最終話 *想い重ね、これからも


 思えば私はいつも、何かに怯えていました。

 その何かに、寝て、夢にまで見るのも怖かった。


 だけど昴さんの腕の中はとても安心してしまって――これほど深く眠ってしまうのは初めての事で、自分でもビックリです。


 それだけ、私に欠けていたものや足りなかったものが、満たされているのでしょう。

 あまりに眠りが深すぎて、私は夢の中でさえ、眠っているかのようでした。


「……り?」

『…………えね』


 誰かの喋り声が聞こえます。

 どこか安心するような女の人の声と、やはり私が安心してしまう大好きな人の、少し幼い感じのする声。

 夢の中でまで昴さんの事を考えてしまうなんて、我ながら自分に呆れてしまいます。

 はて、一緒に話している人は誰なのでしょうか?


『平折、さん? うちの昴の事、お願いね。あの子、結構寂しがり屋だから』


 ――えっ?


 その声がハッキリ聞こえました。

 自分の大切なものを私に託すという慈愛に満ちた声。

 まさかと思い、目を開けようとして――


「ん……んぁ……?」

「悪ぃ、起こしてしまったか?」

「ぇ……ぉ、ぉはよう、ございます……」

「あぁ、おはよう」


 ビックリしてしまいました。


 寝起きの頭が昴さん一色に塗り替えられていく。

 まだ夢を見ているのかと思いきや、下腹部の鈍い痛みが、これが現実だと伝えています。


 それと同時に、自分の寝起きの姿の酷さに思い至り、顔を見られまいと昴さんの肩に甘えるように額をこすり付ける照れ隠し。


 ……はぁ、私は朝から一体何をやっているのでしょう。




◇◇◇




 駅を目指して、昴さんと一緒に見慣れぬ街を歩きます。

 無断外泊――になったわけではありませんが、いきなり遠くにやって来てしまい、色んな人に心配をかけているかもしれません。


 とりあえず家に戻らなければと帰っている所なのですが……しかしどうしたわけか、目に映る全てが輝いているかのようで、昨日と変わって見えてしまう。

 不思議な気持ちでした。

 それだけ、私が変わってしまったのでしょうか?


 確かに昨日は色んな事がありました。

 私と昴さんの関係も、すっかり変わってしまいました。

 選んでもらえたのは嬉しかったのですが、それでも信じられなくて、だというのに今は全くそんな気持ちがありません。

 我ながら自分の単純さに呆れてしまいそうにもなります。


 あの時の私は焦っていました。


 もしかしたら昴さんが今にも凜さんの下へと去っていくかもと、怖かったのです。

 だって凜さんは素敵な女の子で、どうして私なんだという思いがありました。


 思えば随分と凄い事を言ったと思います。

 はしたない娘だと、呆れられてはいないでしょうか?


「……ぁ」

「っと、大丈夫か、平折?」


 妙な異物感が残っているままなのか、歩き方が変になって足をもつれさせてしまいました。

 私の手を取り気遣う昴さんは、ひどく優しい。

 だけど私は、昨夜の事を思い出して恥ずかしくなってしまい、素っ気ない態度になってしまいます。


 ただでさえ愛嬌が足りないという自覚があるのに……だから顔を覗いてきた昴さんに、頑張って笑顔を作ってみたものの……うぅ、だけどすぐに顔を逸らされてしまいました。これは今後、要精進なのでしょうか?


 駅では、次の電車が30分以上も先でした。

 さすが田舎といった所でしょうか?


「あー、向こうの方にコンビニの看板が見えてたっけ。ちょっと何か買ってくるから平折はここで待っててくれ」

「……ぁ」


 私の返事を待たず、昴さんは飛び出します。

 これは昴さんの困ったところでもあります。

 私の知らないところで思いもよらない無茶をして……でもそんな所が好きだったり……ふふっ、私も大概困った奴ですね。


 そんなことを考えていると、私に話しかけてくる男性がおりました。


「あの、すいません。ちょっといいですか?」

「ふぇ……あ、はい」

「道に迷ってしまって……この宿なんですけれど、わかります」

「ここは……」


 そう言って雑誌を取り出し、とある旅館を示します。

 奇遇なことに私たちが泊まった宿でして、それならばと教えることができます。


「いやぁ、ありがとう。地元の高校生? 何にせよ助かったよ。山登りが趣味でね、有給ついでに温泉も有名な宿も取ったのだけれど……ははっ」

「いえ、私はその……」


 どうやら地元の人と勘違いされたみたいです。駅前で制服姿、今の私の姿を見れば、そう思われても無理はありません。


「平折っ!」

「あ、昴さん」

「おや、彼氏さんかい?」


 そうこうしていると、慌てた様子の昴さんが戻ってきました。

 青春だねぇ、と男の人は笑います。


 あれ、もしかしてこの状況、やきもちを妬いてくれているのでしょうか?

