第35話 定義

「お前は大人を知らないだけだ。そもそも大人の定義ってなんなんだ?社会人になってからか?それともお前の言うように何かに縛られて自由がなくなったら大人になるのか?」

「は?急に何よ」

 早口でまくし立てると彼女は少しだけ狼狽する。

 本人はもう話は終わりと思っていたからこそ、油断でもしてたんだろうな。

 だけど彼女はすぐに臨戦態勢をとる。それこそいつものように。

「あなたには関係ないでしょ?いちいち他人のことに口出ししないでくれる?」

「いや聞かさせてくれよ。お前の言う大人ってなんだよ?お前は大人っていう言葉をただ言い訳に使ってるだけなんじゃないか?」

「はぁ?何を言って……」

「だってそうだろ?お前は大人、大人っていうけど大人の定義ってなんなんだよ?逆に子供の定義っていなんだよ?」

「そんなの……」

 容赦なく畳みかけると口をつぐんだ。

 彼女は大人、大人っていう割にはさっきから大人というのをどこか勘違いしているように思えた。

「大人ってそう簡単になれるもんなのか?学生が大人なんかになれるのか?」

「…………」

 ついに黙ってしまった。いつもは何を言われても饒舌な彼女なんだけどな。

 ということは俺の言ったことに思うところがあるということだ。

「なぁ、教えてくれよ。お前はただ大人って言葉を隠れ蓑にしてるだけなんじゃないのか?」

「…………違うっ」

 沈黙を貫いていた彼女はゆっくりと口を開き、強く否定を入れる。

「何が違うんだよ、教えてくれよ。俺には大人、大人になりたいただの子供にしか見えないぞ」

「……違うっ!」

「だから教えろよっ!何が違うんだよっ!いつものように立派な説明してみせろよっ!」

 どうしたんだよ。お前らしくない。

 いつもみたいに言い返してみろよっ。

「っ……」

「……え?」

 小さな嗚咽と共にすすり泣くような声が聞こえてきた。

 おい……。どうしてそこで泣くんだよ……。

 そこで泣いたらまるで俺が一方的にいじめているみたいじゃないかよ……。

 なぁ、どうしたんだよ。本当に……。いつもはもっと強気な態度だろ?どうしてなんだよ。

 いくら彼女に期待しても、いつものように鋭い鋭利な言葉を突き付けてくることはなかった。

 それどころか、涙を見られないように必死に顔をうつむかせている。

「なんだよ……何か言ってくれよ……」

 強い言葉を言われただけで泣いてしまうなんて、本当に……子供じゃないか……。

「私にだって、分からないのよっ……」

 絞り出すように、震える声で彼女はゆっくりと口を開いた。

 涙はまだ流れている。それでも俺の顔をじっと見つめる。

 まるで何かにすがるような表情だった。

「私は、大人は嫌いよ。大人になんてなりたくないってずっと思ってたわよ。大人になるぐらいなら死んでやるって」

 彼女の口から何度も聞いた言葉だ。

 恐らく、それだけ彼女の中で強い思いなのだろう。

「でも……分からないの。妹が死んで……悲しいはずなのに涙が出なくて……。だから私は感情がない非道な大人になったと思ったの。だから死なないといけないと思って……嫌いな大人になろうと頑張ったの……。でも……でも……」

 彼女が嗚咽を漏らしながら再び涙を流す。

 きっと自分の中でも色んな葛藤があったんだろうな。だからこそ、最後の最後にあんなにも焦ってたんだな。

 すがるように求めて来られても困るだけどな。

 俺は大層な人間じゃない。所詮はガキだし、社会のことなんてなんも知らない。

 結局のところ、俺の人生は他人の意見に合わせてきただけの人生だ。

 他人に救済を与えることなんてのは俺の仕事じゃない。

 だから。せめて、俺の考えを話そう。

 それを聞いて何を感じるかは彼女次第。

 誰かを救うだなんてのは、結局それを聞く者がどう判断するかだ。

 万人全ての心に通じる言葉なんてのは絶対にない。

 だからこそ俺一人の言葉なんて些細なものだ。いくらでも安売りしてやろう。

「――結局大人も子供も関係ないと俺は思う」

「……え?」

「お前は言っただろ?大人は窮屈で自由がないって。そんなの子供……いや、俺達学生だって感じることだってある。ひたすら勉強するのを窮屈に感じたり、なんでもかんでも親の許可がいる未成年だから自由だってない。ほら、大人も子供も何も変わらないんだよ」

「…………」

 果たしてこんな言葉で彼女が救われるとは思わないけど、それでも俺は語る。

「だから大人も子供も考えないでいいじゃないか。そんなの考えるだけで無駄だよ。結局は自分がどう人生を楽しむか、どう生きるかなんだよ。それだけで窮屈に感じなくなったり、自由に思えるようになるさ、きっと」

「……そんなのただの理想論じゃない」

「あぁ、そうだろうな。結局は夢物語だ。苦しい思いもせず、楽しいことだけが起こる人生なんてのはあり得ない」

「なら……」

 あぁ、そうだよ。そんな楽しいだけの人生なんてのは絶対にない。

 創作の世界ですら、登場人物は何かしらの苦難を味わっているんだ。

 現実なんては苦難の連続で、嫌なことばかりだ。

「でも……。ようは考えようだよ。これは嫌いだから嫌だじゃなくて、これが楽しいから好きって考えるんだよ。さっきも言っただろ?大人だの子供だの考えるだけ無駄だって。それと同じで嫌なことだって考えるだけ無駄なんだよ。どうせなら楽しいことを考えた方が幸せじゃないか」

 嫌いなものより好きなものだけを考える。きっと本当にこれが出来たら人生楽しいんだろうけど、嫌いなものを考えないことは人の性格上絶対に出来ない。

 失敗すれば必ず悩むし、失敗しなくても失敗を恐れる。

 それでも好きなことを出来るだけ大切にしていれば、人生なんとかなるんじゃないかと俺は思う。

「それに、お前は妹が死んで涙が出なくて悲しんだって言ったよな?感情がなくなったって」

「うん……」

「でも悲しいって思ってる時点で感情はあるんだよ。それもちゃんと妹が死んだことに対する悲しみだ。その悲しみがあるからこそ、お前は涙が出ないことを嫌に感じたんだよ。お前は感情のない非道な人間じゃないんだよ」

「…………うん」

「だからお前はお前なりに楽しいことやって生きていけばいいんだよ。今日だって、お前は楽しそうにしてたじゃないか。あれだけの笑顔で過ごしていれば人生楽しく生きれるはずだよ。だからこそ死ななくていいんだよ。そんなのは最終手段だ」

 俺の言葉に彼女は無言で頷く。

 これが彼女の心に響いているのかは分からない。

 でも、恐らくだけどもう彼女は自殺をしようとしないんだろうなと、そんな気がした。

 だからこそ涙を拭う彼女に俺は背を向けた。

「…………あぁ。結局、まだ助けられないな」

 穴の中にいる彼女を感じながら、辺りが静かになるまで俺はじっと立っていのだった。

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