第10話 罪と罰

「死んじまえよおっさん!」


 俺にできたのは、咄嗟に腕を振り上げることだけ。無意味な反射だ。こんなことをしても腕ごと斬り裂かれて終わりだろう。

 だが、結果は予想に反していた。

 振り下ろされたはずの剣は、ソルの手から離れ宙を舞っている。中ほどからぽっきりと折れ、切っ先は高い天井に突き刺さり、柄は鈍い音を立てて木製の床に落下。ソルは尻もちをついていた。


 束の間の静寂の後、場はにわかに騒然となる。

 何が起こったか分からないのは俺だけではないだろう。

 一年生の中では最も優秀な剣士と呼び声の高いソル。もちろん彼の持つ剣も並大抵の品ではない。誰もが驚きを隠せないようだった。


「な、なにが起こりましたの?」


 クレインは青い瞳を見開いて、天井に突き刺さった刃を仰いでいる。


「おっさんお前っ! 一体何をした!」


 ソルは慌てて立ち上がり、俺に人差し指を突きつける。


「こんなのおかしいだろっ! どう考えても! なにかインチキをしたに決まっている! この卑怯者め!」


 どうやらソルは恥をかかないようにすることに必死なようだ。あれだけの大口を叩いておいてのこの様だ。彼の沽券に関わるのは間違いない。

 俺にも何がなんだか分からないが、ちょっとした仕返しのチャンス到来かもな。


「ソル」


「なんだっ」


「気にすることはないんだ。君はまだ若い。間違えることだってあるさ」


「……はぁ?」


「強がった子どもが、自分の力を過大評価するあまり恥をかいた。たったそれだけのことじゃないか」


 年を重ねている分、俺の方が少しだけ冷静だった。というより、この状況は俺に有利なだけかもしれない。

 だから正直なところ、俺の挑発は随分と大人げなかったのだ。


「ふざけるなよ……! この劣等生がぁっ!」


 ソルは激昂していた。理性などどこ吹く風。


「いけません! ソル――」


 俺の胸倉を掴み、拳を振りかぶる。


「――それだけは!」


 そして、強かに顔面を殴りつけてきた。

 十四歳といっても、鍛え上げた肉体から繰り出されるパンチは強烈だ。今度は俺が無様に尻もちをつく番となった。


「いてて……」


 とはいえ、フォルス教官のロッドで殴られるよりは全然マシだ。

 俺は頬をさすって立ち上がりながら、


「お前、やっちまったな」


 溜息混じりにそう吐き捨てた。

 食堂はこれまで以上の喧騒に包まれる。


「何の騒ぎだ」


 野次馬をかき分けて現れたのはフォルス教官だった。

 クレインは顔面を蒼白にし、こちらに歩いてくる教官を見る。


「シャルラッハロート教官……」


「何の騒ぎだと聞いている」


「あの、これは……その、深い理由がありまして」


 フレデリカもしどろもどろになっている。

 仕方ない。年若い生徒にとって、戦闘教官は畏怖の対象だ。


 俺とソルの状態を交互に確認するフォルス教官。その表情は厳しい。

 腫れた頬を押さえる俺と、赤くなった拳を握るソル。何が起きたかは一目瞭然だった。


「殴ったか」


 ソルは何も言わない。いや、言えないのだ。

 教官が現れたことで幾分か冷静さを取り戻したのか、ソルの顔には後悔の念が滲み始めていた。


「ち、違うんです教官。僕は剣を――」


「いい。何も言うな。恥の上塗りをしたくなければな」


 教官の視線は転がった剣の柄に行き、それから天井へと向いた。


「自分が何をしでかしたか分かっているな?」


「……はい」


 悄然と俯くソル。


「拳を武器とする。ましてそれを人に向けるなど、我らが神を冒涜する行為に他ならん。貴様は退学処分の後、神聖裁判にかけられる。覚悟しておけ」


 ソルに叩きつけられた宣告。神聖裁判。神の敵と見なされれば、生命だけでなく、人としての尊厳まで奪われる極刑が待っている。

 自分のことじゃなくとも、ぞっとしない。


「ソル・グートマン。貴様を連行する」


 フォルス教官はソルに拘束魔法をかけ、腕の動きと魔力の操作を封じた。ソルの体に巻き付いた青白い光の縄がその証だった。


「あの、教官」


 この時ソルを連れて食堂を去ろうとする教官を呼び止めたのは、他でもない俺だった。


「なんだ。マイヴェッター」


 振り返った教官は、じろりと俺を見上げる。


「俺はなんともありませんし、殴られたことも気にしていません。ですから、今回の件は不問ってことになりませんか……?」


「たわけたことを抜かすな。馬鹿者」


 分かっていたことだが、俺の嘆願は一蹴される。


「貴様がどう思おうが関係ない。拳を武器とする行為そのものが問題なのだ」


「もちろん理解しています。しかし」


「話は終わりだ。お前は救護室にでも行っていろ」


 教官はにべもなく、足早にソルを連行していった。

 残されたクレイン達パーティメンバーは、二人の後姿を呆然と見送るばかり。


 大変なことになった。

 まさかこんなことになるなんて。

 食堂にいつもの喧騒が戻るまでに、しばらくの時間を要したのは言うまでもない。

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