 だとしたら、その……顔が変になっていくのがわかります。


 しかし私の顔を覗く昴さんは、やきもちとは違う心配とか身を案じるような、どこか必死さを感じさせる目を向けています。どういうことでしょう?


「いやその、トラウマとか大丈夫なのかって……」

「ぇ…………あ……っ!」


 その時初めて、自分の置かれていた状況に気付きました。


 身体は別に震えたりもしていません。

 抗いがたい胸を抉るような黒いものも沸いてもいません。

 普通です。普通でした。自分でも不思議です。


 どうしてだろう?


 考えるまでもなく、そんなことはわかっています。

 思わず昴さんの空いてる方の腕に抱き付いてしまいました。


「私、昴さんのお陰で変われました!」


 そう、心の中にあった卑屈な部分とか弱いところとか、そういったものが全て昴さんへの思いで上書きされています。

 むしろそんな所は見せられないと、この大好きな人にずっと大好きでいてもらう為に、変わらなきゃという気持ちも溢れてきます。


 だからきっと、私はどこまでも強くなれる気がしました!


 そしてパンを食べているうちに、ほどなくして電車がやってきます。

 ガラガラの二両編成、乗客は私たちだけ。

 後ろの車両の真ん中、車掌さんから見えないような場所で、私たちは身を寄せ合うように座ります。


 家に帰るまでのおよそ2時間半、私たちはたくさんの話をしました。


 私のことに昴さんのこと、小さい時のことや再婚した当時のこと、オフ会で出会った時のことにとそれからの日々のこと……

 私の知らない昴さんのことや、昴さんの知らない私のことを、たくさん話し合いました。


 時に笑い、喜び、やきもちを妬いたりなんかして、それは何かの確認作業のようでした。

 話せば話すほど、何かの歯車がズレたすれ違いばかりのように思えてしまいます。


 それがなんだか、おかしかったりしました。


「昴さん、私、モデルの仕事はこれっきりにしようかと思います」

「どうしてだ? あ、いや、確かに向いていないと言ったのは俺だけど……その、結構な人気だろう? 前と違う意見になるが、出来るだけやってみるというのも」

「はい、それも考えましたが、今の私にはもう必要ないかなって」

「必要がない……?」

「私、自分に自信がなかったんです。誰かに認めて欲しいっていうのがあって……でもっ」

「んっ?!」


 私は周囲に誰もいないことを確認してから、素早く昴さんの唇を奪いました。

 昨夜何度も重ね、もっと凄い事をしたとはいえ、ちょっと照れてしまいます。

 凜さんが言ったように、ちょっと隙が大きいのかな? むぅ、それは困るかも。


 とにかく――


「今はもう、私には昴さんがいますから!」

「平折……」


 昴さんの驚く顔が可愛いです。

 悪戯が成功した気分にもなります。

 そういえば昨夜も、私を気遣いつつも、余裕がなくて堪えてるところとかキュンとしちゃいましたね。


『――初瀬谷駅、――初瀬谷駅』


 そうこうしているうちに、着いてしまいました。

 手を繋ぎ指を絡ませ立ち上がり、両親が待つ家へと向かいます。


 お母さんたちに、今から何を話して良いか考えると、少しだけ頭が痛いです。


 私と昴さんのこと、お母さんやお父さんと家族の事、凜さんや陽乃さんとか他にも色々な事……


 問題は色々と山積みです。

 上手くいかないことの方が多いに違いありません。

 これからもたくさんすれ違ったり喧嘩したり、悩むことも多々あるはずです。


 だけど、もうこの繋がれた手を離すことはないでしょう。


 自宅を目の前にして握る手に力を込めれば、昴さんも握り返してきます。それが何よりも心強く、私をどこまでも強くさせてくれます。


「昴さん、愛していますよ」

「……あぁ俺も、とっくに愛してる」

「えへへ」

「ははっ」


 私たちは同じように笑い合います。

 きっと、これからも一緒に歩いていくことでしょう。

 どこまでも、いつまでも。


「「ただいま」」


 心と手と、声を重ねながら、ずっと――




※※※※※※※


これは平折の物語でもありました。

おっかなびっくりしながらも、ほんの少しの勇気を出したことを切っ掛けにして、本人も、そして周囲も変わっていき……時に傷つき、上手くいかないこともあり、それでも恋と友情を掴みとっていく――だから、最後は平折に締めてもらいました。

私もこの物語を書きながら、登場した全てのキャラクター達に色々と教えられた思いです。


夕方に、エピローグを投稿します。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る