第5話 深夜の森は要注意

 それから二日後。月のない深夜。


『こちらエルミス・エナ。定時連絡、異常なし』


『イリョス了解。警戒を怠るな』


『エルミス・ミナ了解。引き続き哨戒を続ける』


 片耳に装着した魔道具が、本部と部隊の通信を奏でている。

 深い森の中は深淵に呑まれたような真っ暗闇が広がっている。警備の任に就いてからおよそ一時間。俺は早くも帰りたくなっていた。


 筒状の照明魔道具を揺らし、あてがわれた範囲を歩き回る。比較的安全な場所ということだが、魔物が現れる可能性はゼロじゃない。そう思うと、得体の知れない恐怖心が湧いて出てくる。


『こちらイリョス。アリス・ペンデ、応答せよ』


 これが俺に向けられた通信だと、すぐには気がつけなかった。

 任務中は本名ではなくコールサインで呼び合うのが学院の伝統だ。この任務で初めて与えられたコールサインには、まだ体が慣れていなかった。

 俺は足を止め、通信機に指を当てる。


「こ、こちらアリス・ペンデ。どうぞ」


『定時連絡が遅れている。何か異常が?』


「あ……す、すみません。忘れていました。こちらも異常ありません」


『了解』


 本部の応答には苛立ちの響きがあった。


『気を引き締めろ。聖女様の御身の安全を背負っていることを忘れるな』


「了解しました。以後、気をつけます」


 通信が切れ、俺は足下に視線を落とす。

 やっちまった。また失敗だ。


 思えば、クレインのパーティにいた時も失敗続きだったように思う。努力はしていたが、結果につながらなけりゃ意味がない。愛想を尽かされるのも当然か。

 この任務だって、俺なんかいてもいなくても変わらない人数合わせ要員だ。

 フォルス教官も言ってたじゃないか。誰もお前に期待なんかしていないって。

 所詮、俺はそのていどの存在だってことだ。


「だめだだめだ。こんな湿っぽい森の中にいちゃ気分まで滅入ってくる」


 ネガティブな考えはよそう。

 今は任務をこなすことに集中するべきだ。


 気持ちを切り替えて哨戒を再開する。その一歩目を踏み出した――まさにその時だった。


『こちらギ・テッセラ! エリア2にて大型の魔物を確認! ハナクイ竜……ファイアフラワードラゴンだ! 数は三、いや四体! うち一体は幼生と確認!』


『イリョス了解。交戦は待て。増援を送る』


『だめです! もう気付かれて、ブレスがくる! 助け――』


 猛々しい竜の轟きの後、通信は途絶える。

 それに重なるように、同じ咆哮が宵闇の森に響いた。


「おい、冗談だろ……」


 こんな時は常套句しか出てこない。


 ハナクイ竜の俗称で知られるファイアフラワードラゴンは、昼行性で草食。だがその凶暴さゆえに古くから駆除の対象になり、今や絶滅危惧種ともいえる魔物である。

 普通なら深夜の森に複数で現れるような奴らじゃない。何かの間違いじゃないのか。


『イリョスよりエリア2付近の隊に告ぐ。現場に急行し、事態を調査せよ』


 俺は急いで地図を開く。

 事前にエリアの位置を確認していたが、いまいち確信が持てなかった。というよりは、持ちたくなかったのだ。


「たのむ。たのむぞ……!」


 こんな時は神に祈りたくもなる。

 どうか、ここがエリア2の近くじゃありませんように。


「……ああ。やっぱりな」


 祈りは届かず。

 エリア2に最も近い地点にいるのが、この俺だった。


 なにが比較的安全だ。

 なにが突っ立っているだけでいいだ。


 頭上からドラゴンの咆哮が落ちてくる。人間の臭いを辿ってきたのだろうか。一体のハナクイ竜が空から飛来し、俺の目の前に猛然と降り立った。見上げるような巨体はやはり相当な重量があるようだ。着地の衝撃だけで小石のように跳ね飛ばされ、俺は地面を転々として大木に叩きつけられた。


「痛ってぇ……」


 なんとか立ち上がってはみたが、全身を責める激痛が肉体の自由を奪っている。一歩も歩ける気がしない。

 目の前では、ハナクイ竜が凶悪な顎から灼熱の炎をチラつかせていた。

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