第12話 そこにいろよ
ぜーはーと肩で息を切らし膝を折り曲げる僕に対し、須藤さんは「ふぅっ」と一息吐き出すだけで呼吸を整えてしまったらしい。
少し腰を折り
そして。
生田君たちの姿が完全に見えなくなったの見計らい、須藤さんは遂に声を掛けた。
「なにしてんのよ、こんなとこで」
声を掛けられた側の
その際、ほんの一瞬だけその爽やかで整った顔が崩れ微かに舌打ちをしたように映るも、直後また元の涼し気な表情に戻っていた。
「
「奇遇? 冗談でしょ。葵をつけるような真似していったいどういうつもりよ」
まるで場にそぐわない志賀君の白々しい台詞に須藤さんは呆れ顔で鼻を鳴らし応じた。
「人聞きの悪いこと言うなよ。僕は偶然葵を見かけたからただ」
「声を掛けようとでも思ったってわけ? っていうか、まさかわたしが葵から聞いてないとでも思ってんの? あんたにそんな権利あるわけないじゃない」
「なるほど、全部知ってるってわけだ。でも権利くらいはあるだろう? だって僕と葵はまだちゃんと別れてないんだから」
須藤さんに聞いた話の通り彼が浮気した本人なのであれば、相当ネジの外れたひとだと言わざるを得ないだろう。
面白いほど噛み合わないその会話に須藤さんの奥歯からギリっと擦れるような音が聞こえた気がした。
「あんた頭おかしいの? 浮気して、しかも見られたその場で葵のことを無視しといてっ。別れるもなにもないじゃない、ふざけないでよっ!」
余程怒りが収まらなかったのだろう、最後は怒声に近い声だった。
と、野上さんたちにまで届きかねない声に自戒の念を抱いたのか、声を押し殺しながら須藤さんは続ける。
「一ヶ月以上も音沙汰無しで、しかもわざわざ誕生日なんかに現れて。いったいあんたなにがしたいのよ」
「なにがしたいって。僕だってあれからずっと葵に謝りたくて何度も連絡を取ろうとしてるんだ。なのにそれを無視してるのは葵だし、それに期間を空けたのだって冷静になるための時間が必要だと思ったからで」
「ほんとあんたってどこまで自分が可愛いのよ? あのとき葵がどれだけ傷ついたか……全然分かってないじゃない。お願いだからもうあの子に近づかないで。それが無理でも今日だけは帰ってよ」
もはや話が通じないと観念したのだろう、最後は懇願に近い悲痛の叫びだった。
それに対し、志賀君はひとつ嘆息を挟むとまるで悪びれる様子も無く肩を
「分かったよ、そこまで言うなら今日は出直す。その代わり須藤から葵に言っといてくれよ、話を聞いてやれって」
そう言うとまた
「あの感じだとまたすぐに来そうだね……」
「でしょうね。でもこれだけ言ってやったんだからすこしくらい時間が稼げると思いたいとこだけど……。とりあえず明日から連休に入るし、その間に葵や生田に伝えなくちゃ」
どうやら余程疲れたらしく、須藤さんは特大の溜息を吐き出すと力無く肩を落とした。
*
真っすぐに俺を見つめる野上の瞳はまるで不安を表すかのように微小に揺れていて。
だけど余程言いにくいことなのだろう、必死に伝えようとするもなかなか声に出せないようだった。
そんな折、どこからかなにやら聞き覚えのある声が聞こえてきて……。
俺たちは同時に声の方へと視線を移すも、その後またなにごとも無かったかのように元の静けさが戻った。
「いまの須藤、だよな……?」
「たぶん……そう、だと思う……」
なぜこんなところで? まるで理解出来ず二人して目をぱちくりとさせていると、今度は野上のほうからブブブとバイブ音が聞こえてくる。
メールだろうか? そう思ったものの断続的なバイブ音が鳴り続け電話なのだと分かる。
「……多分お父さんからだと思う」
さっきの今で出ていいものかと
「出なくていいのか」
「……うん。ごめんね、出てもいいかな」
「ああ。早く出てやれよ」
どうやら想像通り親父さんからだったようで、野上はこくりと頷くと俺から少し距離を取り携帯を耳に
「うん。分かった。大丈夫……」
詳しい話までは聞こえないものの、何らかの約束をしているらしいことだけは分かる。
そして電話を切る野上。
「今日お父さんとご飯を食べに行く約束しててね。早く仕事を終われそうなんだって」
「そっか……。じゃあ、そろそろ行くか」
「うん……。付き合ってもらったのに
「分かってる。また今度ゆっくり聞かせてくれよ」
そう言って俺が頷くと野上もこくりと頷き返した。
その日の晩、バイトから帰宅し食後にシャワーを浴びたあと応接間に戻ると、珍しくテーブルに置きっぱのスマホがチカチカと点滅していることに気付く。
今は夜の九時過ぎだ。
一時間以上放置してはいたし莉緒からだったとしてもおかしくはないが。
そう思い、おもむろにスマホを手に取ると手早くパスロックを解除する。
すると着信が一件、……野上からだった。
連絡があったのは二十分ほど前だ。
そもそもあいつから電話してくること自体珍しいのに、ましてやこんな時間だ。
なにかあったと思わない方が無理というものだが……。もしかして今日の続きだろうか。
そう思い俺は濡れた髪をタオルでわしゃわしゃと乾かしながら、電話をかけ直すことにする。
だけど一向に繋がる気配は無くて、留守電になっては切るを繰り返し四回目の十コールくらいでやっと繋がった。
『……ごめんね、こんな遅くに』
すこし弱弱しい声。それに風の音……? おそらく外にいるのだろう。
「いいよ別に。どうした?」
『なんでもないの。ちょっと声が聞きたいなぁと思っただけで。それにもう大丈夫だから。折り返してくれてありがとう、切るね』
「ちょっ、待てって。お前いま外にいんだろ? 親父さんと一緒じゃねぇのか?」
野上のいつもの場を取り繕うようなはにかんだ笑顔が咄嗟に浮かんだ俺はなんとか電話を切らせまいとするも、一向に返事が返って来ず。
そこで仕方あるまいと強硬手段に出ることにする。
「どこにいるんだよ? 言わなきゃもう口きかねぇからな」
『うっ……、それはちょっと……
どうやら奏功したようではあるが、それでもなかなか口を割ろうとしない野上。
だけどなぜかもう大丈夫だという確信があった。そもそも一度はあっちから掛けてきたんだ。食らいつけばなんとかなるはずというもの。
音から想像する限り移動していないことは分かる。
それにこんな遅くでも周囲を歩く結構な数の人の気配と……それに加えわざわざ俺に電話を掛けてきたのであれば……。
「もしかして公園にいるのか?
『えっ……』
完全に山カンではあったが為せば成るものだ、その反応で正解を引いたのだと理解する。
「すぐ行くからそこにいろよっ。あと電話はこのまま切るな」
もう九時を回っているのだ。
流石に女の子が1人で出歩く時間としては遅過ぎるだろう。
まだ補導されるような時間ではないにせよ、特に夜の公園は変な奴もいるし、絡まれでもしたら厄介だ。
そんな焦燥感に駆られながら手早くスウェットの上下に身を包むと、俺は家を飛び出した。
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