第36話 旧校舎跡
彼らの会話が喧騒の中に消えた後、なんとなく妙な気分になった。今まで散々だった評価が変わるのは嬉しい。けど、俺が十浪で、スキルがなければ何もできない劣等生であることもまた事実なのだ。神聖騎士になれたのもリーベルデに見出されたスキルのおかげ。決して努力で身に着けた力じゃない。
もちろんお付きの神聖騎士になれたことは誇らしいが、それでもどこか後ろめたいような、申し訳ないような。複雑な心境だ。
「フリード? 大丈夫?」
メローネの声にはっとする。隣から顔を覗き込んでくる栗色の瞳にすこし驚いた。
「ああ。問題ない。ただの考え事だ」
二人に心配をかけるわけにはいかない。神聖騎士の尊い使命に比べれば、取るに足らない個人の葛藤だ。
「ところで、リーベルデ様。最初はどこに向かうんです?」
「旧校舎跡です。あそこは魔力の淀みがひどく、最もダンジョン化が進んでいますから」
リーベルデは聖女の声色で言葉を紡ぐ。
「旧校舎……何十年も前に、老朽化に伴って放棄されたらしいですが」
詳しいことは俺も知らない。行ったこともない。どこにあるのかも分かっていないくらいには、学院生活に関係のない場所だった。
「立ち入りが制限されている区域と聞きました。他に比べて魔力が淀みやすい環境なのでしょう」
だが、校舎だった場所に魔王の封印があるものだろうか。いや、仮になくとも放置は厳禁だ。放っておけば、強力な魔物が発生するかもしれない。
学院の一角に佇む旧校舎跡までは徒歩で数十分の時間を要した。いつもなら学内を巡回する魔導列車を利用するのだが、襲撃の影響で運行を停止している。リーベルデの体力が心配だったが、そこは世界を旅する聖女。これくらいの距離など事もなしという様子である。
俺達はつつがなく旧校舎跡に到着。頑丈な鉄柵で隔たれた広い敷地は、鬱蒼とした森林に覆われていた。
「なんか……いかにもって感じだな」
鉄柵の向こう側には淀んだ魔力が瘴気となって滞留しており、明らかに普通じゃないことが分かる。
メローネの柔和な溜息が聞こえてきた。
「だいぶダンジョン化が進んでるわね」
「進んでるというか。これ、完全にダンジョンになってるんじゃないのか?」
「いいえ。この規模じゃ空間変異が起こらないもの。ダンジョン化し終えるのはまだ先ね」
ダンジョンと化した空間は、元の場所とはまったく違う性質になる。地形や環境、建築物、構造や面積に至るまで大きな変化が起こるのだ。その為には元の空間の面積が一定の広さを超える必要がある。この場所はまだ旧校舎後の面影を残している分、まだマシということだ。
「鍵は預かっています。入りましょう」
懐から錆びついた鍵を取り出したリーベルデは、分厚い鉄の門を開錠すると、躊躇いなく中に足を踏み入れる。すかさずメローネが前に出て、後背には俺が続いた。二人でリーベルデを挟みこむ隊列だ。
朝だというのに、敷地内は深夜のような暗がりが広がっていた。充満した瘴気が、日光を遮っているのだろう。
淀んだ魔力が身体に纏わりつき、得も言われぬ不快感を覚える。
リーベルデは小さく咳を漏らした。
「……予想以上に深刻な状態です」
言いながら、指先にルーンの光をほのめかせる。指先から離れて宙に連なったルーン文字の輝きは、そのまま眩い照明となって辺り一帯を照らした。おかげで視界は良好になる。生い茂った草木の奥にある、朽ち果てた巨大な旧校舎がよく見えた。
同時に、目の前で異変が生じる。俺は咄嗟に剣の柄に手をかけた。
「これは……なんだ?」
正面の空間が球形に歪んでいる。その中心に周囲の瘴気が吸い寄せられ、瞬く間に歪みを増していく。
「しまった……迂闊でした。私の魔力に反応したのかもしれません」
先程使った照明魔法が、空間に淀んだ魔力を刺激してしまったのだろう。
これから何が起こるのか。言うまでもない。魔物が生まれるのだ。
「フリード。リーベをお願いね」
メローネが背負っていたハルバードを手にする。
それに呼応するように、前方で収束した漆黒の瘴気がうねり、生物の輪郭を形成する。四本脚の獣じみたフォルムは非常に剣呑な印象だった。
臆さず悠然と歩を進めるメローネの背中に、俺は思わず声をかけてしまう。
「一人で戦うつもりなのか?」
「あら。心配してくれるの? またリーベが妬いちゃうわよ」
「おい。こんな時まで――」
「大丈夫」
凛として張りのある声には、確固たる自負が宿っていた。
「あなたはリーベの心配だけしててちょうだい」
メローネはハルバードを構える。切っ先を地面に向けた下段の構え。
次の瞬間。獣の輪郭を覆っていた瘴気のベールが剥がれ落ちた。
現れたのは巨大な狼。その体躯は見上げるほどに大きい。隆々とした四肢。分厚い体毛に守られた胴体。頭部には爛々とした二つの瞳と、不規則に並んだ鋭利な牙がある。
「メガロ・リーコス……! あんなのが学院に出るのか」
危険指定種の中でも特に凶暴とされる一種。一個騎士団が総力を上げて討伐する難敵中の難敵だった。
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