気にする必要はねぇだろ。もし来たら来たで対応すりゃいいし、来なけりゃ放っときゃいいだけだしよ」


「そう、だよね。でも、わたしのことなのに皆を巻き込んで……迷惑かけて、ごめん」


「バカ、気にすんなよ。誰も迷惑なんて思ってねぇし」


「うん、ありがとう……」


 と、そこでちらと視線を寄越し野上が何か言いたそうにしていることに気付く。


「ちなみに、生田君は気にならないの?」


「気になるって? なにがだよ」


「だから、その、わたしが志賀くんと付き合ってたこと……」


「あぁ、まあ……」


 気にならないと言えば嘘になるが、わざわざ傷をえぐるような真似はしたくないというのが正直なところだった。


 一度は付き合ったんだ。そもそも野上だって浮気されるまでそんな奴だとは思ってなかったろうし、それに傷付いたのはこいつ以外の誰でもないわけで……。


 そう思うものの、どうやら野上のほうは俺に話を聞いて欲しいらしい。

 「そんなに長い話じゃないから聞いてくれるかな」そう前置きをすると野上は話し始めてしまった。


「一年の時、わたしと志賀くんが同じクラスだったことは知ってるよね」


「ああ。それはこの前聞いた」


「うん……。で、志賀くんに初めて告白されたのは一学期の途中。その時はほとんど話したことがないからって断ったの。でも志賀君はじゃあ友達になって欲しいって、僕のことをもっと知って欲しいって言ってくれて……。同じクラスだし気まずくなるのもどうかなと思ったからOKしたんだ」


 遠い目で淡々と話す野上の表情は後悔とも自戒とも取れる複雑なものに映る。


「その後も二人きりになったタイミングで何度かアプローチされて、その度にやんわりと断ってたんだけど……。三学期の終わり頃、両親おやの離婚話が具体的に進み始めた頃に、自分でもよく分からないくらい落ち込んでた時期があって……。そんな時、志賀くんが」


 また告白をしてきたってわけか。


「すごく優しかったし、わたしのことをこんなにもずっと好きでい続けてくれるこの人ならいいかなって……。そう思ったんだけどね」


 なのに……。浮気された現場を目撃したその場で無視されるなんて。

 結構心に来るもんがあったことだろう。


 ただ、いま俺に過去を打ち明けてくれた野上からはそこまで重苦しい感じはしなかった。

 つまり、もうある程度整理がついてるからこそ話してくれたのだろうと。そう思った。


「ちなみに、もし今ここで志賀が現れたらどうするんだ。なにか言ってやりたいこととか無いのかよ」


「んー、どうだろ。どうして浮気したの?って直接聞いてみたい気もするけど……。でも浮気された時ね、志賀君、相手の女の子とすごく仲が良さそうだったの。それこそわたしといる時よりもずっと、距離も近かったし、手だって繋いでて」


 野上は眉根を寄せ苦い顔でちいさくから笑いをした。

 もしかしたら自分が本命じゃなかったのかもと、暗にそう言いたいのかもしれない。


 と、そこで


「じゃあ暗い話はもう終わりっ」


 そう言うと野上は俺の前に軽やかに回りこんだ。


「それより今度のお休みなんだけど。また生田君のおうちに行ってもいい?」


「うちに? なんでだよ」


「なんでって……普通そういうこと聞くかなぁ。別に変な意味じゃないよ、ただSNSで美味しそうな料理を見つけたの。だから一度試してみたいなぁと思って。せっかくだったら誰かと一緒に分かち合いたいじゃない」


「ああ……そういうことかよ。俺はてっきり」


「大丈夫、そっちのほうはおかげでさまでもうバッチリ切り替えられたから」


 そう言うと野上は安心しろとばかりにみを付け加えてくる。


「そっか。……ただ当分休みはバイト入れちまってるからな。また夕方になるけどそれでもいいか?」


「もちろん。たしか生田君、午後は駅前のカフェでバイトだったよね。わたし、終わる時間に合わせてお店の外で待ってるから、一緒に帰ろうよ」


「いや、だったら店ん中で待っててくれよ。その方が店長も売上があがって喜ぶだろうし、それにコーヒーくらい奢るからさ。ちなみにうちの店、ケーキも旨いって評判なんだぜ。って俺は食ったことねぇんだけど」


「なにそれ。じゃあせっかくだしそうさせてもらおうかな。生田君のウェイター姿も近くで見れるし」


 その後も野上はやけに楽しそうで、もう志賀のことなどまるで気にしていない様子だった。


 それに家のことも、言葉通り本当に切り替えられたのかもしれない。




    *




 それは来週に体育祭を控え、学年ごとの合同予行演習中のことだった。


「君、生田君だよね」


 背後から突然声を掛けられ俺が振り向くと、そこには一人の男子生徒が立っていた。


 柔らかな口調で俺の名を呼ぶその声にまるで聞き覚えはなかったが、だけどあらゆる特徴がそいつが誰であるかを示しており。


 俺に向け、まるで警戒感を表すことなく柔らかに微笑みかけてくるそいつを見て、


 ああ、こいつが志賀なのだと俺は理解した。




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