第33話 一樹のばか

 三階から、園崎は何のためらいもなく飛び降りた。しなやかな動きで衝撃を受け流し、ここっちへこい、と合図を送りながら園崎は走る。


 あんな高さから飛び降りるなんて。あそこで自分の意見を曲げずにいたってことを考えると。俺がどちらの選択をとるべきかはわかっていた。


 園崎に、耳を傾けなくちゃならない。震える足でフェンスを跨ぎ。


 ────飛ぶ。


「ねえ、どういうつもり。おかしいよ、こんなのおかしいよ」


 上から見ると高そうに見えたが、飛び降りてみると恐れていたほどではなかった。園崎は近くの通路で足踏みしながら俺のことを待っていた。


「こっち。とにかくあの笑里っていう女から離れる、走るよ」


「了解」


 さすが運動の足だ。こちらがペースを落とすたび、あちらはペースをガンガン上げている。本当に運動能力の格の違いを見せつけられる。


「どうしてあんたはそんな遅いわけ。私はバッグ持ちながら走ってんだけど」


 後ろを振り向いたアイツはそういってくる。


「お前がおかしいんだよ。帰宅部男子はみんなこんなもんだろ」


 ちょっと走ると、近くの公園についた。もうひとつの公園のせいで人が少ないところだ。遊具もなく、ベンチくらいしかないこじんまりとしている。


「とりあえず、あそこのベンチまで」


 ベンチ前に着いた時点で、俺は地面に背をつけて呼吸を整えていた。血が巡り、脈が早くなっている。園崎に追いつこうと、俺が運動不足なのに関わらず、久々にそこそこスピードを出して走ったからだろう。


「あんたがばててどうすんのよ。あそこから逃げなきゃいけないのはあんただったでしょ。ほら、ベンチに座る」


 俺は園崎の隣に座った。


「どうして園崎は俺をアイツから離そうとするんだ。俺はただ笑里に愛してもらえているのがうれしくて、このまま関係を継続していきたいだけなんだ」


「あたし、いったでしょ。あれじゃ一樹は笑里にとって都合のいい男、いや、道具よ。一方的に歪ないびつな愛を押し付けらてるだけ。あんたはそれに気づいていない」


「だって、俺が最初に笑里のことを好きだっていって、笑里はそれを受け入れてくれて、何があっても愛してくれていた。どんなときも、ふたりきりであるのなら好きでいてくれた。だから」


「それじゃあ、あんたにとって笑里は都合のいい女だってことでしょ」


 笑里に甘えているところがあった。アイツが嫌いということは、基本的にないといっていい。確約されている愛で、それが受け入れられないものでもなかった。


「『互いに好き』という状態であることを前提とした、ギブアンドテイクさ。大きなことがなければ、ずっと続く関係さ。でも、とても脆い。ガラス細工みたいに。そこに、園崎は土足で乗り込んでヒビを入れてきた。もう、後戻りできなくなった」


「あのまま一樹がアイツを受け入れていたら、きっといつか苦しくなっていたと思ったのよ。本心では、ちょっと面倒くさいだとか鬱陶しいだとかって思ってなかった? 笑里とかいう女の善意が、最初はうれしかったのかもしれないけど。今はどうなの? 考えてみればわかるんじゃない?」


「ちょっと苦しかったさ。でも、笑里が尽くしてくれるのを、俺は拒絶しろっていうのかよ。もう長い付き合いなんだ。失いたくないんだよ」


 笑里との関係が切れたら、俺はどうすればいいんだ。笑里はどこか自分の心の拠り所のようになっていたきがする。アイツの支えがあって、俺という存在が確立されるというか。笑里も含めて「浦尾一樹」という人間ができあがる、というだろうか。


「長い関係だからこそ、一樹も決断すべきなんだよ。たぶん、説明してもあの女には無駄でしょうね。怒り狂ってしまうと思う。それでも、一樹に必要なのは、対等に接し合う関係だよ。真白ちゃんにせよ、笑里にせよ、寄りかかりすぎじゃない。一樹、ちゃんと人を人として見てる?」


「なんだよ、急に」


「あたしも、人には大ぴらにいえないけど、やっぱり人を支配しているときが一番幸せ。一樹のことは完全には否定できない。同類だもん」


 人を人として見ているか。女子という存在を、自分を癒してくれる道具くらいにしか思ったことはなかったか? ノーと答えられる気がしなかった。じゃあ、俺の人間関係って何なのだろう。


「だからさ」


 俺の襟を、クイっと引き上げて園崎は睨む。


「どうした、俺が腹立たしいか。暴力を振るいたいか」


「あたしのこと、好きになって見なさいよ」


 なぜ、どうして園崎がその言葉を口にする。俺たちは真逆の関係じゃなかったのかよ。お前だって、俺のこと嫌いだったんじゃなかったのかよ。


「冗談はよせよ。だってお前は……」


「一樹のばか」


 ビンタがきた。さっき食らったのとのは反対側の頬だった。

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