第6話 陰謀のかほり
「はは……死んだなこりゃ」
人は死の間際にそれまでの人生を思い出すというが、どうやらそれは偽りらしい。
俺の目に映るのは、恐怖の象徴ただ一つ。
ドラゴンという究極の暴力。その存在を凝縮したかのような猛火のブレス。
俺の体はあの絶望的熱量によって焼き払われ、後には灰すら残らないだろう。
「けどよ」
俺は腰に提げた剣を抜く。剣魔学院を志してから十年余り、共に戦場を駆け抜けたロングソード。由来のない武骨なだけの長剣だが、だからこそここ一番で頼りになる相棒なのだ。
「精一杯の悪あがきはさせてもらうからな……!」
無駄だと理解しつつ、俺は駆け出した。
せめて一太刀。死ぬのはそれからでも遅くない。
気合は十分。俺はハナクイ竜へと接近する。
「馬鹿者! 下がれっ!」
横合いから誰かの声。俺は思わず足を止める。
直後、灼熱のブレスが猛然と吐き出された。
あたり一帯がまばゆい赤に照らされ、真昼のように明るくなる。
「うわ――」
俺は死を直感した。
だが、すぐにそれが誤りであると悟る。
突如として俺とドラゴンとの間に割って入ったフォルス教官が、その小さな体からは想像もできない膂力で身の丈ほどもある分厚い大剣を振りかざし、火炎のブレスを真っ二つに斬り裂いていた。
赤と黒の軍服に覆われた華奢な背中が、この世の何よりも頼もしく思えた。
可憐にして苛烈。ともすれば生徒より幼く見える彼女だが、その剣筋の力強さたるや格が違う。
ブレスを両断した教官の剣圧は、そのままドラゴンの鼻っ面を叩き、巨体を大きくよろめかせた。
「堕ちろ。貴様の地獄へと」
大地を蹴り飛ばし、ドラゴンへと肉薄。
空中からの落下を伴った大上段の一太刀をもって、頭部から尻尾までを真っ二つに分割した。
おい、まじか。
ドラゴンは力なくその場に倒れ、森には静寂が戻る。
一息ついた教官は大剣を背負い、通信機に指を当てた。
「プルトナス・オクトからイリョス。エリア7にて、ハナクイ竜の成体を一匹やった。エリア2で確認されたうちのひとつと思われる」
その声は、目の前と通信機の二方向からほんのわずかのズレと共に聞こえた。
『イリョス了解。全オペレーターへ告ぐ。ファイアフラワードラゴンはすでにエリア2を移動している可能性が高い。担当区域を厳重に警戒せよ。発見後、手に余ると判断した場合は増援を待て。以上』
ノイズを残して通信は終了する。
俺は死の恐怖からまだ立ち直れていない。ほとんど呆然自失のような感じだった。
「フ、フォルス教官」
俺の呼びかけで、教官はようやく振り返る。そして俺の目の前まで大股でやってくると、腰のロッドを手にした。
「マイヴェッター」
鋭い打撃が、俺の額に打ち込まれた。
「痛ったい!」
マジで痛い。
「フォーストネームで呼ぶなと何度言えばわかるんだ愚図が」
「も、申し訳ありません……」
「まったく」
ロッドを納め、教官はハナクイ竜の死骸に目を向けた。
「こんなものが出てくるとはな」
魔道具の照明を用いて二つになったハナクイ竜を検めているようだった。
「驚きましたよ、ほんと。ドラゴンとか、資料でしか見たことありませんからね」
額の痛みで我を取り戻した俺は、教官の後ろでしげしげと死骸を眺める。
「教官が来てくれなかった確実に死んでいました。ありがとうございます」
「かまわん。これも任務のうちだ」
そっけない態度はいつものことだから気にしない。
「でも、どうしてこんなところにハナクイ竜が……生態系が崩れたりしてるんでしょうか?」
「たわけ」
教官はじろりを俺を見て、呆れたように鼻を鳴らす。
「十中八九、聖女様がらみだろう。そんなこともわからんか」
聖女がらみとな。
「それってつまり……誰かが聖女リーベルデに危害を加えようとしている。そういうことですか」
「うむ。早急に対策を立てる必要があるな」
死骸を検査し終えた教官は、その場を立ち去ろうとする。
「マイヴェッター。お前は引き続き警備の任に当たれ。私は本部に戻る」
「ええっ? 嘘ですよね? またドラゴンが出てきたらどうするんですか」
「その時は潔く諦めるんだな。私とて何度も救援に来るほど暇ではない」
まじですか。
俺の不安をよそに、教官はさっさと森の闇へと消えていった。
一人残された俺は、死臭を漂わせ始めたドラゴンの死骸を見て、心底げんなりするしかなかった。
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