第31話 誤解を晴らす決断

 午後の授業でも、園崎に弁解するチャンスなんて有りやしなかった。


 仮にあったとしても、笑里の弁当をなんの抵抗もなく食ってしまった俺が、何をいっても言葉に重みがなくなってしまうだろう。今日謝罪をしたって、無駄だと。


 そう思っていた。


 帰宅し、リビングに入ると。


「ただい……」


「先にお邪魔しています」


 メランコリックだった俺の脳内は、一瞬にして疑問符で埋め尽くされた。


「どうして園崎が」


「私はあんたに雇ってもらってるんだから、当然でしょ。そういうことにしたんだし」


「それは、そうだが」


 笑里とのハグは、確実に園崎に大きな傷を残しているはずなのだ。何もなければ、学校で無視することはなかっただろう。殴る蹴るだとか暴言のひとつくらい露呈しても仕方がない。


「じゃあ、掃除しておくから」


「あ、あの……」


「何?」


「いや、その」


「用事がないなら呼ばないで」


 背を向けられてしまい、何もいえなくなる。


 勉強部屋に入ろうと、ドアを開けようとする前。


「お兄、どうすればいいかわかってるよね」


「どうすればいいかって。わかってるが、できるかどうかは別だろ」


「真白は知らないから。自分で考えて」


 いったんあそこの空間とは隔離する。



 俺はきちんと誤解を晴らさなくちゃならない。そして何より、謝らなくちゃならない。


 学校ではできるはずなかったが、園崎と妹と俺しかいないここで、できないとはいえないだろう。


 園崎からいわせちゃだめなんだ。俺からいう必要がある。



 それなのに、勇気を振り絞れる気がしない。


「くそ……」


 ここで謝らなくちゃ、もう機会はない。謝るのは遅くなればなるほどよくないんだ。今しかない、今しかない。


 いったん深呼吸だ。取るべき行動はひとつなんだ。ウジウジしていたって仕方ない。


「よし……」


 勢いよくドアを開ける。


「お兄、うるさい。この家のこと、大事にして」


「園崎!」


 掃除中の園崎に、はっきりきこえるようにいった。


「どうしたの。いきなり大声なんか出しちゃって。近所迷惑とか考えないわけ」


「大事な話がある」


「大事な話ね。さっき途切れ途切れにいおうとしていたやつかしら」


 掃除道具を置き、園崎は立ったままこちらを見つめる。


「そうだ」


 真白はこの状況を理解し、テレビの電源を落とす。


「要件があるならさっさといいなさいよ」


「……買い物をしたときの一件だ。俺が、お前にさっさと帰るように伝えたことだ。何も事情を伝えずに帰れだなんて、勝手すぎたと思っている」


 不満げそうで、反応が薄い。


「他にもいうこと、あるんじゃないの」


「園崎が見たあれは、誤解だ。お前に見せつけるような真似じゃない。相手が面倒なやつで、ああするしか……」


「あの必死そうな感じを見れば、あんたも色々あるんだってことくらい察したから。でもさ、あたしが求めてる言葉っていうのは、たった一言なの。それさえあれば、少しは考えてやったのに。『ご』からはじまる言葉くらい、わかるでしょ」


「ごめんなさい」


 園崎はため息をついた。


「そういうこと。メッセージアプリで一言送るだけでよかった。学校ついてすぐ送ってくれればよかった。本当にそれだけだったのにさ。あたしは一樹のそういうところが気に食わないんだよ。あたしみたいにはっきりすればいいんだよ」


「お兄、感謝と謝罪はしっかりしなきゃダメって、小学校で習わなかったの。真白も、ひどいことをしたら真白からしっかり謝るよ」


「情けないな、俺って」


「その通りよ。一樹、だからあたしはあんたに仕えようと思ったわけ。わかる? ドーユーアンダースタン? だらしないところがなくなるまで、あたしはあんたを監視し続けるつもりだから」


「もう少しまともな人間になれるよう精進する。本当に申し訳なかった」


「いいわ。謝罪は誠意を込めた一回でいいから。それ以上は軽くなって安っぽくなる。わかった」


 力強く園崎は俺に指をさす。


「わかりました」


「それならよし。これで和解ってことでいいわね」


 俺はうなずいた。


 アイツはお袋よりお袋していると思う。嫌いだと言い張る俺を、まっとうな人間にしようと家政婦にしろだなんていうんだ。ふつうじゃない。どこかおかしい。


 全然好きになれないけど、無視できる存在じゃない。それは確かだ。


 嫌いであることは変わらないけど、会わなかったり離れているとどこかそわそわしてしまう。


「一樹、こんな険悪なムードになった原因、教えてあげようか」


「何をいまさら」


「あんたはあたしを怒らせた。それが唯一の怒りの原因だから。そうじゃなかったら、単純に暴力か暴言をで済ませるから」


「ってことは、ふだんは」


「ちょっと和解したくらいで調子に乗るんじゃないわよ、このダメ人間! オラッ!」


 顔面に拳が一発。


「うがッ……!」


「あたしのラッシュを食らいなさい!」


 倒れ込んだ俺に馬乗りして、背中にラッシュの制裁が下る。


「ちょっとま。まじでこれは生死にかかわる。その前に背骨あたりがぽっくり逝きそうなんだが」


「ちょっと謝ったくらいでいい気になるんじゃないわよ!!」


 謝罪は一度でいいといったのはどこの誰だ。俺が今回は完全に悪かったから何もいえねえが。


 なぜだか、こうやってボコボコにされるのが懐かしい気がした。



 体にかなりの痛みを残したラッシュが終わると、園崎はまた掃除をはじめた。真白はいつも通りテレビを見ている。俺は課題を消化していく。


 数時間は課題であっという間にとけ、園崎は帰る支度をはじめた。


「きょうくらい俺がちゃんと見送る」


「いつもならあんたの見送りなんかいらないけど。まあきょうくらいはいいわ」


 靴を履き、バッグを肩にかける。


「お邪魔しました」


「また今度、よろしくな」


 アイツがドアに手をかけた瞬間。


「ちょっとドアのむこうにきなさいよ」


 そういって俺は仕方なく呼び出された。


「なんだ、まだ話があるってか」


「もちろんよ。真白ちゃんの前じゃはなせないことがまだあるの。ちょっと外から見えると困るから、まずはしゃがんで」


 園崎は奥の壁に体を預けた。その正面に、俺はしゃがむ。


 アイツは、スマホに保存された一枚の画像を見せつけてきた。


 俺が脅迫されて、家政婦として雇うことを決めた一枚の写真だ。


「あんた、そろそろ気づいてるんじゃないの」


「わかんねえよ。さっぱりだ」


 小学五年生のとき。家族旅行で出会った、清楚可憐な美少女。笑里と同等、いやそれ以上に俺の心を奪った存在。鎖骨と胸元の間に、大きなほくろのある子だった。


 彼女に俺が熱いキスを求めているようにみえる写真。


 あの日、誰かにこの写真を撮られたことは覚えている。


「どうしてあんたは、そうも鈍感でいられるわけ?」


 そういうと、園崎は制服の上着を脱ぐ。そして、ワイシャツのボタンを上から外しはじめた。


「おい、まさか」


 上からどんどん外されていくボタン。わざわざこんなことをするということは……


 どうして今まで気づかなかったんだ。なぜ。園崎がやけに俺に絡んでくるっていうのは、どういうことだったのか。


 第三ボタンに手をかけようとしたとき。背後から足音がきこえた。すでにこの階まてのぼってきている。この状況は、まずい。


「園崎、はやくボタンを────」


「あれー、かずっち。そんなところで何してるの?」

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