第6話 えいっ!
「えいっ!」
可愛らしい掛け声と共に彼女の腕が俺の腹めがけて一直線に振り下ろされた。
「ぐへぇっ!」
しかし可愛らしい声だからといって油断してはならない。なんたって普通に全力のグーで殴られたのだ。
たとえ女の子相手にやられたとしても、みっともなく俺は両手で腹を押さえてその場にしゃがみ込む。
「な、何するんだよ……」
涙目になりがらも、下から目線で彼女を睨む。うん、やっぱり何の迫力もなく、ただ情けないだけだった。
「う~ん……」
痛みをくれた彼女はそんな俺の視線を無視して自分の拳をまじまじと見つめる。
なんだ?もしかして暴力の快楽にでも目覚めたのか?
「思ったより痛いわね」
「それはこっちのセリフだよっ!」
まじまじと見ていたかと思えば、殴った手が痛いとか考えてたのかよ。そんなん殴られた側の方がもっと痛いんだぞ!君の痛みの何倍も!
なんて必死に涙目の視線で訴えかけるが彼女は気づきもしなかった。
「……これもやりたいことの一つなのか?」
仕方なく俺は諦める。正直まだ腹は痛むがやむを得ない、痛さを我慢するように立ち上がる。
そうでもしないと彼女は俺の存在を認識してくれなさそうに思えたから。
「そう。本気で人を殴ってみたかったの」
「本気で……」
なるほど。だから彼女はこんな人気の少ない路地裏を選んだのか。
僕だけならいいが、他の人に見られると厄介とでも考えたのだろう。
……まぁ、俺の意見や気持ちは相変わらず全くの無視なのだが。
「それでどうだった?」
今更そんなことを考えても仕方ないので、感想を聞くことにした。
少なくとも殴った感想を聞くことで、今後何かの糧になればいいなと思ったからだ。――そうでも思ってないとただの殴られ損だからな。
「う~ん……」
しかし彼女はすぐに口を開くことなく、何か深く考え込むようにうねる。
よかった。少しでも考えてくれているという点で俺は少しだけ関心した。
なんて思っているのも束の間、
「さっきのはイマイチだったからもう一回殴らせて」
「えっ?」
……いやいやいや、冗談じゃないぞ。俺は君のサンドバッグじゃないだ。
さっきは唐突に殴られて許してしまったが、俺だって殴られるは普通に嫌だ。
それになにより一番嫌なのが、次殴られてしまえば今度こそ痛みに耐えれずに泣いてしまいそうだからだ。
女の子に泣かされる。そんなことは男のプライドが許さない――実際のところはこいつに泣かされるという事実そのものが嫌なだけだが。
とにかく、そういうことだからここはなんとしても断らねばいけない。
「一回やったからいいじゃない?それにまたやるとさらに手が痛くなるよ?」
こういう場合、というか彼女の場合は良心の呵責に問いかけることは無駄だ。だから方法としては殴るという行為について彼女自身のデメリットを提示すればいい。
少なくとも殴るという行為で彼女は多少の痛みを自覚したはず。
そこをつけば彼女は恐らく、
「別に君よりかは全然痛くないから大丈夫」
……作戦は失敗に終わった。
そもそも彼女が俺の言葉でたいそれと行動を変える訳がなかった。そんな事今の今まで手一度もなかった。
つまり彼女は自己中で、自分の考えは曲げない、そんな人なのだ。
「じゃあ今度はもっと痛いから覚悟して」
「うっ……」
失敗した。彼女のことを冷静に再分析するのではなく、新たな作戦を考えればよかったと、この時になって後悔する。
だがいくら後悔しようが俺が殴られる未来は変わらない。
だから俺は覚悟を決めて目を瞑る。
少しでも痛みを感じないように。泣いてしまわないように、と。
「えいっ!」
再度可愛らしい声と共に彼女の腕が振り下ろされる。
(あぁ……。せめてさっきとは別の場所に当たってくれますように……)
そんな願いを想いながら俺は腹に力を入れる。
「ちょっと待った!」
「えっ?」
突然路地裏に響いた声。
完全に不意を突くように発せられた声に思わず目を開けてしまう。そして彼女のものとは異なる女の声に、自然と視線が向けられていき、
「うへっ!」
視線が声の主を特定するよりも先に、強い衝撃が襲ってくるのだった。
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