第32話 修羅場、ふたたび

 部屋の外の通路で、園崎がワイシャツ姿でボタンを外し。それを俺が覆い被さる形でながめている。


 そんなシーンを見れば、笑里がどう勘違いするかなんてすぐ想像できた。


「どうして、どうして? なんで、なんでよ」


 笑里は膝から崩れ落ちた。手にはいつもより大きなポーチを持っていた。


「ちがう、ちがうんだ。これは、その」


「あ、あんた。AONで一樹と……」


「園崎、それ以上はいうな」


「え、この女、あたしとかずっちが一緒にいたとこ、見てたの」


 こんなの、話がややこしくなるに決まっている。絶対に会わせてはいけないふたりだった。このシチュエーションこそ、俺が全力で回避したいものだった。


 よりによって、最悪の形で出会うことになるなんて……


「ちょっとタイム。一応いっておくが、俺はこの子を襲っていたわけじゃない。これはだな、あっちから」


「じゃあ、あの子から笑里のかずっちを誘惑したってことなの」


「誘惑じゃない。確かめなくちゃいけないことがあってだな」


「笑里を差し置いて、ふたりで、しかも外で愛を確かめ合おうっていうの」


 やはり笑里とは、男女関係ではまったく話が通じなくなる。ぽろっと出たひところですら、話はあらぬ方向へと飛んでいく。


 勝手に誤解し、勝手に怒られる。


 これまでの俺は笑里がほぼ唯一の女友達だったから、こういうトラブルはあまりなかったが。


「ちょっと待った。まずは話を整理しよう。クエスチョン、なぜ笑里は我が家に押しかけてきた」


「最近ふたりきりでお弁当を食べてくれたから、そろそろ私の手料理を夕飯として振る舞っても良い頃かなって。昔も何回かやったことあるでしょ」


「たしかにやったことはあるな」


「かずっちの思いに応えたいからやってるんだよ。笑里の愛情表現はかずっちにとってうれしいものに決まっているよね。そうだよね。でも、なんでこうやって裏切るようなことをするの? 他の女に抜け駆けするなんて、かずっち、そんなひどいことする幼馴染じゃなかったのに。私だけを見てればいい────かずっちは、私の所有物だから、ね?」


「なんなの、あんた。幼馴染だからって、一樹はあなたの所有物じゃない。人を物扱いするなんて、それは浦尾一樹に対する行為としてどうなの」


 ゆっくりと立ち上がり、園崎は笑里をじっと見つめていう。


「だってかずっちは私のことを好きってはじめにいってくれた、はじめての人なんだよ。それなのに、どうしてダメなの」」


 俺は、こんな不毛なやりとりを見たかったわけじゃない。笑里を最初に好きだといったの俺だ。最近は依存度がどんどん高くなって怖いけど、その「愛情表現」をうれしく思わないのは、幼馴染として最低だと思う。


 最初に要求したのはこちらなのに、いきなり「もういいや」といわれると考えるのは気が引ける。なんせもう長い付き合いなんだ。


「ちょっと、おかしいよ、あんた。人としてどうかしてる」


「初対面の人にいっていい言葉と悪い言葉があると思うなぁ。笑里の大好きなかずっちの前でいうなら尚更だよ。試しにきくけど、あなたはかずっちのこと、どれくらいしってるの?」


「それは」


 笑里より俺と付き合いが長いやつは家族と親類以外誰もいないはずだ。笑里は俺の深いところまで把握している。誰よりも俺に興味を持っている。それより勝るというのなら、それこそ愛をこえて狂気だろう。


「たとえ深く知っていようといまいと、こんなあたしでもわかる。あなたの愛は重過ぎる。本当に一樹を大事に思うなら、そんな風に接しない。きっと、もっと対等に接しているでしょうね。わかっていても、あなたはやっていない」


「どうして? 笑里の愛し方に口出しする権利はたかが数年程度のあなたにはないに決まっているでしょ。かずっちを愛せるのは私だけ。私こそふさわしい、私は選ばれたの。他の女が介入する余地はない」


「それはこのどうしようもないクズ野郎の一樹の選択かしら? そうとは思えないけど」


「笑里の選択だよ。私が良かれと思ってやってることは、かずっちにとっての最善だって、相場が決まってるんだよ。そうだよね、かずっち?」


「まあ、否定はできないな」


「一樹。あんた、おかしいよ。あんたこそどうかしてる」


 こんなにも愛してくれている笑里は、たとえ愛が重くても、愛してくれているというだけで感謝すべきだろう? 愛の重さを除けば、笑里は誰にも劣らないくらい万能で魅力的過ぎる美少女なんだ。


 別居している家族も、きっと二人の仲を祝福してくれるくらいの関係だ。


「さあ。いいたいことが済んだなら、笑里たちの部外者は立ち去ってもらえるとうれしいな。余計な口を出してくる面倒な方は、必要ないから」


 園崎は、グッと唇を噛み締めた。


「おかしい、絶対こんなのおかしい…… 一樹、ここから離れるよ。ここから逃げよう」


「でも、笑里が」


 全力のビンタが、俺の右頬を襲う。


「うっ……」


「あんた、どこまで馬鹿なの? やっぱり小根が腐ってる。ほら、こっちにきて」


 ぎゅっと、腕を掴まれる。


「ねえ、どういうつもりなの?」


「あんた、そこをどいて」


 笑里はゴールキーパーのように通路の前に立ち塞がる。


「嫌に決まってるでしょ。どうして? どうして? 私はおかしくなんかないんだよ。だから、絶対通さない」


 無理やり道をこじ開けようとするが、笑里はどうしても通さない。園崎は運動部のはずだったが、笑里を通り越えることはできなかった。


「私はこれからかずっちとご飯を食べるの、だから」


「どうやら、強行突破するしかないらしいわ」


「どういうことだ、園崎」


「見渡しのいいマンションね。ほどほど高いから、遠くもそこそこ見える。でも、所詮そこそこでしょ」


 園崎はフェンスに手をかけた。


「まさか……!」


「いくよ、一樹。生きて帰ってくること。そのままあんたも続きなさいよ!」


 手を離し、柵を越え。園崎は飛び降りた。

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