第8話 なにがそんなに


 あれは春休みが終わりに差し掛かろうしていた日のことだ。


 その日お父さんと外食の約束をしていたわたしは、少し早く着いてしまったこともありぶらぶらと街を歩いていた。


 そんななか、偶然にも志賀しが君の姿を見かけることになる。


 彼はスマートフォンを片手にチラチラと周囲を気にしていて、明らかにを待っているように見えた。


『今日は家の用事があるから』


 今朝交わしたチャットではそう言っていたはずだ。


 一瞬不信感に駆られそうになるも、たしかにわたしだってどこで父と会うかまでは伝えていなかったし、そういう意味ではこの街ここで家の用事があったとしてもおかしくはないのかも。そう思い直すことにする。


 いったい誰と待ち合わせしてるんだろう。家の用事だしやっぱり家族、とか?


 良い方へ考えようとするものの、こういうとき物事は大抵悪い方へと進むものだ。

 結果、思った通りというべきか、彼のもとへとやって来たのはわたしたちと同い歳くらいの女の子だった。

 そしてあろうことか彼女は志賀君にぴたっと寄り添うと自然な動作で彼と手をつなぎ始めてしまう。

 

 わたしは彼の感触をまだ知らぬ指先をぎゅっと握りこむと、こちらに気付くことなくあゆみを進めてくる彼らを待ち構えることにした。


 一言くらい言ってやらなくちゃ、そんな意気込みを携えて。


 そして徐々にわたしとの距離が詰まり、声のトーンを一段上げれば聞こえるくらいの距離になってやっと志賀君と目が合った。……はずだった。


志賀しが君っ」


 記憶喪失でもない限り、たしかにわたしはしっかりと目を見て彼に声を掛けたはずだ。


 なのに……彼はまるで聞こえていないかのような素振りでわたしの脇を通り過ぎてしまった。


 あんなに好きだって言ってくれたのに。

 あんなに何回も何回も告白してきたくせに。


 そのときの自分は悔しかったのだろうか、それとも腹立たしかったのだろうか。正直なところ今でもよく分からない。 

 

 ただ、手をつなぐことすらなかったたった二週間のわたしたちの関係が終わりを告げたことだけは確かで。


 ほんの少しだけ色を付け始めていた日常が、元の灰色に戻った瞬間だったのだと思う——



    *



「おいっ、待てよ莉緒りおっ、待てってば! ったく……、嘘だろ」


 既に人混みに紛れほぼ見えなくなってしまった莉緒の背を俺と野上おれたちはただただポカンと口を開けながら眺めていた。


「悪いな野上。ほんとはちゃんと紹介したかったんだけど……」


「だ、大丈夫だよ。一応自己紹介はしてもらったと思うし……たぶん」


 フォローを入れてくれてはいるものの、野上の表情は苦笑い以外の何ものでもなかった。


 あのバカ。

 なにが『初めまして従妹いとこの莉緒でーす。あなたが野上さんだよね? これからよろしくねっ! じゃっ』だよ。風と共に去り過ぎだっつうの。 


 たぶん自分ではコミュ力をカンストしてるつもりなんだろうが、もはや一周回ってただのコミュ障だろ。


「……悪いことしちゃったよね」


 そう言うと、申し訳なさそうにチラと視線を寄越してくる野上。それに対し俺はひらひらと手を振って応えた。


「いいんだよ。あいつマジでよく分かんねぇ奴だから。それに……。まあ歩きながら話そうぜ。ここで突っ立ってると邪魔だしよ」


 どっちに何があるのかまるで分からぬまま歩き始めた俺に野上も半歩遅れでついて来てくれる。


 そうだよな、普通は言わねぇよ。

 それくらいさすがの俺にだって分かってる。

 

 だけどさっき野上が見せたにへら顔あの顔がどうしても頭から離れねぇんだよな……。そう思い腹を括ることに決める。


「野上、あのさ……」


「な、なにっ。そんな風に改まられるとちょっとだけ……恐いかも」


「……悪い。つってもほんと大したことじゃねぇから」


 そう前置きをすると俺は続ける。


「実は俺らさ、お前の誕生日プレゼントを探しに来たんだ」


 正直にそう白状すると、野上は元々大きな目をことさら大きく見開きながら自分を指差し、ぱちぱちと数回瞬きをした。


「わたし、の……?」


「ああ、お前の。来週誕生日なんだろ」


「そうだけど……。どうして生田君が知ってるの? わたし言ってなかったと思うけど」


「まあ、それは別にいいだろ。こっちだってほんとは当日に渡して驚かそうと思ってたんだ。けど……ほら、莉緒もどっか行っちまったしさ、俺だけだとどこでなに選べばいいか分かんねぇっつうか。だから野上が付き合ってくれるとすげぇ助かるんだけど」


 恥を忍んでそう告げると、なぜか今度は「ぷふっ」と吹き出されてしまう。


「なんで笑うんだよ。こっちは真剣に頼んでんのによぉ」


「ごめんごめん、だって、生田君ってばいちいち想像の逆をいくんだものっ……それがおかしくって、ふふ、笑っちゃうよ……」


「だからどこがそんなに面白いんだよ? お前だって子供ん時親と一緒に買い物に行ったことくらいあんだろ?」


 そう反論するも、野上にとっては余程おかしなことだったのだろう。

 ひとしきり笑い終えたあと目に浮かぶ涙を指でさっと拭きとると、今度は「こほん」と口に手を添えながら俺の方へ視線を寄越してくる。


「じゃあ、わたしが欲しいものを一緒に買いに行ってくれるってことでいいんだよね」


「ああ。ただ予め言っとくけどあんま高いのはナシだかんな。俺はお前の親じゃねぇし」


「分かってるよ。実はね、あとで行こうと思ってた可愛いお店が近くにあるのっ」


 そう言って嬉しそうに大きめの一歩を踏み出すと野上は少し先で早く早くと手招きをしてくる。


「なんなんだよ、さっきから」


 不安そうにしてたかと思ったら今度は笑ってみたり、ほんとよく分かんねぇ奴。


 そんなことを考えながら俺は野上のあとを追いかけた。




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