第9話 らしくないから


 

「じゃあな。気をつけて帰れよ」


「うん、今日はありがとう。また学校でね」


 バイバイとちいさく手を振りながら最寄り駅のホームへと降り立った野上は、扉が閉まったあとも立ち去ろうとしなくて、ガラス窓越しに俺と目が合うとまたちいさく手を振ってくる。


 ゴトと鈍い低音と共に動き始める車中、片手で吊り革を握っていた俺はもう反対の手に持つ可愛らしく個包装された小振りなビニル袋を野上に見えるようひょいと掲げそれに応えた。



 野上は帰ってから何をするんだろう。


 夕暮れ時のホームで、すこしずつ小さくなってゆく彼女を眺めながらふとそんな事を思った。



   *



 その日の晩、俺は綾瀬あやせ家を訪れるべく上下スウェットに身を包み、まだ少しだけ肌寒い四月の街を歩き始めていた。


莉緒りおさんにくれぐれもよろしく」


 野上からそう託されたのも理由のひとつではあるものの、なにより俺自身莉緒のことがすこし気になったというのが正直なところだった。


 莉緒の家は俺の住む祖母の家から歩いて7、8分程で、大きな緑地公園を抜けた先にある。


 まだ夜が浅いこともあり、公園では見頃を過ぎてしまった桜を名残惜しむかのように手をつないだり肩を寄せ合ったりするカップルたちで賑わっていた。

 その間を両手をポケットに突っこんだまま居心地悪くすり抜けてゆく。


 公園を抜けるとすぐに綾瀬家が見えてきた。

 築十年ほどのまだ新興と呼んで良さそうな住宅が建ち並ぶうちの一軒。どうやら2階にある莉緒の部屋は電気が灯っているようだ。


 インターフォンを押すとモニターで俺だと分かったのだろう、ほどなくしてドアが開きいつも通り叔母さんが出迎えてくれた。


「いらっしゃい一真かずま君っ。さ、あがってあがって」


 叔母さんは嬉しそうに口角を上げるとさぁさぁと家に招き入れてくれる。その口元には年相応の皺が寄るものの、相当の美人であることに違いはない。


「莉緒、いる?」


 玄関先で靴の踵に手を掛けながら叔母さんに尋ねてみる。すると叔母さんは首をすくめながら二階へと視線を放り投げた。


「帰るなりさっさと自分だけご飯を食べていまは部屋に籠もってるわ。……でも一真君からあの子に会いに来てくれるなんて……珍しいわね?」


「まあ……あいついつも来てくれてるし。たまにはこっちから出向いてやろうかと思って」


 と、階段に足を掛けたところで叔母さんの視線を感じ振り返る。


「一真君、あなた少し痩せたんじゃない? ちゃんとご飯は食べてるの?」


「どうしても惣菜が多くなるけど一応ちゃんと栄養は考えてるつもり。大丈夫だよ」


「……ならいいけど……。毎日うちにご飯食べに来てくれてもいいんだから。遠慮しないでいつでも頼ってきなさいよ?」


 相変わらず叔母さんは生活の色々なことを心配してくれる。

 それに対しては感謝しかなかった。


「あとで下にも顔出しなさい。お父さんも顔見たがってたから」


 背中越しに掛けられた声に手を上げて応えると、俺は莉緒のいる二階へと向かった。

 



 たしか二階に上がってすぐ左が莉緒の部屋だったよな。

 で、右の廊下越しにみおの部屋があったはずだが、久しぶり過ぎて記憶がやや曖昧だ。思い出せないくらいだから、たぶん中学ん時以来だろうか……。


 さて。俺は莉緒の部屋の前に立つと口元に手を添えて考える。


 昔なら有無も言わせずに乗り込んだものだが、さすがにそれはマズイだろう。 


「おい莉緒」


 呼びかけと共に一応ノックも付け加えておくことにする。


 すると少しの沈黙を挟んだのち、ドアがカチャと静かに開いた。

 ドア端に片手を掛けながら少しだけ顔を覗かせた莉緒は、どうやらパーカーに黒のスウェットパンツというラフな格好のようだ。


「よう」


 手をあげると、莉緒もちろっと視線を寄越しながら「よっ」と軽く返してくる。

 

