第19話 バック駐車

「そう、ゆっくりゆっくり下がって……」

「……」

「ちゃんとサイドミラーも確認してね……。そう、そのまま……」

 その瞬間、車が何かにぶつかるような小さな揺れが伝わると、車は動きを止めた。

「で、できたの?」

「う、うん、ちゃんと止まれてる」

 後部座席からすぐに後ろを確認したので報告する。

 後ろから見た感じだと後輪はしっかり線の中に納まっていた。

「やったねっ!これでバック駐車は完璧よっ!」

「う、うんっ」

 お姉さんが声をあげて喜び、彼女も少しばかり頬を緩めて頷く。


 お姉さんによる運転が講座が始まってはや一時間経とうとしていた頃、彼女はようやくバック駐車を入れることが出来た。

 二人で頑張ったからか、彼女とお姉さんの仲が少しばかり縮まった気がした。

「うん、これでもう何も言うことはないね。詩織ちゃんは立派なドライバーだよ!」

「別に駐車しただけだし……」

 テンションが上がってとにかく褒めまくるお姉さんに彼女は少し照れていながらもしっかりと突っ込む。

 そんな二人の会話を見ながら俺は少しだけ心が安らいだように思えた。

(そうだよな。本来はこんな感じで頑張って願いを叶えるもんなんだよな)

 今までの彼女の願いが少し低かったせいであまり実感がなかったが、死ぬまでにやりたいというほどの願いならば本来こんな感じなのだと改めて思った。

 以前までがしょぼすぎたのだ。

 ……まぁ、これは本人の前では言わないけど。

「じゃあ次は涼真君もやってみる?」

「えっ?」

 二人を見守っている中、突然話題を振られて戸惑ってしまう。

「……僕も、ですか?」

「そうそうっ。せっかく涼真君もいるんだから少しぐらい運転したいでしょ?」

「ま、まぁ……」

 確かに彼女の運転を見ていたかぎり、少しも羨ましいと思ったことがないと言ったら嘘になる。

 でも……本当にいいのか?本来今日は一日彼女のために使うと決めていたんだが……。

「乗ってみなさいよ。すごいわよ」

 彼女のことを考えて悩んでいたが、まさかその当の本人が乗るように言ってきた。

 彼女に言われてしまったなら仕方ないな。

「じゃ、じゃあちょっとだけ……」

「よっし!そうこなくちゃねっ!」

 返事を聞いてお姉さんはテンションがまた一段階あがったみたいだ。

「まぁ、私よりかは下手だろうから気を付けて運転してね」

 つい先ほど綺麗にバック駐車を決めたからか、彼女は自信満々に煽ってきた。

 今の時間でどうやら彼女は天狗になったみたいだな。

 ……よし。だったら少し彼女に目にもの見せてやろう。

 まぁ、正直俺も運転したことはないけど、お姉さんの説明を一緒に聞いていたので多少の知識は備わった。

 それに操作自体は簡単そうだったので、自信がないこともない、はずだ。

「おっ、俄然やる気だね涼真君っ!」

「い、いえ別にそんなんじゃないですよ」

「ふふっ、隠さなくていいよ。じゃあ涼真君の腕を見せてもらおうかなっ」

 そうして彼女と変わって俺の運転講座が始まった。




「ありえない……」

「ふっ」

 俺の運転講座が始まってから数十分経った頃、後部座席では彼女がうらめしそうに俺を見ていた。

 端的に言うと、俺は彼女よりもすぐに運転に慣れることが出来た。

 そこは彼女が運転している時に一緒に説明を聞いていたから多少のアドバンテージはあるものの、それでも俺はすぐに操作を覚えて運転できるようになった。

 もうバッグ駐車だってお手の物だ。

「やっぱり男だね~。運転している時、ちっちゃい子供みたいに目をキラキラさせてたよっ」

「うっ……別にそんなことないですよ……」

 お姉さんにテンションの高さを指摘されて少しだけ恥ずかしくなる。

 確かに初めて車が前に進んだ時はすごくテンションがあがった。それからも少し進むたびに気分が盛り上がっていたのは嘘ではない。

 でも……お姉さんに指摘されると無償に恥ずかしくなった。子供っぽいと思われたからだろうか。

「子供…………」

「ん?」

 後部座席で彼女が小さく呟いた。

 今までの楽しい気分の声ではなくなっていたので、俺は思わず振り返る。

「…………」

「…………」

 すると彼女と目が合った。

 彼女の表情からはなんとも言えないような、焦燥や悲しみが混じったような顔をしていた。

 まるで何か焦っているかのような。

「……」

 すぐに何か声をかけようとした。

 でも何もかける言葉がなく口をつぐんだ。

「よし、じゃあそろそろ暗くなったきそうだし、運転はこれまでにしようか」

「あっ、は、はいっ」

 しかしすぐにお姉さんの言葉に現実に戻された。

 一体今の彼女の表情の意味はなんだったのだろうか。

 彼女の真意に全く気付けないまま、ただただ胸の中につっかえが残ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る