第12話 聖女リーベルデ
ベンチに腰掛け、愛おしそうに花壇を眺めている。ローブの裾から除く白い脚を揺らす様は、幼い少女のようにも見えた。
現れた俺とメローネに気づくと、彼女の表情がぱっと花開く。
「フリードさん!」
ベンチから飛び立つほどの勢いで、聖女リーベルデはこちらに走り寄ってきた。固いサンダルの底が石畳を叩く音がなんとも小気味よい。
「来てくださったのですね」
白い両手が俺の手を取り、ぎゅっと握りしめてくる。頭一つ低い位置から俺を見上げるリーベルデは、心底嬉しそうな表情で、どことなくはにかんだ様子だった。
「今朝はあのような場でしたから、ゆっくりとお話ができず残念に思っていたのです。ふふ。ようやくお会いできました」
紡がれるのは懐かしむような声。まるで久しく会っていなかった友人と再開したかのような調子。俺は正直、面食らっていた。
「どこかでお会いしたことが?」
そういえば鑑定の儀の前、彼女は俺に助けられたことがあると言っていた。
俺が聖女を助けたとな。もしそうなら憶えていないはずがない。大方、人違いかなにかじゃないだろうか。
「フリードさん」
リーベルデに、ほんの一瞬だけ寂寥の色が浮かぶ。
失言だったか。
「憶えておられなくても仕方ありません。もう十年も前のことですから」
「ええっと」
十年前といえば、剣魔学院の受験に初めて失敗して失意のどん底にいた頃だ。
当時の俺は十四歳。今のクレイン達くらいの年頃だった。
「本当に覚えておられませんか? あなたが救った、小さな少女のことを」
その頃のリーベルデは五歳か六歳くらいだろうか。
小さな女の子。心当たりはないと思うが。
「いや、まて……ひょっとして、ナナハ教会の――」
擦れた記憶が蘇る。脳裏を過るのは、炎と血で真っ赤に染まった礼拝堂と、惨殺された聖職者たち。そして、幼子の泣き声。
「確かに俺は、賊に襲われた教会で子どもを助けた」
忌々しいことに、俺の頭はあの凄惨な事件を憶えてしまっている。思い出すだけで胃がせりあがってくるようだ。吐き気を催すほどの惨状。必死に忘れようとしても、そうそう忘れられるものじゃない。
「あの時の子が、あなただと?」
リーベルデは小さく頷く。
「怪我をして動けない私を、あなたが救い出してくれたのです。燃え盛る教会から、自らの危険をも顧みず。ああ。十年経った今でも鮮明に思い出すことができます。あなたが来てくれなかったら、私は今ごろ……」
続きは口にしなかった。言葉にすると想像してしまう。助けられなかったもしもの姿を。
「でもよかった。忘れられていたらどうしようかと思いました」
穏やかに微笑み、俺の手を握りなおすリーベルデ。
「さあ。どうぞ、フリードさん。こちらにお座りになって」
そのまま引っぱられ、パビリオンのベンチに案内される。俺たちは隣り合って腰掛けることになった。ベンチが小さいせいか、俺たちの距離は肩が触れ合うほどに近い。
いやいや、どうなってる。もしかしなくとも、これって非常にまずい状況なのでは。
「あの、いいんですか? こんな」
「こんな?」
俺の手を握ったまま、リーベルデは小鳥のように首を傾ける。
「聖女様ともあろうお方が、一介の学院生と密会まがいなことをして」
「みっか……い?」
言いながら、リーベルデの頬が赤く染まっていく。
「あ、あのっ。わたし、そういうつもりじゃなくて、聖女なので人前であんまり男の人とお話しちゃいけないからで」
なにやら急に焦り出した聖女様は、両手を振って否定の言葉を並べる。
「違うんです違うんですっ。わたしはただフリードさんとゆっくりお話がしたかっただけなんですっ。いかがわしい考えなんてこれっぽっちも――」
「リーベルデ様。お声が大きゅうございます」
パビリオンの外で控えるメローネから、柔らかい指摘が飛んできた。
それを受けたリーベルデは両手を持ち上げたまま固まり、紅潮した顔をふっと逸らす。
「失礼……しました」
「いや、こちらこそ」
そんなにしゅんとするほどのことだろうか。
聖女とはいっても、年頃の娘であることに変わりはない。彼女の心中を計り知ることは難しい。
とはいえ。
大講堂での毅然とした佇まいからは想像もできない可愛らしい姿。万人の敬意と尊崇を集める聖女の人間らしい一面を垣間見て、俺はなんだか得したような気分になった。
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