第3話 怒り竜のフォルス

「私の呼びかけを無視するとはいい度胸だマイヴェッター。いつからそんな偉くなった」


 強烈な威圧感の笑みに、俺の全身はがっちりと固まってしまう。


「も、申し訳ありません。すこし考え事をしていまして」


「言い訳は聞いていない。それにだ」


 フォルス教官は腰に提げていた棒を抜き、先端を俺の胸に押し当てる。生徒指導用の短い木製のロッドだ。


「いったい誰が、ファーストネームで呼ぶことを許可した? なぁ? ほら、どこのどいつだ。言ってみろ」


「も、申し訳ありません。つい――」


「つい、なんだ?」


「突然のことでしたので、思わず」


「ほう? そうか。貴様は動揺すると教官を馴れ馴れしく呼ぶような愚図だったか」


 手首の動きだけで振り上げられたロッドが、俺の額に直撃する。

 まずは衝撃。


「痛っ!」


 遅れて激痛が訪れる。俺はひととき星の涙を見た。

 ふらふらと後退り顔を押さえる俺を見て、教官は薄い胸の前で不機嫌そうに腕を組む。


「ふん。この程度で怯むとは、相変わらずの貧弱さだ」


 戦闘教官の攻撃を喰らって平気でいられる方が稀だと思うんですけど。


「まぁいい。わざわざ私がお前を呼びに来た理由。もちろんわかっているな?」


「え? ええっと……」


 いや、すみません。

 まったくと言っていいほど心当たりがない。

 教官の表情に苛立ちが募っていく。


「馬鹿者が。三日後の聖女訪問の件で、クレインから話がいっているだろうが」


「聖女、訪問?」


 初耳である。

 俺の呆けた顔を見て、教官は銀の眉を捻じ曲げた。


「聞いていないのか? ふむ。それはおかしいな。奴はお前にしっかり伝えたと言っていたぞ」


「何のことだかさっぱり」


 教官が漏らしたのは深い溜息。


「パーティ内で意思疎通ができていないのは問題だぞ。お前達のところは学年でも優秀な方だと思っていたが、まさかそんな弱点があったとはな」


「あの……教官、もしかしてご存じないんですか?」


「なにがだ」


「俺、あのパーティを抜けたんです」


「……なんだと?」


 正確には追い出されたのだけど。愛想笑い。

 フォルス教官は幼さの残る瞳をぱちくりとさせて、信じられないものを見るような目で俺を見上げる。


「なにがあった? 詳しく聞かせてみろ」


 その声は少なからず親身さを帯びていた。

 剣魔学院において、パーティを抜けたり移籍したりすることはさほど珍しいことではない。それぞれの意見が食い違うだとか、能力の相性が合わないだとか、理由は様々だ。みんな、自分の能力を最大限発揮できる居場所を求めている。


 けれど、俺の場合はすこし違う。

 ほとんどお情けでパーティに加入させてもらっていた身分なのだ。そのあたりの事情は、教官もある程度は把握しているだろう。


「実は――」


 クレイン達にパーティを追放された経緯を説明する。

 俺の話を、教官は最後まで黙って聞いてくれていた。


「なるほど。つまるところ、貴様がパーティメンバーにふさわしくないと判断されたと」


「まぁ、そんなところです」


「難しい問題だ。人間、合う合わないは必ずある。ましてや未熟な学生では、そういった軋轢も多いだろう。災難だったな」


 気の毒には思ってくれているみたいだが、特に味方をしてくれるわけではない。教官は学生に対して中立の立場を徹底している。パーティのいざこざに口を出すような真似はしないだろう。

 すこし寂しい。


「それより、パーティの脱退手続きがなされていないのは頂けんな」


「え? 手続きされていないんですか? てっきりクレイン達がやってるものかと」


「だったら私が知らないはずがない。これでも貴様ら一年生の学年主任なのだぞ」


 そういえばそうだった。

 教官は俺の姿をじっと検め、呆れたように鼻を鳴らす。


「ひどいケガだな。傷口が化膿しかけている。応急処置の心得もないか」


 実を言うと、先ほどからずっと痛いやら痒いやらで堪らない。


「一応ちゃんと勉強したんですが……医療道具を全部パーティに置いて来ちゃって……」


 教官は舌打ちを漏らす。


「救護室へ行け。パーティ脱退の書類は私が手ずから用意しておいてやる。受理も含めてな。感謝しろよ」


「あ、ありがとうございます!」


 正直、面倒な手続きをしなくて非常にラッキーだ。


「聖女訪問の件は後回しだ。まずは手当てをしてもらえ、私も後で行く」


 そう言い残して、教官は小さな背中を向け去っていった。


「まったく……これだから貴族というやつは……」


 なにやらブツブツ言っているが、ほとんど聞き取れない。

 多少は、気にかけてくれているのだろうか。

 ありがたいことだ。

 言われた通り、救護室に向かうとしよう。

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