「急に悪いな。入っていいか?」


 感じからして少し待たされるのかと思ったが、莉緒はすんなり「どうぞ」と招き入れてくれた。


 そして足を踏み入れると……。


 久しぶりに入る莉緒の部屋は中学の時とはすっかり様変わりしていた。


 一言で感想を述べるなら、なんだこの空間は……。という感じか。

 なんかやけにいい匂いがするし、配色も女っぽくなってる気がするし。


 俺は所在無くきょろきょろと一通り部屋を見回したあと、とりあえずカーペットに腰を下ろすことにした。

 すると莉緒がクッションをポンと放り投げてくれたので、それに座り直す。


「で、どうだったのよ?」


 莉緒は宿題か何かをしているところだったのだろう、デスクチェアに腰掛けると足を浮かせたままくるりと椅子を回転させ俺の方へと向き直す。


「ああ。あのあと野上と一緒に買いに行ってきた」


「そう……。その感じだと無事に買えたみたいね。なに買ってあげたの?」


「輪ゴムだよ、髪の毛を纏めるゴム」


「バカ、そういうのはヘアゴムって呼ぶのよ」


 言うや、はぁとわざとらしく溜息を吐いてくる莉緒。


「別にどっちも意味は同じだろ。でもなんかすごいのな、ただ髪を結ぶだけなのにおっきな玉が付いてたりリボンがついてたり色々あるんだよ。……って、そんなことよりお前だよお前。なんであの時行っちまったんだよ?」


「仕方ないでしょ。ああいいうのはそれこそタイミングを逃すと立ち去りずらくなるもんなのよ。結果二人で買いに行けたんだから、わたしの決断力を称えなさいよ」


「いや、だけどよ。野上だってびっくりしてたし」


「それは……悪かったと思ってるわよ。野上さんにはまた改めて挨拶に行くから。それで許してよ」


 そう言うと、莉緒は足元に転がっていた肩幅くらいの円形クッションを両手で抱え上げ、そこにぎゅうっと顔をうずめた。


「……あんなに可愛いなんて聞いてないわよ」


 一瞬そう聞こえたような気がしたが、しっかりと聞き取れなかった俺は「いまなんか言ったか?」と聞き直すも、


「うっさい。なんも言ってないわよバカっ」


 なぜか莉緒が大振りでクッションを投げつけてきて、俺の顔面にボスっとヒットする。


「いってぇなぁ、なに急に怒ってんだよっ」


 言うや身構える俺。

 いつもの莉緒ならここでヒートアップするところなのだが……、なぜか莉緒は黙り込んだままだった。



 その後、室内に訪れるすこしの沈黙。



 そして遂に口を開いた莉緒がちろっと俺に視線を寄越してくる。


「ねぇ一真かずま。桜、見に行かない?」


「なんだよ、黙り込んだかと思ったら急に。……別にいいけど、でもそこの公園カップルだらけだったぜ?」


「知ってるわよ。っていうか、そんなの今日に限った話じゃないし」


 そう言うと、莉緒は椅子から「よっ」と腰を上げた。





 公園に到着した俺たちは比較的カップルの少ない場所まで移動すると、パラパラとまばらに舞い落ちる桜をふたりで見上げる。


 そんななか、


「来年も一緒に見れるかな」


 両手を広げ大きく伸びをした莉緒が夜空を見上げながらぽつりと呟いた。


 急に何を言いだすかと思えば……。


「そりゃあ見れんだろ、近くに住んでんだし」


「だよね……。それにわたしたち従兄妹いとこだし、ね」


 そうぽつりとこぼすと、莉緒は視線を合わせないまま続ける。


「野上さん……」


「あ?」


「だから野上さん。言っとくけどあんな可愛くて性格まで良さそうな子なんてそういないんだから。しっかり掴まえときなさいって言ったのよ」


「なんだよそれ。だから俺はともかく……野上にそんな気はねぇって言っただろ……。っつうかなに目線だよ。俺より歳下の癖に偉そうに」


 ぼそぼそと言ってくる莉緒に対し、俺もぼそぼそと言い返してやることにする。

 すると、


「はぁ? 歳下ってたったの一ヶ月差じゃないのよっ。それにそもそも精神年齢ではわたしのがお姉ちゃんだし。せ・い・し・ん・ね・ん・れ・い・で・は~」


 語尾と共に口をあ~っと大きく開きあおってくるその嫌味ったらしい顔よ。

 マジで可愛げもなにもあったもんじゃねぇ。


 などと内心独り言ちていると、なぜか莉緒が大きく息を吸い込んで駆け出すような体勢に入り?


「と、いうわけで先にうちに着いたほうがジュース驕りねっ」

 

 と、言い終える前に既に走り始めている莉緒。


「あ、ずりぃよ!」


 完全に油断していた俺は既に十メートル以上先を走る莉緒の背を眺めながら、半ば諦め気味にとろとろと走り始める。


 なんかよく分かんねぇけど。



 やっぱ憎たらしいくらいのほうが莉緒らしくて俺は好きだけどな。




(2章了)




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