第2話 癒しの妹と予期せぬ来訪者

「ただいま〜」


 学校からチャリをかっ飛ばし、爆速で帰宅した。そう、愛しいとしの妹のためである。


 慣れた足取りで通学路を颯爽と走り抜ける。アパートの前で自転車を下ろすと、階段をさっと駆け上がり、自分の号室の前へとたどりついた。はやる気持ちを抑えて鍵を開け、靴を脱ぐ。荷物を左前方に放り投げ、リビングまで立ったままスライディング。


「ましろぉぉ〜俺のことを受け入れてくれるのはお前だけだッ!! 抱きしめさせてくれぇ〜!!」 


 ソファの上でくつろぎつつテレビを見ていた妹に駆け寄る。


「おかえり、お兄。気持ちは嬉しいけど、まずは手を洗ってきて」


「はい……」


 我が妹の名は、浦岡真白うらおかましろ。ピッカピッカのいちね……ではなく六年生。幼女じゃないぞ。とはいえ、高校生の俺と比べるとすごく小さく感じる。


 いつも気怠そうな顔をしていて、まるで猫みたいだ。前髪をぱっつんにしていて、けっこう短髪である。肌は色白、体はあまり強くない。いつものように白いパーカーを羽織り、頭のうえには二本のツノが生えた白い被り物をかぶっている。


「お待たせ。さっそくだけど、お帰りのハグ、していいか?」


 手洗いを済ませ、制服からジャージへと着替えた俺は真白にはなしかける。


「やだ。お兄だとしても、それはやだ」


「えー。じゃあ手をすりすりするのはダメか?」


「そっちの方がいやだ」


 被り物の紐を引っ張り、ツノを左右に揺らして反対の意思をわかりやすく示す。左右についている紐は、引っ張るとツノが動く仕組みになっているのだ。


「じゃあ、『今日も一日お疲れ』とかいってくれないか? そうしたら、明日からも頑張れそうなんだ。この通り」


「ど、土下座……」


「命令されたら足も舐めます。なので、どうか、どうかご慈悲を」


「今日のお兄、いつにも増して変だよ」


 おかしくもなるよ。パワハラ女が離れてくれないんだもんよ。精神崩壊待ったなしなんだ。だからよ、断るんじゃねえよ…… とにかく今は、受け入れてほしいんだ。


 頭を少しあげ、じーっと妹を見つめる。


「ひえっ、なんだか怖くなってきた。ごめん、お兄。今日は無理みたい。そういうことは、彼女とかにやってもらって」


「真白、彼女とかそう簡単にいうけどなぁ。まあ、仕方ない。俺が折れるとしよう」


「ありがとう、お兄」


 残念ながら、俺の心の傷が完全に塞がることはなかった。とはいえ、癒しの妹が近くにいるだけで、心は少しばかり和んでいる。


『こんな時間がずっと続けばいいのに』状態だよ、まさに。園崎のせいで学校行きたかねえ。この地獄から抜け出すのに、今からプラス数ヶ月? 待てるはずもない。


「現実は非情なもんだな、なんつって」


 真白は完全にスルーされた。きこえていないのか、はたまた呆れて無視してるのか知らないが、返事はなかった。


「さて、諦めて勉強でもしますか」



 荷物を玄関前から回収し、隣の勉強部屋へと移る。


 この家は、俺と真白のふたり暮らし。真白の事情で、両親と別居している。


 料理とか掃除とかはどうしているかって? ひどいもんだよ。体の弱い真白はできないので、本来なら俺がやる必要があるんだが。


 やっていない。


 そのせいで生活は荒れに荒れている。コンビニ弁当は当たり前。これがゴミ屋敷? そんな冗談よしてや(末期) 汚いの基準はすでに狂っていた。


 家事を億劫おっくうに思う俺が、自炊をできるはずがない。コンビニ弁当一択である。


 そのぶん、洗濯はちゃんとやっている。洗濯機は置いていないので、近くのコインランドリーで済ませている。



 勉強を小一時間ほどしたところで、コインランドリーへといく時間になった。洗濯物と、最低限の荷物を準備する。


「じゃあ、いってくるわ」


「気をつけてね、お兄」


 家からそう遠くないので、あっという間についた。洗濯物を入れて、お金を入れ、ボタンを押す。


 帰ってからすぐにコインランドリーにいくのが理想だ。しかし、そうは問屋が卸さない。ここは相当こじんまりとしていて、数台しか洗濯機がないのだ。帰ってからすぐにいくと、すでに空きがなくなっているのだ。


「めんどうなこった」


 またいかなきゃならないんだもん。まじで家に洗濯機が欲しい。



 洗濯がはじまったのを確認したのち、店を出た。


「ああ、早く妹に会いたいものよ」


 妹に恋愛感情は抱いていない。あれは癒しだ。オアシスだ。砂漠のような極地、学校。そこでの渇きを一時的に癒してくれるのが、真白。数が限られているからこそ、オアシスにありがたみが出るものだ。中学のときより妹に依存している気がするよ。


 会える楽しみから足取りは軽やかになり、ついには鼻歌を歌いながらスキップしてしまったぜ。


「まっしろっ まっしろっ ま・し・ろ」


 やべ、ダメだとわかっているのに。抑えられない感情が口に出やがっている。傍から見ると、ただの不審者だな。幸運にも、通りには誰もいなかった。よかったな。下手したら職質食らいそうだからな。


 ついに、我がアパートが見えた。うちは全3階のうちの2階だ。


 階段を登り、我が家へと向かう。そして、ドアの前までやってきた。インターホンを鳴らす。


『はい』


「おお、真白。お兄が帰ってきたぞ。今は抱きしめていいか?」


 さっき嫌がられたのに、狂った俺はとんでもないことを口走ってしまった。いっけねえ。しっかり謝っとかないと。


『は? うわ〜まじで浦尾ってキモいわ。妹を抱きしめたい? 身の毛がよだつセリフね。一生独房で女から隔離されて死ね。まじ全人類の敵だわ。ああ、死んだだけじゃ許されないけど』


 は?? ん?? え?? 


 ああ、ダメだな。俺、ついに幻聴がきこえるようになっちまうなんて。ハハハハ。あれか、寝不足ってやつか。そうだよ、そうに決まっている。いつから園崎がウチにいると錯覚した? 


「真白、なんだかクラスの産業廃棄物の幻聴がきこえるくらいには疲れているんだ。頼むからこっちまできてくれないか」


 真白の顔を見て、正気を戻さなくては。俺のセリフを最後に、インターホンは切れた。中からこちらに向かってくる足音がきこえる。


「おかしいな、真白の気配と歩き方じゃない……」


 チェーンと鍵が外れる音がする。


「ましろぉ〜 ちょっとへんだz」


「頭沸いてんの? 産業廃棄物以下のクズが」


「なぜ、なんでここに園崎が?」


 夢だろ、夢だといってくれ。こんなのありえない。なぜ我が家に不穏分子が侵入している?


「ここにいちゃダメって誰がいったの? なんか文句あるわけ? あ?」


 喧嘩越しの口調で、あいつは俺を睨んできた。



 ────お風呂が沸きました


 固まった空気の中、ききなじみのある機械音声が流れた。沸いたのは風呂だけじゃない。きっと俺の頭もなのだろう。そう信じさせてくれ。

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