第39話 不純物

 ほっと息を吐くリーベルデ。それから彼女は腕を伸ばし、頭上を指さした。


「フリードさん。あれを」


 暗いマーブル模様の天井に、細かい罅割れが生まれていた。ちょうど光の柱が衝いたあたり。


「ここがダンジョン化しかけていた原因は、あのメガロ・リーコスだったようですね」


 言葉が紡がれる間に、罅割れはどんどん拡がっていく。何が起こっているのかと考える間もなく、空は細かい網目状の線に覆いつくされた。

 暗い空が、砕け散る。

 音はしなかった。感じたのは、全身を撫でる温い風だけ。


「ダンジョンの崩壊です」


 唐突に光が降ってきて、俺は思わず手をかざした。淀んだ魔力によって異空間と化していた一帯が、元の姿に戻っていく。

 無数の粒子となって降り注ぐのは、細かく砕け散った瘴気の欠片だ。意思を持っているかのように蠢き、吸い寄せられるようにこちらに近づいてくる。


「ダンジョンには自己保存の性質があります。核を失い形を維持できなくなっても、残滓が集まり再び核を形成する」


「放っておけば、またダンジョン化が進むと?」


「はい。すぐにでも。世の中からダンジョンがなくならない最たる理由の一つです」


 目の前に降り積もる瘴気の欠片。見れば、リーベルデの握る聖杖にほのかに光が宿っていた。


「淀んだ魔力を浄化できるのは、女神の力を賜った聖女だけ。ですから私達は、常に世界を巡らなければならないのです」


 聖女に課せられた数ある使命のうちの一つ。次から次へと生まれるダンジョンに対処するためには、一つどころに留まってはいられない。聖女が世界を旅する理由が、どれだけ世間に周知されているのだろう。俺が知らなかったのは、信仰に興味がなかったせいだろうか。

 全ての破片が降り注いだ後、リーベルデは一歩前に進み、瘴気の残滓に聖杖を向けた。宿っていた光が何度か明滅すると、それに呼応するように瘴気もまた鈍い輝きを放つ。黒々とした瘴気はみるみるうちに漂白されていき、白い光の粒となって虚空へ溶けていった。聖女の光が淀みを浄化し、純粋な魔力へと還元したのだ。


「これで大丈夫なのか?」


 歩み寄ってきたメローネに目を向けることなく、俺は尋ねた。


「いつも通りなら、放っておいても向こう十年は安心よ」


「魔王の眷属が出てきたくらいだ。いつも通りってわけにはいかないんだろう?」


「そうね。何が起こるかわからないわ。早く次のポイントに向かったほうがいいと思う」


「だな」


「あ、でも」


 メローネは人差し指同志をつんつんと触れあわせて、悩ましげな苦笑いを漏らす。


「私、もう魔力カラカラになっちゃったから……今日はもう役立たずかも」


 楽勝なように見えて、実のところ結構マジだったんだな。

 瘴気の浄化を終えたリーベルデは、難しい顔をしてじっと瘴気の積もっていた地面を見つめている。今はもう何もない。


「リーベ? どうかした?」


「うん。ちょっとね」


 煮え切らない返答の後、聖杖でとんと大地を打つと、リーベルデは早足で歩き始めた。


「次に向かいましょう」


 いやに淡々としている。

 俺とメローネはひととき顔を見合わせてから、すぐに後を追いかけた。


「メローネ」


「はい」


「協力を頼む人にはもう連絡をとった?」


「フォルスのこと? それなら今朝済ませてあるわ。今ごろ色々動いてくれてるんじゃないかしら」


「そう。ならよかった」


 まったくよくなさそうに言うリーベルデに、俺は少しだけ違和感を覚えた。フォルス教官にジェラシーを感じているというわけではなさそうだが。


「ではその方に伝えてください。できる限り急ぐようにと」


 先程までとは打って変わって深刻な様相だ。

 決して余裕があるわけではないが、そこまで逼迫した状況でもない。これまでの二人の振る舞いから、俺はそんな風に感じていたのだけど。

 さっきの戦闘、いや、浄化の時か。彼女は何かに気が付いたようだ。


「リーベ。ちゃんと説明してちょうだい」


 メローネは歩く速度を上げて、リーベルデの隣まで進む。


「瘴気の残滓に、人の魔力を感じたの」


「それって」


 癖のある栗色の髪が驚き、腰まで伸びたブロンドヘアーが揺れる。

 リーベルデが歩きながらこちらに振り返る。端正な横顔は、あまりにも真摯な表情を湛えていた。


「考えたくないことではありますが」


 俺は唾を呑む。

 もったいぶった前置きの後には衝撃的な事実が明かされるのが世の常だが、次にリーベルデが放った言葉は俺の予想をはるかに越えて悪い知らせであった。


「魔王アンヘル・カイドは、既に復活を遂げています。まず間違いなく」

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