第11話 言いたいことは
こういうのは時間を掛けるほど恥ずかしさが増すものだ。
そう思い、俺は手早く
そのときまるで絹みたいに柔らかな野上の髪に心臓が跳ね仄かに香る甘い匂いに一瞬脳を焼かれそうになるも、なんとか(たぶん)表情に出すことなく我慢出来た自分を褒めてやりたいと思う。
「ちょっと緩い気もするけど、まあこんなもんだろ」
そう言って一歩下がると、野上が窺うような視線を投げかけてくる。
「どう、かな?」
「ああ。すげぇ似合ってると思う」
「良かったぁ。ありがとう……大切にするね」
野上ははにかみながら愛おしそうにヘアゴムを撫でると、今度は申し訳無さげに眉尻を下げた。
「あと……、ごめんね」
「なんだよ急に」
「だって彼女でもない子から急にこんなお願いされたら……誰だって引くと思うもの。だから……」
「別に引いてねぇし。っていうか謝るくらいならすんなよ。言っとくけどめっちゃ恥ずかしかったんだからな」
そう言って茶化したものの。
普通ならこんなお願いはしないと、そう分かってるにも関わらずこんなお願いをしてきたのであれば、相応の理由があると考えるのも当然で。
なにかあったのか? とか、困ったことがあるなら言えよ。とか。
そんな言葉が口をついて出かけたが寸でのところで止める。なにもわざわざ
その後、野上は口を噤んだままで……。
すこしのあいだ沈黙が訪れる。
なんとなく分かる。
今から彼女は何か大切なことを言うのだろう、と。
だけどそれはきっと口に出しにくいことで……。
だから俺はただ黙って待つことにした。
言いたくなければ言わなくていいし、言いたいのならいつまででも待とうと思った。
そんななか春らしい柔らかな風が吹き、彼女の長い髪やスカートを揺らした時、野上は遂に重い口を開いた。
「ねぇ、生田君……」
そう言って俺を見つめるその瞳はいつになく真剣で。
「生田君、実はね……」
その混じりけのない琥珀色の瞳は真っすぐに俺を見つめていた。
* (九条
「ばいばい九条君」
僕の席の前を通り過ぎる野上さんはいつも通りの柔らかな笑顔で僕に向け手をちいさく振ると、廊下で待っていた生田君へと駆け寄ってゆく。
ほんと最近あのふたり、仲良いよね。
恋人とも友達とも取れるような距離感で肩を並べ歩いてゆく
そんな彼らの背中を微笑ましく眺めながら、僕は昼の一件をすこし整理してみることにする。
昼の一件とはもちろん例の男子生徒のことだ。
窓際に座っている僕は滅多に席を立つことがなく大抵は窓の外、つまり廊下を眺めている。だからこそ彼が今日に限って現れたことはほぼ確実と言える。
「(でも、今日だけ特別なことって、一体なんだろう……)」
一瞬
違う。彼は綾瀬さんが来るよりも前からそこにいたのだ。
であればなんだ? 他になにが……。
そんなことを考えながら片肘をついて考え込んでいると、背後から「九条君はまだ帰らないの?」と声を掛けられる。
声の主は
にこやかに微笑む彼女は大きなショルダーバッグを肩に掛けており、今から部活動を勤しむのだろう。
初めて彼女に声を掛けられた時は不信感や少しの敵対心を抱いたものだけど、今となってはもう過去の話だ。
そうだ。
せっかくだし須藤さんにも聞いてみようか。なにか僕の知らないことが分かるかもしれないし……。そう思い声を掛けてみることにする。
「須藤さん、ちょっといいかな」
「えっ?」
「あ。えと……、どうかした?」
「ん、ど、どうもしてないわよ? ただ、九条君がわたしに用なんて初めてだなぁと思って、ちょっと驚いちゃった。どうしたの? もしかして……このあと遊びに行こう、とか?」
「えっ!? あ、それはちょっと……違くて。須藤さんにすこし聞きたい事があるんだけど……」
そう告げるとあからさまに落胆の表情を見せる須藤さん。
なんだか悪いことしちゃったかな……。
その後
「ちなみにその男子って、もしかして少し明るめのミディアムヘアじゃなかった? 体格は中肉中背で……あと、言いたくないけどちょっと爽やかな感じ」
「そうっ。そうだよっ。どうして分かったの?」
「やっぱり……。まさかとは思ったけど、綾瀬さんが関係無くてそのうえ今日に限ってってところが妙に引っかかったのよね」
そう言うと、須藤さんは「はぁ」とひとつ嘆息を挟み続ける。
「実はね。今日、
「志賀……くん?」
「うん。九条君は知らないと思うけど、葵、1年の学期末から春休みの半ばまで付き合ってたのよ、その志賀って奴と。だけど春休みに浮気されちゃったの……」
「そうだったんだ……。ってことは志賀君はもしかして野上さんと」
「そうね、もしかしたら
「うん……。でもそうなると……」
と、そこでおそらく二人とも同じ結論に辿り着いたのだろう。
僕らは目を合わせ同時に声を上げる。
「放課後も葵に(野上さんに)会いに来るはずっ」
言うやこうしちゃいられないと須藤さんはショルダーバッグを自席に放り投げると勢いよく廊下へ駆けだし、僕もその後を追いかけた。
少々時間が経ち過ぎたのだろう、昇降口や正門で生田君たちの姿を見つけることは出来なかった。
「急ごう、九条君」
「う、うんっ」
僕らは正門を出て大通りを駆け出す。
バレー部の須藤さんは足の速さこそ僕とあまり変わらないものの、帰宅部の僕は体力面で彼女に大きく水をあけられており、ついて行くのがやっとだ。
「須藤さん、はぁ、部活はいいの? それに、はぁ、彼を見つけてっ、どうするつもりなのさっ」
「部活なんてっ、どうでもいいわよ。ふぅっ、そんなことより絶対志賀を葵に会わせるわけにはっ、いかないのっ」
「それ、どういふっ、ことっ?」
「実はねっ、このまえ生田に無理言ってっ、葵の誕生日プレゼント買ってもらったのっ。ぜったい
ほんとにこの人は……。
どこまで友達思いで律儀なひとなのだろうか。
それなのに僕は。
「ごめんねっ、須藤さん、この前はごめんっ」
「ごめんって、なにがっ?」
「初めてっ、話しかけてくれた時っ、僕、須藤さんに
と、そのとき須藤さんが「あっ」とちいさく声を上げピタリと足を止めた。
「(九条君いたわっ、あそこっ)」
彼女に言われるがまま僕もすぐに視線の先を追いかける。
するとそこには——、
まるで生田君たちの後を追うかのように一定の距離を保ち木陰に身を潜める
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